僕は、以前は成長論を信じていましたが、自分のダメな部分を認め、ありのままの自分を受け入れ、「もう成長なんてしなくていいや!」と成長をあきらめた時に心が軽くなりました

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目の前のことを、淡々とやるだけ。以上。

あれこれ思わない。将来どうなる、こうなる。アホらしい。何一つ困ることはない。お金だって出せば入ってくる。そうなってる。出会う人とは出会う。離れる人とは離れる。そうなっている。すべてはギフト

 

 

 

私は、がむしゃらに働いて 欲しいものを手に入れてきましたが、 どこまでいっても満足はありませんでした。 ほんとうに、成功=幸せではないって思います。 今は心屋流で生きて、 いろんなものを「ない」と、追い求めるのをやめて、 いま「ある」にフォーカスすることが幸せだなぁ… と気付かせてもらって、 心穏やかに暮らせていることに感謝です。

 

 

 

自分のやりたいこと、自然に手が伸びることだけ、やりたいなと思うことをやりたい分だけやって、少しでも「ヨイショー!!」と力を出さなきゃ出来ないことは、やらない。
ちゃんと出来る人に任せてしまう。
好き放題、ワガママ放題してますが、
今の自分の方が、楽で、楽しくて、何より自分が好きです。
自由にやってんなー(笑)と客観的に自分を見て、笑えてきます。
まだ時々「なまけられない病」が顔を出して、ちゃんと休まない日もありますが、ホントどんどんブレーカーが落ちやすくなってて(笑)、無理!って思う判断が早くなってるからパニックになる前に全部留まれています。

 

 

 

 


人間の一生誠にわずかなり
好いた事をして暮らすべし
夢の間の世の中、すかぬ事ばかりして
苦を見て暮らすは愚かなことなり
この事は、悪しく聞いては害になることゆえ
若き衆などへついに語らぬ奥の手なり
 
我は寝ること好きなり
いま境界相応に
いよいよ禁足して
寝て暮らすべしと思うなり

 

 

 

無理に健康を増進して寿命を伸ばそうとするのを「不吉」といい、 身体に負荷をかけ、 心臓の鼓動を早めて息遣いを荒くするのを「無理強い」という。


物はなんであれ威勢が良すぎると衰える。 これを不自然な生き方という。 不自然な生き方をすると、早く死んでしまう。

 

 

 

人生飽きるほど長いのに、辛い時に無理する事ないから、とりあえず寝よう

 

 

 

嫌な状況ならさっさと逃げよう〜
いくらでも他に道があるんだから〜

 

 

 

 


自分に言い聞かせるつもりで…

人の人生と比べて落ち込んだり、羨ましがったりしないで。
生まれた瞬間からみんな違う人生なんだから。
小さな事でも、自分の喜び、幸せを見つけよう!

 

 

 

 


動物は獲物追うために2時間だけしか働かないらしいので人間の集中力もそんな長くないのに長く働いてストレスためて心痛めたり犯罪など起こすって悪循環すぎる。

 

 

 

夢や希望は持ってなきゃだめ
努力や苦労はしなくちゃだめ

っていうどこの誰か知らない人の価値観に洗脳されてた。
でもよく考えたら夢も希望なんてなくていいし、しなくていい努力や苦労はもちろんしない。

楽に生きるのが私の正解だわー。

 

 

 

 


人生に元々意味などありません
なにかの目標を絶対視して身を滅ぼす人が多すぎます

 

 

 

人生まだまだ知らないことばかり。ゆるいチャレンジ精神を持ったまま人生終えるまで楽しむよ

 

 

僕は、以前は成長論を信じていましたが、自分のダメな部分を認め、ありのままの自分を受け入れ、「もう成長なんてしなくていいや!」と成長をあきらめた時に心が軽くなりました

 

 

やっぱり凡人は
いろいろ諦めて、笑。
楽しむことよな。笑。

人のことなんて、もうこの際どうだって良いんです。すべてを投げ出したって、自分勝手に生きたって、生きてさえいれば、必ずどうにかなります。

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諦めてないと、頑張るじゃん。
無駄なのに。


早めに「人生の天井」を知る。

 

 

 

いつかの為にためたり集めたりしたもの 結局強制終了になって 自殺しようと思ったときに こんなだったらためずに使えばよかった~って思いました( ˆ ˆ ) これからはかわいいものは先に使おうっと

 

 

 

昔の僕は、自分に自信がなくて

「好きなことだけして、ラクしてたら、絶対にダメになる」

と思っていたから、「問題に向き合ってがんばる」という逃げ道しかなかった。

 

 

逃げていたというのは、そっちの方がラクだから。

好きなことだけする勇気がないから、うだうだ言っていたわけです。

好きなことだけして生きるのって、とても怖いんです。

 

他人の目が。

 

 

つまり、「問題に向き合ってがんばる」方が、世間では認められるし、言い訳もできるから、そっちの方が「逃げ」だったりするのです。

 

 

 

「あなたも、誰かのために、役割を持つことができるんだよ。新しい役割を持ってごらん」

 

 

 

 


良い気の通り道に、自分がなってしまうのです。

 自分は、良い気を呼び込み、循環させる。そんな存在である。

 

 

 

そのときに、相手よりも自分の方が弱いと思ってしまうと、その仕事は失敗します。

 ですから、自分の非力をよく理解している術者は、より大きな存在にその仕事を委ねます。

 それが、神様であったり、宇宙意識であったり、体系化されたシステムであったり、術者によって用いる存在は違います。ですが、何か大いなる存在であることは同じです。自分自身が「確実に実行できる」と感じている存在が、その場所をすっかり清浄に整えてしまう、そういうイメージを味わっているのです。

 

 

 

 誰かが言っている抽象的な「素敵な」部屋ではなく、あなたの理想の人生にふさわしい部屋をつくってください。

 

 

 

 


運命だなって思った方が楽なときがある。あーこれも運命なんでしょうね、なんか知らんけど流れってもんがあるのかもしれませんね〜 って。その方が執着が減って楽

 

 

 

 


私もそうで、少し前まで足掻いてたよ
でも、無理しすぎて精神の病気になってから価値観が変わりました。
人間が作った小さな世界の常識に自分は振り回されなくても良いのでは無いのか。
災害や事故でいつ死ぬかも分からない今の時代だけど、虫のように急かせか生きなくても良いのでは無いか。
人の作ったあれこれよりも、自然の作ったあれこれに癒されるから、ベランダでお花の手入れしていたり、公園でジョギングしたり、空をぼんやりみたり
、川で水に触れたりして生きてる事を実感してます。

 


貧しさの中でも満足している人間は豊か、しかもとても豊か。しかし、豊かさのみ追い求め、貧しさを恐れている人間は、枯れた冬のように空虚。

 

 


そもそもね 、人間なんて 7 0歳 8 0歳にもなったら 「勝ち 」も 「負け 」もあったもんじゃありません 。肩書きや経歴なんてどうでもええ 。身分に差なんてありゃしません 。自分も家族も健康で元気でいてくれたら 、世間話ができる友だちがいてくれたら 、それ以外は何も必要ないと思うんです 。反対に 、たくさんお金をもうけてたとしても 、身体を壊すほど働いて 、自分も家族もボロボロだったらどうでしょう ?それこそ 、不幸なことやと思います 。

 

 

 

そう、僕らは
頭おかしい集団として
 
楽しく生きていこう(*'▽')
まってるねー!

 

 


我慢に我慢を重ねて正しく生きてきたけど

ガンになった。

生きてればいい事があるって考えるのはもうやめた。

 

 


人のことなんて、もうこの際どうだって良いんです。すべてを投げ出したって、自分勝手に生きたって、生きてさえいれば、必ずどうにかなります。

 

 


要するに
目の前にやってきた出来事「結果」に
一喜一憂することなく、はひふへほ、と観察し
「なんとかしようとしない」

そうかそうかと、
淡々と行きましょう、生きましょう、
ということ。

 

 

 

 


私は今40代で30代くらいまで似たようなことで悩んで実践したのですが、小さな成功体験の積み重ねって大事だと思いました
(私の場合「スクワット15回」とか「ハンバーグをレシピを見ずに作る」などです(^-^;)
何もやらないと何もできないままなので、1ヶ月一つとか目標を決めるといいです
できたら自分を褒めてください
自分より出来る誰かとは比べ嘆くのではなく、過去の出来なかった自分と比べて褒めるんです
成功体験が増えていくと、「何もできない」って感情が薄くなっていきますよ
これは体験談です

 

 

 

 


若いうちは貯金より、貯筋、貯骨が大事です。

運動機能の向上にお金と時間をかけた方が、将来的には病院に行く回数が減り

健康を保てるため

医療費もかからないのです。

もうそろそろがんばることをやめたら、日本人は幸せになります。

私たちは発展するためではなく、幸せになるために生まれてきた。

 

 

 

 


明日への希望なんて無くていいですから、今日の喜びを味わうことだと思います。それには、体をできるだけ動かした方が手っ取り早くできます。

 

 

 

「健康とはわがままになることだ」と言ってました。

健康なら自分の言いたいことやりたいことをする、

そうなることが健康。

いったん死んだ自分だから、残りの人生は〝おまけ〟。第2章は主人公じゃなく、サブキャラの村人として生きるか~」と考えてテキトーに生き始めると、「あれ? 第2章、意外と楽しくね? 村人、悪くなくね?」と思えるようになりました。

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「いったん死んだ自分だから、残りの人生は〝おまけ〟。第2章は主人公じゃなく、サブキャラの村人として生きるか~」と考えてテキトーに生き始めると、「あれ? 第2章、意外と楽しくね? 村人、悪くなくね?」と思えるようになりました。

 

 

「願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ」っていう、この一言に尽きるのです。

 

 

 

私たちにできることは、目的達成のために、性格を変えることではなく、なにがなんでも、実現しようとするガムシャラな努力をすることでもなく、ただ、今の状況がどんな伏線となっていくのか、他人事みたいに、楽しんでいくことだけかもしれませんね。

 

 

 

たいてい、戦ってしまうのは、思い通りにならないとき。でも、思い通りにならないときに、戦っても、あまりうまくいきません。運良く、うまくいっても、自分が疲弊してしまっては、その戦いは負けです。

 

 

 

前の自分に戻るのではなく、新しい自分を作り上げていく。

 


自然体で生きるコツは、「自分を操作しない」こと。

 

 

 

 


非モテは人生をネタ作りと思おう。


やってみる・みないを判断する時、「ネタになるか」を判断基準にすると良い。そこにコスパや自己研鑽の概念・合理的な思考はいらない。失敗すらもネタになる。

 
これをとにかく続けること。

 

 

 

合理的に考えたら到底受け入れられないことをし続ける

 

 

 

人間万事塞翁が馬。これに尽きる。

失敗したと言った人はその後、これで良かったんだとどこかで言ってると思うわ。

そういう歩みや経験をするために人は一生を生きているのかもしれないと思うおっさんであったw

 

 

 

 


失敗しても良い、損しても良いと思うことで

人生が好転します。

損したくないという思いに縛られている人は、本当にやりたい事が出来なくなります。そのために、やりたくない事をイヤイヤやる人生になってしまいます

 

 

 

 


成し遂げたとか、むしろいらんかったという

全く逆なんだよな、その時その時を楽しんで

ればよかったと。成し遂げるとかに縛られて

自分がわかってなかったのが1番の後悔ですわ

むしろ、なんもいらんかった。

 

 

 

 


誰かに作られた

幸せの形に自分を合わせると

高くてコスパ悪い

 

自分自身のワクワクに

忠実に暮らしてると安い

 

 

 

強いていうならば、あなたの手元にある資産を見返してみましょう。引きこもりという要素がなくなったら、自分を説明するコンテンツはなんなのか。 なんでも良いです。 何をすることが好きだったのか。

 

 

 

コツコツと小さいことでも成し遂げて、やるじゃん私っていう達成感や自己満足を日々感じられることが幸せかなと思ってます。

逆転ってのじゃないけど、最終的勝利かなと。

 

 

 

自分自身について考えないでください。あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。あなたがどんな人かは、あなたがその作品を作ることではじめてわかることなのです」

 

 

 

人生の道はもともと決まっていますから、嫌なことが起こっても「あーそうなんだー」て感じで深く考えすぎなくても良いんですよ。

どうせ、一時のことで次の人生がはじまるし、悩もうが楽しく生きようがあなたの人生の道は変わることないのだから…だったら楽しく生きればいいんですよ。

人生は大した意味はありません。しっかり楽しく演じきってください!

世間の価値判断を無条件に信用せず、主体性をもって生きる生き方をする。それが「自由」ではないでしょうか。この場合の「自由」は「自分に由る」という意味です。

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あなたは一つの神におまかせしたのだから、その神が与えてくださるもので満足すべきです。どんな結果になっても、文句は言わないこと。それがおまかせしたことなんですよ。

 

 

 

 ──あきらめよ!──  と教えたのです。救いをあきらめて、地獄に落ちて(苦海に沈んで)、そこでしっかりと生きればよい。苦しみながら生きるのです。そういう生き方もすばらしい。気楽に酔生夢死の生き方、極楽蜻蛉の生き方をするばかりが人生ではないのです。苦しみに呻きつつ生きる生き方も、あんがいおもしろいかもしれません。要は覚悟の問題です。

 

 

 

仏教を学べば、苦しみを苦しみとしてしっかり耐えられる力が得られるのです。悲しみを悲しみとして受け容れる力が得られる。仏教はその力を教えてくれているのです。

 

 

 

いちど世間の価値観を離れて自由になってごらんなさい。そうすると、ほとんどの悩みが吹っ飛んじゃいますよ。仏教はそのように教えています。

 


世間の価値判断を無条件に信用せず、主体性をもって生きる生き方をする。それが「自由」ではないでしょうか。この場合の「自由」は「自分に由る」という意味です。

 

 

 

道徳というものは強者に都合よく出来ています。いや、道徳は、強者が弱者を支配し束縛するための武器、と言ってもいいくらいです。

 

 

 

その縄が許す範囲内で楽しく過ごす工夫をします。縄が許す範囲を超えて、その向こうに行きたいと思ってはいけません。そんなことを考えると、「繫驢橛」になってしまいます。

 

 

 

わたしたちの悩み・苦しみの大部分は、思うがままにならないことを思うがままにしようとすることから起きています。その悩み・苦しみを克服しようとする努力は、だいたいにおいて自縄自縛の状態に自己を追い込むことになっています。思うがままにならないことは、思うがままにならないことだと「明らめること」が大事なことではないでしょうか……。

 

 

 

仏道を志すといっても、別段大袈裟なことではない。暇のある身になって、仏道を優先し、世間のことを気にしないのが第一の道である)

飢え来れば飯を喫し、困れ来れば即ち眠る

「がんばらない」「適度に休息する」ことで人はがんばることができるのです。

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「好きなことだけにのめり込みすぎないことだ。  好きなことだけにのめり込みすぎると、他の分野への冒険ができなくなってしまう。自分が好きなもの以外見えないのは愚かなことだ」

 

 

 

飢え来れば飯を喫し、困れ来れば即ち眠る

 

 

 

無理をするということは、理にかなっていないということです。  がんばりと無理は違います。  無理をしないで済む方法を探すことが必要です。

 


他人と自分を見比べると、他人に惑わされることになりがちである。したがって、自分がやるべきことに専念して、それをたんたんと進めていくことが大切だ。それが心の安らぎを得る方法だ

 

 

 

人生がしんどくなったり、うまくいかないことが続く時ってのは、知らず知らずのうちに、本来の自分を隠しちゃってる
変な頑張りをして、自分を苦しめてる

そのままじゃ愛されないと言う勘違いや悪夢からそろそろ目を覚まそう

と言うお知らせが来ている時なんじゃないかな。


だから、そんな頑張りに気づいたら、とっとと悪夢から目覚めよ

ガンバラナイとは、1人で生きていくことをやめること。


頑張るのをやめるとは、本当の自分を隠さないこと。

その方法は人によって違うけれども、ポイントは、今までの自分ならやらなかったことをやってみる。今まで自分がしてきたことをやめてみる。今までの自分の常識、
つまりこういうときにはこうするのが当然でしょ!

と思っていたことの逆をやってみる。

でもそれは、本人にとったら相当怖いこと。

頑張るのをやめるのが怖い時は、自分に言ってやるんだ。


失敗してもいいよ

許してもらえないって嘘かもしれないよ
助けてもらえないって嘘かもしれないよ

許してもらって助けてもらって、そうやって誰かに頼っていいんだよ

 

 

 

億万長者になりたいとか、絶世の美女と結婚したいとか、仕事で大成功して人からちやほやされたい、というのはあなた本来のエネルギーの形ではなく、自分以上のものになりたい、という欲望の場合がほとんどですね。あなた自身のものでない限りは、引き寄せの法則は実現しません。それはあなた自身の中にある本当の意識のエネルギーとは関係ない、非現実のものだからです。

 


氣がいっているものへの気付きの量が増えることによって、縁がやって来るのです。

 

 

 

観念や思考というのは、自然界のエネルギーと比べるとどこか不自然だからです。

 

 

 

自分の本質が目覚めてくることによって、心に素直に動けるようになる

 

 

 

元々の素材に立ち返って、そこを生きれば本来誰でも幸せなのです。

 

 

 

元々の生命力というものが本来の力を発揮していけば、誰かの顔色をうかがって「こうあらねばならない」というのではなく、それぞれの個性というものが発揮されてきます。

 

 

 

心が静かになれば、人は元々ある大事なものを思い出すのです。それは私たちが本当は満たされていて、愛されていて、生かされているのだ、という実感からやって来る感謝の気持ちです。

 

 

 

住む人を元気にするのは「素敵な家」ではなく「キレイな空間」だから。

 


「部屋を片づけたくても、モノが多くて片づかない」と言う人がいますが、それは人生が過去でいっぱいになっているということ。過去でパンパンになった人に、よい未来は来るでしょうか。自分の過去の中から、大切にしたいものだけを選び取り、余白をつくっていきましょう。余白がなければ、よりよい人生、未来を呼び込むこともできません。もう必要ない過去のモノに囲まれていると、自分の可能性を狭めてしまいます。モノを捨てて、余白をつくるわけです。

自分に満足していれば、あなたはもう外の世界に自分を満足させてくれるものを求める必要はなくなります。

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33歳ならまだ若いよ。いくらでも今から好きなもの見つけられる。もうちょっと、ずる賢く生きて人生楽しんでみれば良いと思いますよ。

 

 

床は、言わば”自分自身“です。 モノを手放すと床面積が顕になるように、本来の自分 自身 が明らさまになっていきます。

 

 

意識って高めるものじゃなくて

下げていくもの、なんです(笑)

そして、「下げてもわたし大丈夫なんだ」と気づくこと。

これがとても大切です。

 

 

 

ほんとうに成し遂げたいなら、五〇回でも、一〇〇回でもアタックすべきです。  一回であきらめることは誰にでもできます。簡単にできることは、たぶん他のみなもやっています。

 

 

 

カオスでいいので 、 「自分にとってのゴミ 」を出し続けるのです 。 「ゴミ 」を出し続けていると 、次第とそれらを貫く一本の筋が見えてくるので、それが貴方にとってのより本質的な価値になります

 


「自分独特のライフスタイルを 、他の人に与えていく 」

 

 

 

「自分以外 」になろうとすると 、うまくいかなくなる


負けと言うのは、他人を羨ましがることではなく、自分が持っているものを忘れてしまうこと。

 

 


こんなところにいたら惨めだ。と思ったら逃げればいい。

 

 

 

僕の人生も、その足し算の終わらないループでぐるぐると回っている人生でした。足すための努力は半端なかった。足して足して足して足して、穴を埋める。埋まることのない穴は、心の中の穴でした。幻想の穴でした。

 

 

 

適当にやってる人のがしぶとくうまくやってる気がする。

 

 

 

毎日4時間ほど働いて、余った時間は、近所の友人と将棋をさすなどして遊ぶ。  知り合いと楽しくオシャベリをする。  落語を聴きに行く。  春には花見、夏には花火見物に出かける――。

 

 

 

 


大事じゃないから大事にできる
 
私、自分が将来死ぬことわかってない気がします。
 
苦労したり、我慢したりしてる間に
年とって死ぬのに、
なんとなく永遠に命は続いていくような
気がしてるみたい。
 

最近思うんです、

遠い先の未来のために今を大切にしないんだなぁって。

高い化粧品もったいなくて
特別な日しか使わなかったら、

消費期限はとっくに過ぎて、
私も年をとり、

いつからかその古い化粧品を肌に塗るのが
気持ち悪くなった。
もう古いから捨てたいのに、
なんか捨てられないし。
 

自分をそんな化粧品みたいに扱ってるんです。
 
とてもとても大事だから、
 
いつの日か本当に幸せになるために
エネルギーを使わなかったり、

精一杯しなかったり、
今日したいことを後回しにしたり。
 
なんか不快なのにそのままにしたり。
 
いつかのために、
今日を大事にしなくても
未来を大事にするからって思ったり。
 
私よ、私は死ぬよ。
未来より今の私を大事にしてあげて。
 
大事な私と今日を楽しんで。
 
私に私が言いたいことです。

 

 


自分に満足していれば、あなたはもう外の世界に自分を満足させてくれるものを求める必要はなくなります。
あなたが満足させるべきは、他人ではなく自分です。
自分自身が満たされたとき、そこから溢れ出るもので勝手に他人は満たされます。
自分自身を最大限に大事にすべきです。

 

 


最近常々思うのは、 『上品は下品(ゲス)に負ける。  努力はエコ贔屓(他力)に簡単に負ける。』 ってこと。 いいか悪いかは別にして、誰かに認められようと承認を得る為の努力や行為は、往々にして残念な 結果になりますね。 随分悔しい思いをして来ました。 でも、その前提(在り方)が間違っていたんですね。

 

 

 

 


季節の移り変わりを感じるようになりました。夏が秋に変わっていく感じ、冬の寒さをうれしいとなぜだか思うようになりました。

秋はとても色とりどりで、とてもまぶしい。

冬は光が突き刺すようで、今までもそんな風に感じてはいたのだろうけど、

秋は切なくて、冬は終わりでもの悲しいというのが大きかった。

 

冬の光がとてもクリアに感じられるのは、たぶん夏のように地上が太陽の熱を反射することで空気を揺らがすことがないからかもしれないなぁ。

風がふくと、夏のように葉っぱの音がほとんどなくて。 だからとてもしずかで。

でも川の流れる音とかして。 この“自然”だとか呼んでる“なにか”の四季の移り変わり。

これずっとあったんです。ずっとずっとあったんです。

それにオレはなにもしてない。

自然がそうする“ため”に、オレなにもしてない。

なんだけど、そんなものすごい変化がどの葉っぱにも草にも木にも、自然に起きてる。

もちろん、それが“変化してる”と思えるこの脳だかなんだかしらないけど、

すごい“なにか” 人生は大したことない。

“今”も大したことない。

オレも大したことない。

すばらしいものがまるで大したことないように、簡単に冬になって、春になって

“ここ”はそんなとてもとてもすばらしいものが大したことないく見えるくらいにたくさんたくさんある場所なんですね。

 

どれだけやっても虚しいなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分がちっぽけで大したことないなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分を限りなく0にして、自然に変化していく“あなた”の美しさをただただ見ていたい。

明日は今日よりももっとすばらしいものがくる。

それだけでとてもワクワクする。

結局、ためた財産などは、適切に使わなくてはならないのです。適切に使わないと、使用期限が切れて、他人のものや無駄なものになってしまうことがあるのです。

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最近ふっと分かったんです。人が生きるって、生まれてから死ぬまでの、与えられた時間をただつぶしていくだけの作業なんだなあ~~って。ふふふ笑笑。

 

 

 

バカだと思われたくない。頭悪いと思われたくない。ダメな母親だと思われたくない。ダメな女だと思われたくない。ちゃんとしてないと思われたくない。いい加減だと思われたくない。やる気がないと思われたくない。怠け者だと思われたくない。貧乏人だと思われたくない。都合のいい女だと思われたくない。ブスだと思われたくない。センスないと思われたくない‥いっくらでもある!!!こんだけ隠してバレないように頑張ってればそりゃ人生辛かったはずだ‥。
えー、つまり私はバカでダメ母でダメ女でちゃんとしてなくていい加減でやる気がなくて怠け者で、貧乏人でブスでセンスのない都合のいい女なのだな
で、それでいいしそのままで価値があるし素晴らしいのだな。えー、私ってこんなんかー。いや、いくらなんでももう少しなんかさー。(まだまだ抵抗しているようです。)

 

 

 

〇〇という人生「だけ」を目指してきた人が〇〇がついに叶わなければ、その人は「自分の人生は願いも叶わず不幸なだけだった」と思うのは無理からぬ話。だが〇〇を目指す過程で△△や□□を手に入れてそのおかげで人生が豊かになったならば「自分の人生は思いもよらず面白かった」と思えるかもしれない

 

 

 

 


何かを表現する時に、「きっとこンな反発が来るンだろうな」と想定して、それに対応した言い訳を表現に折り込んだ時点で、それは己の表現ではない。表現者として一番恐ろしいのは、自分の表現を好きでいてくれる人の事よりも、自分の事が嫌いな人間の存在を、始終考えてしまう癖が付く事である。

 

 

 

自分にダメ出しばかりして、心の中がいつも罪悪感でいっぱいの人は、とりあえず広ーい芝生のある公園とかに一人で行って、一時間くらいボヤーっとしてみるとこから始めるのがいいかもしれないです。それくらいなら、仕事や家事や介護や子育てで忙しいって言ってもたぶんなんとかなりますよね。

それができたら今度は別の日に、カフェとか映画とか一人カラオケとか、好きなとこで2、3時間リフレッシュして、それを何回かやってみる。慣れてきたら、一人で一日中どっかおでかけ。エステとか日帰り温泉とか行っちゃうんです。残してきた人や仕事の事は忘れるのがポイント。

罪悪感を感じる時間を減らして、自分に楽しむことを許可してあげる。これやってると、やりたい事とかやりたくない事とか明確になってくる気がしますよ。

 

 

 

人生という川の流れに身を任せたら
戦わなくても、
抗わなくても
らくーに生きていられる。
気持ちがね。


流れに任せればいいんだなあ


人は生まれたままの
自分の持ち味で
長所を活かして
短所を許してもらって
生きていけばいいんだなあ

 

 

 

考えても、答えでない。
肝心の
やる気も出ない。

やる気ないのに、
行動しても、しんどいだけ。


わたし、何もしたくないんだ。

 

 

 

だから、究極は、
自分一人でもいいんです。
自分が自分を美人だと思っていれば。
これが、美人のあり方「Be」

 

そしたら、自然と自分を大切に扱うし
可能性を知ってるから磨くんですよね

 

 

 

 


今の人生のままでいっか

と本気で「変わりたい」願望を手放すか、

本気で損して傷付く覚悟してくださいませ。


なんにしても
神様に人生丸投げしてみよう(笑)

何かが変わるから。

 

 

 

いい加減に生きる覚悟。将来の事も他人の事も心配しない。どんな悪い事が起こっても大丈夫だから自由に生きる。悪い事は起こるから。

 

 

 

人には、自分で自分を慌ただしい気持ちにさせるところがあります。  しかし、いくら慌てたところで、人生はどうなるものでもありません。  どんなに悩んでみたところで、事態が大きく改善するわけでもありません。  むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

 

 

 

 


人生は、自分が幸せになるためにあるのであって、結婚や子供はその手段のひとつでしかありません。そして、自分は幸せになるために、結婚や子育てはそれほど必要ない性質の人間のようです。もちろん、機会があれば結婚などするかも知れませんが、それはあくまで「流れでそうなったらそうする」というもので、結婚それ自体を目的に活動することを、私はもう、しないでしょう。

 

 

 

うろこを落とし

新しい「ある」を知り

価値観をひっくり返し

「いいんだ」を知る

「自分の可能性」を知る

決して「足す」のが

「学び」ではないのです。

 

 

 

 

 

 

ためたものをありがたく感じるのは、それを使っているときです。

ためたら、使う

結局、ためた財産などは、適切に使わなくてはならないのです。適切に使わないと、使用期限が切れて、他人のものや無駄なものになってしまうことがあるのです。


ためたものは、使ってこそ価値があると理解しましょう。

 

自分が使う目的でためたものは、自分で使ってください。使わなかったものは、必ず他人のものになります。

 


「不安という名の鳥が、頭の上を飛んで行くのを防ぐことはできない。しかし、頭の上に巣を作るのを防ぐことはできる」

 

 


大切なのは、自分ならではの「生きる信念」を持つことです。 「私は、こういう生き方をしていきたい。私ならではの生き方をすることは、私にとってもっとも幸福なことだ」という認識を持つことです。