あなたが今、彼がいないのなら、僕からのアドバイスは、これです
適当に生きとったらええ
人生のシナリオは決まっている
これ適当に言っているのではなくて、本当にそう思います。
ロールプレイングゲームってあるでしょう?
あの画面の中で繰り広げられている事は、全部、誰かがプログラムしたもの。プログラムが無数にあって、プレイヤーはどれを選んでいいかだけの話です。
つまりシナリオは全部作られていると言うこと。右に行くシナリオも左に行くシナリオも途中でボスキャラに出会って助けてもらうシナリオも、全部既に決まっていると言うこと。人生もこれに近いと思ってます。
皆の人生にはすでにシナリオがあると言うこと。
だとしたら適当にとったらいいと思うんです。
だから、ありのまま、そのまんまで、何も足さずに楽しく生きていけばいい。
適当に生きていても、その人にとって必要なものは、その人にとって必要なタイミングで、必要な分だけ、ちゃんともたらされます。
できる
すごい
役立つ
うまくいく(成功
ここにこだわったとき
人生の道に迷うのです。
そんな(結果として歪んだ)
目標、計画、なんかも捨ててしまえ。
そんなのなくても
自分は素晴らしい
そういう
「前提」だけ
持っていればいいのです。
私にはまだゲスが足りないんだ!
私には何の罪もないんだ
もっと自分を、どんどん開いていこう!
バカでも能なしでもアホでもいいじゃないか?
この世は楽しんだものが勝者だぜ!
世の中のいう素敵なライフスタイル、自分には楽しくないと気づいて。なに言われても自分は自分って割りきったら、人間関係も楽に人生はハッピーに。なんでこんな簡単なこと長らく気づかなかったのか。。。
嫌いな事はしない
好きな事だけする
バカげてる様で
結果的には幸を掴む
なんで自分だけが、と言う経験は孤独の中で1人考える作業を必要とする。
そのプロセスが各人の個性化につながっている面がある。
悩みに正面から向き合うことによって主体性が生まれるからである。
なんで自分だけが、という切り口で行動することによって、新たな自分を発見できることがあるのだ。
みんなと一緒だと思っていると、自分なりの働き方や生き方を見出すのは難しい。
転んだら転んだで納得いくまでじっとしててもええと思うで。生まれた理由や生きる意味なんてもんはどうせ結果論でどうにでも変わるし。お互い気負わず気楽に行こうや。
存在することは生産することよりもよっぽど複雑である。
私たちの存在は、生産性に関する能力や収入で人間の価値を測る文化の中にあります。しかしながら、生産性を崇拝しすぎると、生きる価値のある人生を形成する「喜び」や「驚き」といった感情を無くしてしまうことがあるそうです。
適当に生きるって大事なことやで。人生に目標なんてなくていいし、達成しなきゃいけないこともない。適当にゆるーく生きてりゃいい。
ワロタ