なんででしょうね、人は好きな人に自分の希望・理想を押しつけちゃいますよね(^◇^;) 私は、かつてはその相手が親や彼氏だったなぁ。 そして、ぢんさんとこでちょっとずつ自分を紐解いて気づいたのは、結局自分に理想を押しつけてたんだよねぇ。。ということ。 私、そんな立派で美しい人間ではありませんよ?ゲスですよ?だけど、素晴らしいよ? 理想と違っても、ゲスでも、私は素晴らしい。それが心から思えたら、他の人に対してもそう思えるんだろうなぁ。まずは自分からー!
これはあまり知られていない事実なんですが、どうして疲れることをやると良くないかっていうと、疲れるからなんですよね。そして、どうして疲れると良くないかっていうと、疲れるからなんですよ。
「嫌だなあ、やめたいなあ」というときは、とりあえずやめてみるのがよい。大抵のひとは「でもやめてからどうしようかなあ」と考えがちだけど、それはとりあえずやめてから考える。もしもやめたあとに「やっぱり続けたほうがよかったなあ」と思ったら、またやり直せばよい。ときには右往左往も大切だ。
人間といるから疲れるのではない。我慢をするから疲れるのだ。だから、人間が嫌いだという結論を出してはいけない。人間が嫌いなのではなく、ただ、我慢をすることが嫌いなだけだ。
自分に配られたカードをどう使ってどう喜んでいくかってことかなぁ。勝ち方も誰かの見本ばっかり見ないで、自分の手持ちアイテムで作れる物に集中したほうが疲れにくいぜ的な。希望は苦しみとセットだもんね。
金銭というショートカットツールを奪われても身体は残る。
身体でどうやって遊ぶかを今のうちにもっと学んだ方がいい。
正しさを優先した生き方は、挫折に弱いんです。
全てを諦めて「何もできないダメな自分で生きる」ことを決めてからの方が、「生きてる」って感覚があったのが不思議でした。
今の自分をよく知って、今の自分で生きる
起こるべくして起こることが必ずあります。それに対して「起こるように起きてくれたらいいや」とゆったりしていましょう。
別にマイホームじゃなくて、死ぬまで借家住まいでもいいし、休日に海外旅行でインスタ映えする写真撮らなくても、家でダラダラゴロゴロしてたっていいんですよ。無理して人生の主役になろうとしなくても、エキストラ側だっていいじゃないですか
頑張って自力で修行(雑行)してきたけれど、『上を目指す』という執着からであった。それを棄てて、仏さまの願いにまかせて力を抜き、私にできることをさせてもらおうと心を決めた
いわゆる「普通」って「勝ってる側」が決めているんですよね。歌でもそうですが、「あきらめないで」って言っているのは「勝ち組」の人なんです。「勝ってる側」がつくる「普通」を基準にされてしまうと、現実的に負けている人間としては「あぁ……しんどいな」となりますね。
世の中で良しとされている「ハツラツとした自分」「イキイキする生活」みたいなものに毒されすぎているんじゃないかと思います。そんなものを全部取っ払って、「あきらめていいのに」って思うんですよ。
自分が興味を持つ領域のものごとを、自分に合ったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率よく身につくのだということが分かった。