人生はルールのない旅

私だって選んで欲しくてアピールしたし愛想ふりまいたし
今度こそ選んでもらえるかも!って思っても結局手をさしのべられるのは違う子。目の前で選ばれて愛されてく子を何度も見てきた。何度も何度もその光景を見送ったよ。
いいんだ、次は自分の番だ、次こそ、って言い聞かせてる間に疲れ果てて、ふてくされて。捨て犬の気分。私は誰の人生にも関係なかった。
しっぽ振りすぎてちぎれたわ。

 


自分には無縁、、、
そう信じ込んでいた世界を見るぞー!!!


愛しきれなかった、
自分の自由さやワガママさ、
なんだか今、尊いです。

 


できない、経験がない、わからない
これをはっきりと利用者さんに伝えています…
 
 
もちろん苦情くる!と思って覚悟して。
 
 
 
でも、知らんものは知らん…

 


いーねーいーねー
できんもんはできんよなー
だって、出来ないんだもん(笑)

 


自分を認めてあげること、
好きなことをすること、
 
はじめてみたいと思います 
 

 

「突出してるひとは
   ひとにペースなんて合わせない。
 
   自分のペースでどんどん行くから
   突出していく。」 的な。
 

 

罪悪感を持つと、
その行動が正しかろうが、間違っていようが、
スムーズにいかない。
 
 
気持ち良くアウトプットする。
 
シンプルに考えてそうですよね。
気持ちよく生きればよし!

 


逆に、誰かに嫌なことされても、
執着しないで、気持ちよく生きればよし!
 
あ、そう。でよし!

 

虚しさがやってくるのは、今集中できていないからです。遊びも仕事も同じです。
死も含めてこれから何が起こるかわからないことは不安ですが、今集中していたら、先のことは気にならなくなります。


人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。

 


一家団欒は幸福の1つの例です。他ならぬこの子供、この夫と一緒に食事をし、談笑する瞬間が幸福です。
高級レストランで食事をしなくても、同じ時間を共有できることに意味があります。

 

名誉心や野心は人生の最後にはまったく意味をなさない。

私が今の自分に辿りつけたのは、自分の使命に忠実に従った結果だと考えています。

 

幸福とは一般的なものではなく、あくまで個人的で、誰のものでもない独自のものです。


自分だけの、他の人が追随できない幸福を目指してきたからです。


生きていく上で感じる苦しみや挫折感は、鳥が空を飛ぶために必要な空気抵抗のようなものです。

自分の課題は自分で決める。

 

自分の価値は自分で決める。自分の価値は自分で見出す。


自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる。

評価と価値を切り離して考える。


人生設計はできない
過去はもう来ない。
未来はまだきていないのですから、先のことを思い煩っても意味がありません。
明日のことを考えると、気持ちが落ち込むこともあるでしょう。

でもそれは明日が来てから考えればいいのです。

 

人生は思い通りには絶対にならない。そのような現実の中で、どう生きていくかということを考えていかなければならない。

 

他の幸福は脱ぎ捨てることはできるが、真の幸福は自分自身と1つなのだ。

 

ベッドで身動きが取れなくなった時に、お金とか成功とか名誉はまったく役に立ちません。


自分自身ではなく、自分に所属するお金だとか名誉だとか仕事だとかそういうものは真の幸福とはまったく関係のないものだと病院のベッドで気づくことができたのです。


人々の期待に全く反して行動する勇気を持たねばならぬ。

世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い。

 

ま、ただ、いちばんの効果があるのが
 
「私は私の相手に対して出来る事を
精一杯していて」
 
 
これを辞めること、だね。
 
テキトーにやってーーーーー。


そんなにやってるから
「やってるのに、報われない」が
やってくるんだから。

 


だから、キリないのよ、ひとの気持ちなんて考えても。
 
 
その日によっても違うしね。
 


生き方においては、自己満足を目指したヤツが最強だ。
自分を楽しませることさえ出来ていれば、まわりに素晴らしい仲間が集まってくるようになっている。

 

仕事に正解はない。
荷物は軽い方がいい。
持っている安心よりも、ほとんど手ぶらで味わう自由さを。

慣れた住まいを捨てる。

 

大きな存在の前に自分は無力。そう思うことで人は変化することを恐れず、挑戦し続けることができる。

 

人生はルールのない旅。
安心感が欲しくて、あえて重い荷物を持つのか。
自由を感じたくて、荷物を減らしていくのか。

人によって楽しみ方はそれぞれだと思う。
僕は減らす方を選んだ。


焦るな。走る必要はない。
自分が見たい景色を目指して、無理のない小さな歩幅で、ひたすら歩けばいい。