自分が機嫌良く暮らせれば、それが一番です。

私も、頑張り教出身でしたが、頑張るのを辞めたらもれなく無気力になり、不安や迷いや焦りの期間を経て、最近になってようやく、『頑張らないで過ごす幸せ』って、コレ?と体感しているところです(´ー`*)

 


私も最近じんさんのおかげで
なんとかなる
どうにでもなる
私がやると全てうまくいく
と考えるようにして無駄に努力するのをやめました(^^)
努力=不安ですわ♪

 

 

 

 


あ~わかるわ~。
そんなもんだよ人生は。
努力一辺倒→やめる→無気力→ちょっと戻ってみる→やっぱむり→そのうち慣れる→なんかこれでもいいかと思えてくる
なんだかんだ恵まれてる自分に気づく。

 

努力をやめると、日常ってある意味退屈だけど、そこに幸せを見つけていくのが面白くなってきた、今日この頃です。

 

 

 

適当に生きとったらええ

人生のシナリオは決まっている

 


これ適当に言っているのではなくて、本当にそう思います。

ロールプレイングゲームってあるでしょう?

あの画面の中で繰り広げられている事は、全部、誰かがプログラムしたもの。プログラムが無数にあって、プレイヤーはどれを選んでいいかだけの話です。

つまりシナリオは全部作られていると言うこと。右に行くシナリオも左に行くシナリオも途中でボスキャラに出会って助けてもらうシナリオも、全部既に決まっていると言うこと。人生もこれに近いと思ってます。

皆の人生にはすでにシナリオがあると言うこと。

だとしたら適当にとったらいいと思うんです。

 

 

 

転んだら転んだで納得いくまでじっとしててもええと思うで。生まれた理由や生きる意味なんてもんはどうせ結果論でどうにでも変わるし。お互い気負わず気楽に行こうや。

 

 

 

• 生きるとは「生きている」こと

• 出来ることしかできない

• 持っていないものは持っていない

• その日笑って暮らせれば幸せ

• 自分の物差しは自分だけのもの

• もっと自分のために生きよう

• 感謝しよう

一言で言うと、「死にはしないだろう」と「死ぬときは死ぬ」という考え方が自分の価値観の柱になりました。

だから他の細かいこととか、どうでもいい。

この考えが自分を救ってくれるようになりました。

 

 

 

「非常識人間」として生きることにしました。

いい人とか、常識人とか、生きていく上でとても大事だと思っていたけど案外そんなこと誰も気にしていないし、

もっと「ただ生きていく」だけでいいんだなって思います。

 

 

 

人生を変えるのにがむしゃらに努力する必要なんてないよ。

チャレンジすることと、上手くいかなかったら修正することと、続けることが大切。

大変な道を選ぶ必要はないし、自分が無理なくできる範囲で頑張ればいい。

 

 

 

私も人生全て親の言いなりだったって泣いた時があるけど、そこから自分の人生好きなように生きる、って決めて10年くらい経つかな。経済的な自立がまず一番。今はめちゃくちゃ楽しいよ。がんばれ!

 

 

 

 

なんか最近思うんですけど

行きたいとかやりたいって種類ある気がする。 何かに影響受けて憧れとかで行ってみたいっていうのと、生理現象みたいに、トイレみたいに、欲してるから行くみたいな。 そんで前者は欲してるほどじゃないから行きたいけどお金がないとか時間がないとか人見知りとかブロック出てくる。 結局ブロック乗り越えた経験がその場合欲しいんであって、行く行かないは正直どっちでもいいんだろうな。 でもって、欲して行くの動機の方は本当に行くことややることが目的なんだろうな。 人生生まれる前にみんなそういうプログラム組んできてると思います。 自分は何しにこの人生に生まれてきたのかって視点で見るとわりと悩み減った気がします。

 

 

 

神様なんていない。頑張ったところで、報われないものは報われない。人生で大事なものは、適度な財力と、諦めと妥協と鈍感力

46歳

 

 

 

 


身の丈を知る

超えられない壁を無理して超える必要はない

42才

 

 

 

いざ世の中の不公平さの壁にぶつかり、自分が前提としていた信頼とすべての自信を失いかけたとき、それは必ずしもあなたのせいじゃないし、たった一つの結果があなたのすべてじゃない

 


先々のことに思いを馳せるのは、「建設的」と言えなくもないですが、「建設的」はあくまで“的”なだけであって、「建設」はしていないのだと肝に銘じて下さい。

 


結局のところ、相談者ご自身も仰っている通り、「自分がどう思い、どうするか」でしかない。

 

 

 

ご自分でもハッキリとしたモチベーションがあるわけでもなさそう。

ガソリンが満タンでもないのに、結婚という遠くのゴールに向けての長距離ドライブとなればそりゃあしんどい。

ガス欠は必至。

最悪、山中で途方に暮れることになりかねません。

疲れるのも当然なのです。

しかし、

「ちょっと、いつもと違う人とご飯でも食べてみるか」

くらいなら、近所のコンビニに行くのと同じこと。

 

自分が機嫌良く暮らせれば、それが一番です。

 


“人と比べる”というのは厄介で、人生のコストパフォーマンスを非常に悪くします。

他人と比較して、

「くそっ、俺だって!」

と奮起するのは、若者の特権。

中年世代のモチベーション、残りの人生を走破するためのガソリンとしては、燃費が宜しいとは言えない。

若い頃と比べ残り時間に余裕がないため、そこに割く時間や気力の“勿体なさ”が相対的に増すからです。

40代の我々には、もはや贅沢なのだと悟りましょう。

当面、ご自分に関係のないことは、徹底的にミュート(消音)するのがお勧めです。

肝心なのは己、自分に集中することなのだと繰り返し心の中で唱えましょう。

 

 


失わないように努力しても必ず失うのだから その努力すら無駄なことなのだ。だからはやくやりたいことやろう。