なくていい
平均値にこだわって落ち込むくらいなら
自分にしかできないことを探してください。
私の大好きな利用者さんのお婆さんに教わりました。
辛くてわけわかんない時ほど冷静なんだよね。色々客観的に見れる。自分って一人なんだなとか、彼氏なんていないなとか、嫌われてるのかなとか。知れば知るほど悲しくなるけど、負けたくない自分もいる。そんな自分にいつも支えられて、強い自分がなんとかしてくれて。そんな自分が唯一かつ一番の親友だから、いなくなってほしくなくて勉強だったり身体鍛えるなり容姿磨いたりして強い自分作るんだ。
こういう話聞くと、日本人って生真面目だなーって思う。
何ですぐ「逃げた」って悪い捉え方をしてしまうんだろう…
ムリして逃げずに続けたり体当たりすることだけが美徳なのかな。
自戒もこめてだけど…
逃げて逃げて逃げまくるなんなら振り切る!
逃げ場所なんていくらでもあるって考えたら少しは楽になんないかな?
逃げるが勝ち
私の座右の銘
なんて言うかな。
「逃げるか逃げないか?」
の2択に縛られるよりも
「逃げるは幾つかある解決策の1つ」
と捉えた方が選択肢が広がる気がする。
どんな解決策だっていい。
逃げるのは特別なことではない。
みたいな感じ?
ひとは必ず死ぬんだ、その屍は朽ち果てて、野原の土にかえっていく。はかないことだ。でも、みんな自分と土とは無関係だと思い込んでいる。おろかなことだ。むしろ、こう思わなくちゃいけない。どうせひとは土になるのである。それなのに現世に執着して、財産を貯めこんだって意味ないじゃないか。そんなの全部捨てちまえ、土になれ、なんにもなくなったまっさらな大地からもういちどやりなおすんだと、そういっているのである。
散って狂って捨て身で生きろ。念仏がオレの命だ、それを禁止するというのであれば、どこにも行き場所なんてない、いまここで死んでやる!!
「ついぞ、現れはしなかったな。このジャガーの皮のシートのように私を包み込んでくれる男性は」
みんな、真面目すぎるんですよ。もっと外道にならなくちゃ。
私なんか10万欲しいなら
とりあえず100万くれ
と言ってみる。
そもそも心とは何か、という話だ。
たぶん人間ってものは、たまねぎみたいなもので、
空洞の周りに、いろんな飾りをつけている存在なのだろうと思う。
その外側の飾りこそが、人間と呼ばれているものを構築しているのだ。
僕は人間は中身だと思わなくなった。
外側の飾りこそが人間の本質なのだから。
あとはどの飾りを重視するか、なんだよね。
たぶん、人間って自分たちが思い込んでいるほど人間じゃないのかもしれない。
何か面白いことはないだろうか。
と考えながらすごせば見つけやすくなります。
旅行の話。
流行の話。
おいしい料理の話。
なにかを経験することは、話のネタを作るのと同じです。
話のネタを準備する気持ちがあれば、新しい挑戦も勇気が出やすくなります。
楽しい出来事に遭遇したら
「よいネタを見つけた。今度はこれをネタにしよう」
よし、失敗してやろう。ダメになってやろうと覚悟を決める。うまくやろうとするからダメなんだ。成功するためでなく
「よし、失敗してやろう。ダメになってやろう」
と覚悟を決める。
せっかくもらった人生、せめて残りの時間だけでも自分らしく生きようって。
私は今心からそう思っています。逆に若い時にもがき苦しみ続けたからこそ遅咲きでも輝けるのかもしれません
一方、絶対にやってはいけないのが「他人と比較すること」他人と比較するから劣等感を感じます。他人と比較すると、今の状況が0ではなく、マイナスからのスタートだと感じてしまいます。
30歳で自殺したあいつの貯金額は300万円だった。もったいない。
死ぬ前に使ってしまえば良かったじゃん。
ほったらかしにして、遊びの部分を残す。
人生は暇つぶしだと思ってから急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。たかが人生おどらにゃそんそんである。
どうせ劇も始まったことだし、思い切り舞台の上で暴れてみようか。
オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さがそこにあるような気がする。