数字は増えないかもしれないけど自分にとって嫌なことをせず、できる限り好きなことに時間を使って、生きていったらいいんじゃないでしょうか。僕はそれも一つの「豊かさ」だと思っています。

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勉強するほど幸せになる、という成功体験をつくってしまえば、無理矢理、目標設定などをしなくても、隙間時間に勉強するのが自然に習慣化されます。

 


お金以外の「何か」を通して「安心している」

 

 

 

数字は増えないかもしれないけど自分にとって嫌なことをせず、できる限り好きなことに時間を使って、生きていったらいいんじゃないでしょうか。僕はそれも一つの「豊かさ」だと思っています。

 

・資本のために「お気持ち」を消耗したら結果的に儲からない。

・収益を考えるとき、かかる「ストレス」も含めて計算する

 

 

個人の幸福度から見ればあきらめはいいほうが良いはずです。どうにもならないことは、どうにもならないのだから。「あきらめよう」と考える人のほうが、ずっと「どうにもならないこと」をどうにかできますし、トータルでみれば前進できます。  だから僕は、できないことは迷わず「しょうがないリスト」にぶち込んでいます。  「しょうがないリスト」があると、できなくても落ち込みません。  「あ~、これはしょうがないリスト入りのやつだから仕方ないわ~」と思えます。

 

 

 

趣味は自分の満足が評価の基準である。時間を忘れて没頭できたかがなにより大切なのである。好きだから熱中でき、好きが高じれば得意になる。得意になればさらに好きになって、ますます力を傾け、やがて卓越した実力になっていく。 力の実感は自信につながる。自信とは他人の目や評価を気にしないということである。他人の評価は意味をもたなくなる。自分のなかに「これだけは」の一つが育まれたとき、人には自分の価値観にしたがった自信と余裕が生まれるのだ。

 


自信ができれば、人間関係から自分を守ろうとする必要がなくなる。人と接するつらさは消えていき、自分の生活に関心が向いていく。その生き方が自分の原則となったとき、目的は今日や明日のことではなく、その先になる。それを生きがいといってもいい。

 

 

 

人生は、本来、苦しさやつらさとは無縁の世界だと考えることもできる。まえに進むことが楽しいから、ただひたすら進んでいるだけなのである。おとなになることで、この本能は死んだわけではない。こうした本能的な成長力にしたがって自分の能力を伸ばしていく限り、その成長は喜びに満ちたものとなる。