待つことはなく、未来は現在から想像される範囲の延長線上にしかない。これは、効率的かもしれないけど、つまらないと思いませんか。「待つ」には「偶然の働き」に期待することも含まれています。つまり、前のめりになって未来を囲い込むのではなく、外に対して自らを開くことで偶然の働きが起こりうる。
自分の心の振り幅だって思い通りにはできないでしょう。
それでいいんだと思ってください。人間一色に染まったらだめです。価値観が一つしかなければ応用が利かないし、非常に打たれ弱い。複数の価値観があれば、思考の幅も広がるし、人間したたかになれます。
人が精神的におかしくなるのは「時間的余裕がないから」です。
私も自分の感性や世界観を貫きたいと思います。
足並みをそろえないからと言って、意地悪してくる人は
大嫌いです!
でも考えてみればそういう人ばかりじゃなく、
むしろ個性を受け入れてくれる人の方が多いのに、
少数の意地悪な人の目を恐れて縮こまってしまうのは
ただ自分が怖がりであるからだと思います。
怖いままでもこのまま進みます。
お互いに勇気出していきましょう!
嘘をついてまで、皆んなと同じフリをしなくたっていいと思うんですよね。 だって話の合わない他人と、合わせてたって面白くないし。 自分のことは話さずに、他人の話を黙って聞いてあげてたら除け者にはされません。 また、仮に除け者にするような人間とは付き合いたくないので、やっぱり他人に合わせる必要はないかなと思います。 必要なのって、強さなのかなと最近思います。孤独に耐えられない人や、静かに一人で考えることが出来ない人が多いなあ。
「言われなくて済む」
これはとても自分の中で大きい。
前後左右、心が思ったように、動こうとすると(発言も)、そっちに行かせないように働く。
これを言ったら、やったら、
[バカにされる、引かれる、嫉妬される、好かれる、嫌われる、怒らせる、場の空気乱れる、ダメなやつと思われる、目立つ、]
の恐怖。
なのに、これ言いたい、あれやりたいの衝動は強い。
あんまり動いてないのは、止まっているように見えるのは、
アクセルを踏んでないからじゃなくて、
べらぼうにアクセル踏みまくってて、同時にブレーキもめちゃめちゃかけているから。
(車壊れそう)
悲しくてさびしい
最近、いいのか悪いのか、ブレーキをかけてるのをよく気づくようになった。
いらないブレーキの気持ちわるさも大きく感じる。
お昼の番組見てたらモヤッとしたよ~。 詳しくは知らなかったのですが、学校行かずにユーチューバーしてるゆたぼんくん?という少年の発言に賛否、という特集で。 この中の映像でしか知らないですが、この子が変な事言ってるようには思えなかったし、彼が一番言いたいのは そんなにも死にたいくらい学校に行くのが嫌なら、学校なんて行かんでええ、 っていう事のようなのになんか 算数出来なくても電卓使えばいい、 と一部分に反応して批判されてたり… 彼自身は、死にたいと思ってた子が僕を知って元気もらったって死ぬのをやめてくれたのでやっててよかった意味があった、 って嬉しそうに話していて素敵でした。 でもコメンテーターの方々などは、まだまだ学校に行くのが当たり前前提でしか話してなくて、 一時的なら仕方ないみたいな感じで、 将来どうなるのかみたいな心配ばかりで、 信じてあげる事は出来ないんだな…と悲しくなりました。 行くのが自然で良いこと、みたいな雰囲気。 そりゃ自殺するお子さんが減らない訳です…。 行っても行かなくてもいいよね、って言ってあげる人はスタジオにはいなかった。 彼はもし将来大変な事になっても自分の人生、受け入れると言っていたり、 もっと自由にやろう、 と言ってても、 子供の言う「自由」は意味合いが違うし、 みたいな鼻で笑うスタジオの感じが嫌でした…。 彼ならきっと、自分のやりたい事をどんどん楽しくやっていって大丈夫だと感じられるけど、 その大人達は上から、 いつか行き詰まる時や気付く時が来る、 なんて言っていたのも嫌だったなぁ。 そんなん、気付くのはあなた達の方なんじゃないかと思うし、 学校きちんと出た人だって人生に行き詰まってる人なんて山ほどおるやん! とか思いました(笑)。 むしろ、自分の本当にやりたい事をまっすぐやってる人の方がうまくいってたり、何かあっても助けてくれる人が多いんじゃないかと思ったり。 私も昔パニで不登校、学校行けと髪の毛引っ張られて母と戦った事があるので(笑)余計にモヤッとしたのでした。 まだまだそんな感じなんだと。
旅は終わったんだ。