皆違う初期値、違うHP、違う環境。不公平な才能。不公平な運。だとしたならば尚更、人生ゲームを完走できれば、それはそれで評価されるべき事だと思うダス。

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身内に何も持って無いのに人生めちゃ楽しんでる人がいるんだけど、見ててすごく思ったのが、結局悲観しない人が最強で一番幸せなんだなと。

私は悲観タイプだから全然人生楽しめてないし生きてるのが辛い。

人生90年(ぐらいか?)、ポジティブに生きるって本当に重要。

 

 


よーく考えて見ると、いくら美味しい物をたくさん食べても、好き勝手なことをしても自分の心は満足しないかもしれませんね。自分なりに一所懸命生きてきたことを誰かに知ってもらいたい。自分が生きてきたことを忘れないでもらいたい。切羽詰ると、願うことは、自分の存在を残していきたいと思うのかもしれません。

 


自分のためにではなく、人のため、社会のために自分の力を尽くすことが、自分がこの世に生きた証を残すことになるのです。

 


衣食住が満たされても、生き甲斐がなければ、人間は楽しく人生を送ることができません。人生の価値は、人のために、社会のためにどれだけ尽くすことができたかによって決まってきます。現在の平均寿命が八十歳位だから、自分はまだまだ五十年や六十年はは生きられるぞ、と思っても、自分の命がいつ終わるのかは誰にも分かりません。長い長いこれからの自分の人生を二週間に凝縮して考えてみましょう。

 


自分のためにだけではなく、人のために何か役立てたいと思ったならば、長い人生があるとは思わずに、いつ死んでもいいように、一日一日を少しずつでも誰かを喜ばすために生きていきましょう。そうした積み重ねが素晴らしい自分の人生となっていきます

 


わたしたちは、死ぬときに、お金も家も車も恋人も家族も、何も持って行けない。自分が着ている服も身につけている指輪も、何ひとつ持って行けないのだ。持って行けるのは、もう持ちきれないほどたくさんになっている思い出だけだ〜中略〜よき思い出を作ることだけが、人生でできることなのではないか、そう思う。      人生の旅をゆく より

どんなに気に入って手に入れた器もあの世には持っていけない。でもその器を眺めてうっとりした幸せな気持ちや、楽しく家族と食事をしたことや、そんなことはきっと思い出として魂に蓄えられてあの世に持っていけるのかもしれない。

そうであるとしたら、魂レベルで思い出に残る、そんな物しかもう増やしたくはない。そんなことを思ったりした。それは高い、安いではなくて。

 


年齢にこだわったり、それによって行動を制限する必要はありません。人生でたいせつなのは、「今まで何をしてきたか、そして、今何をしているか」です。

世間一般で正しいと言われる方法や順序なんて、無視してしまっていいのかもしれません。ゴールさえ明確に見えていれば、そして「いつかそこにたどり着いてやるんだ!」と信じていれば、たとえ回り道をしたとしても、いつかたどり着けるはずですから。

 

 

 

人は後天的に頑張ったところで、それほど劇的には能力が上がらない

 

結局どれだけ目標を大きく持っても、その人にはその人なりのキャパがあります。

大社会から距離をとって生きることで、目の前の小社会から安息を手に入れることはできます。

 


みんな余裕ができてから欲求を増やせばいいのに、諦めない人が多いから、人生序盤からコストがかさんで無自覚のうちに人生をハードゲー化しちゃってる。

 


「気づいたら自然の自分に備わってる謎なスキルと欲求」=「性癖」に従って生きれば、毎日がしんどくなくなる。

 


要は、あなたを生きづらくしている最大の敵はあなたの中にいる見栄や恥、差別の心なのです。

 


自分にとって余剰のものは、ただ持っているだけではメリットはありませんが、欲しがっている人に譲渡すれば、自分もそこで見返りを得られます。

 


誰かと価値の交換をするときに、あげることでしんどくならないもの、減らないものを相手にあげること

 


価値交換の際に「自分が消耗する嫌なことを極力避けられれば、人生はどんな場面でも黒字化する」ということなのです。

 


生存さえしていれば次がある。

 


妖怪になるためのポイント


それは「あきらめた」自分を隠さないこと。


「あきらめちゃった〜!イェーイ!」ぐらいのテンションで生きて、適度に人に助けてもらえばいいのです。

 


あー、できないことやろうとしてたな!! できることだけしようって(*´3`*) そしたらふわって気持ち良くなって

なんかレベルの高いことしよーとしてたよ。馬鹿だなあ。そんなに才能もないくせに。よく見せようとして。喜んでもらおうと、褒められようとして。無理してた。やめやめ。ぜーんぶやめ。できることしかできないもん!!! もっとできることのほうに気づこうって。それでちゃちいことしかできなくても、それがいまの自分なわけだし。何ら恥じることなくどーどーとみせちゃるわヽ(^o^)丿 です!

 


「勇気」って、どうすることなんだろう。
 
それは、簡単に言うと
「信じてきたことを変えること」です。
 
信じてきたことを、
もう信じない。
 
そして、新しいことを
信じるということ。
 
それは
「自分は、傷ついても、失っても大丈夫」
「自分は、失敗しても価値は変わらない」
「自分は、嫌われても愛されている」
 
そう、信じること。
 
逆に
 
「自分は、失ったり、傷ついたらもう終わりだ」
「自分は、失敗したら価値がない、捨てられる」
「自分は、嫌われて愛されない」
 
という信じていることを
「やめてみよう」

 

 

 

所詮、僕らの人生って、

始まったときから、すでに「大ハズレ」なのだとしたら。

 
もう、何したって、大ハズレなんだから。
大ハズレからは、逃れようもないなら。


大ハズレ楽しむしかないよな(・∀・)

 

だから、
諦めて遊ぼう!笑。遊ぼう(・∀・)

 


人生なんて大切じゃねーよ。笑、

 

無駄にしろ、無駄にしろ。笑。

人生なんて苦しむに値するほど価値のあるものじゃねーっってまじで。笑。

 


他人からの期待や評価や、

意見を完全に無視して。

 

とことん

ゴミらしく

堂々と生きてりゃいい。

 

なんか言われたら

「あ、私ゴミなんで、お前の意見とか興味ないから黙って」

でいいよ。笑。

 

 

 

生粋のゴミになるまでは正直数年かかるかもしれないけど。笑。

ゆっくりゴミトレーニングしてたら大丈夫

 

 

 

好きなことを仕事にするということが大きな幸福感をもたらしてくれると言うのは全くその通りだと思います。一般的な趣味は、道楽と言うのは、仕事の合間にやるから、気分が変わって、楽しいわけで、四六時中やっていたのでは、それはもはや趣味ではなく、仕事です。

でもその仕事が本当に自分の好きなことだとしたら、これ以上楽しい事はないでしょう。

 

 


あなたが、あなた自身の最大のパートナーとして

いつも共感してあげていること。

それが、人生が自動ドアが次々と開くように

スムーズにうまく運ぶ秘訣だと思うんです。

 


お金が欲しい人だって

結局、お金があれば幸せになれると思って

欲しいと言っているわけで

 

毎日、幸せにウキウキ入られたら

それが実は到達点なわけです(・ω・)b

 


40歳独身一人暮らし。前は死にたいと思ってたけどね。今は週2でバイトしながら暮らしてます。

家賃は25000円。貯金はゼロ。借金はないです。

結婚とか仕事とか全部あきらめたらすごい人生楽しくなっちゃいました。将来とかどーでもいいなもう。週休5日だけど結婚しなくて良かったと思うわ

 


いやいや、皆、世間と自分に洗脳されているから。目を覚ますだす。

そもそも普通の人生って無いだす。

何処にそのような認定機関があるんすかニャ?総務省はそんな認定してますかニャ?

それはチミの頭の中に居座ってチミを苦しめているだけダス。

 

皆違う初期値、違うHP、違う環境。不公平な才能。不公平な運。だとしたならば尚更、人生ゲームを完走できれば、それはそれで評価されるべき事だと思うダス。

 

形に残るものじゃなくて心に残る物に金を使え。

 


与えられた才能を、大事にしてください。人は、自分に与えられた才能を活かすことでしか、本当には生きれないと、私は最近思っています。才能ってそんな特別なものじゃなくて、本人にとっては普通の、当たり前のもので、でもそれを折ろうとする外圧に負けたら、消えてなくなることもあるんです。外圧に負けないで、自分にしか生きられない、いい女の人生を手に入れてください。

 

積み上げてきたものが違うのだから、相手の学力についていこうと無理をしなくてもいい。そのかわり、わたしが持っている面白いものを相手に提供すればいい。やってそう割りきれるようになったの、実はつい最近のことなんです

 

世の中に 寝るほど楽は なかりけり
浮世の馬鹿は 起きて働く

 自分が本当に価値があると思えることでしか、僕らは表現できないのだ。  それは伝わる。

顧客の選り好みが正しい3つの理由

このようなオンリーワンビジネスで最も重要なことは、みんなから嫌われないように無難に装うことではなく、自分が本当に付き合いたい人に好かれることです。

つまり、狭めて捨てる勇気が必要なのです。

なぜこのようにするかというと以下のような社会的変化があるためです。

 

  1. マーケットの縮小
  2. 好みの細分化
  3. 格差社会

 

お客さんにニュースレーターをだし健気にフォローすること。

 従業員を大切に、彼らとのつながりやコミュニケーションを大切にすること。

 

 それをやることであなたは楽しいだろうか?

 お客さんは喜ぶ? 従業員は喜ぶ? 

 

 自分が本当に価値があると思えることでしか、僕らは表現できないのだ。

 それは伝わる。

 

 自身の納得できる商売をしたものだ。 それがブランドになる。 それに気づかせてくれる本だ。

 

 

お客様を選ぶことは大事だと思いました。 フリーペーパーを見れば、恐ろしいほど低価格を競ったお店が並んでいます。

そんなのに魅かれるお客様は、価格に魅かれているのであって、店に魅かれているわけではない。

価格でないところで、勝負するには、店のリアルブランド力。

いかに、自分の店の信念や技術などがいいかをお客様にアピールするか。

 

価値のつくり方─『まちぶせ』に学ぶ

売る側が買う側を追いかけてはいけない。さりげなく商品の価値を認識させながら、最終的には相手から追いかけさせる。

 

 

音を楽しむことを「音楽」と言います。
何かその道のものを楽しむことを「道楽」と言います。

楽しむことを「粋」と言います。

楽しまないことを「無粋」と言います。
という個人的解釈です。

 

”私の思考を変えるしかない。だから今日からの私は
”今この瞬間が、大合格で本当に凄くて、拍手喝さいで、リスペクトで、
誰が何を思おうとベストな大好きな、私なんだ”と思うことに決めました。

 

幸せとは①衣食住を通して生命を維持することができ
    ②誰であろうと他人の意見に左右されず、自由に意思決定ができる
    ③自分を愛しているということ
つまり、何とか生きられて、愛する自分と本当の自分との二人暮らしができると儲けもんだ!ということ。
あらゆる条件を全て手放してみるとびっくりするくらい人生が楽にシンプルになった!

 

幸せと引き換えにあきらめるべき10のこと

1.他人が自分のことをどう思っているのか気にするのをあきらめる
2.みんなに好かれようとするのをあきらめる
3.うわさ話に参加するのをあきらめる
4.心配することをやめる
5.不安を手放す
6.何もかも自分に関係があることだと思わない
7.過ぎたことはあきらめる
8.努力せずに買える幸せのためにお金を使うことをあきらめる
9.怒るのをあきらめる
10.コントロールすることをあきらめる

 

叶わない夢を掲げて死ぬまで絶望するよりも、目の前の現実から地道に不幸を排除していくほうが、はるかに生産的です。

“「できないこと」を嘆くより、「このままどう生きるか」を考えてみよう。”

ラクしてお金をいただくって
 
自分を無理させないで
等身大の自分で
お金をいただくってことですわ

 

自分を満たしていく、自分の波動を上げていくことに集中していれば、勝手に相手が影響されるのです。

 

どんな小さなことからでも、自分を満たすことを始めればいい。

それだけで、人生はぜったいに変わっていきます。

 

先が見えない挑戦を繰り返すことで得られるのは、自分自身です。

すなわち、

 

今まで自分も知らなかった

自分に出会える

 

物事をシンプルに捉えるには、

• 一度、それから離れてみる

• 一時ほど別のことをやって戻る

• 複雑になる手前から再スタート

• ダメなら思い切って捨てる

 

もともと多くの人は生活の為に嫌いな仕事を続けています。ですが嫌いな仕事でもしっかりと休息をとりストレス解消をする事で嫌いな仕事でも10年、20年と続ける事が出来るんです。

しかししんどいと思った時にストレス解消が上手く出来ないと、ストレスのせいでイライラしますし、もともと嫌いだった仕事がより嫌いになってしまいます。

そして仕事を辞めて、そのままずっとニートになる人だっていますよ。だからニートにならない為にも休むと言う事は大切な事になります。

 

サボると聞くと嫌なイメージしかないですが、仕事が長続きしてる人ほどサボるのが上手いです。

仕事で偉い人になっている人ほど喫煙所でたばこを吸っていますし、若くて世渡りが上手い人はトイレの個室に隠れてスマホアプリをしてる人も多いです。

この様に、仕事なんて真面目にやらないでサボりながら働く方が、確実に精神状態は良くなりますよ。

 

期待しないためにはできるだけ楽に生きていくことが大切だ。いっぱいいっぱいの生活を送らないこと。期待しないためには、自らを犠牲にしないこと。自らを生贄に捧げ、何かすごいものをしょうかんしようとしないこと。見返りを求めてしまう、失望してしまうのは、そこに大きなコストをかけているから。

 

人生は短いので、さっさと幸福を手に入れるに尽きる。

 

節約よりも、お金に頼らずに生き抜く力と技術。アイデアや工夫があれば、お金をかけなくても豊かで気持ちのよい毎日を過ごすことができ、将来への不安も軽くなります。

 

「まあ、これぐらいでいいか」というところで、やめておく。八十パーセント、いや七十パーセントぐらいできていれば、それで充分だ。後は「次のお楽しみ」として残しておくのが最良の策である。だいいちそのほうが上品である。

 

僕、本当にリセット大賛成の人間なんで。そんなもん人生で何回もリセットするべきやと僕は思いますね。いつまでも過去の自分、昔の自分がって、結局それはストーリーというか、人生が続いてるっていうふうに思う人もいるかもしれませんけど、人によってはただの足かせですからそれは。鉄の靴、磁石の靴はいて、ずーっと砂鉄がどんどんどんどんついてるみたいな状況の人もいるわけですから、それやったらもうリセットして、もう一回やり直せばいいと思う。

 

前は、よくこんなこと思ってました 

でも行き着いた先は、生きることに意味を求めすぎてたなってことでした 

意味を求めすぎると、疲れちゃうんですよ 

すごい人はこの世にたくさんいます、天才もたくさんいます。 

そういうところはそういう人たちに任せて、自分は自分で日々を過ごしていけばいいんです

人に任せればいいんですよ 苦手なこと やりたくないこと したくないこと 

やらなくていいんです 人に任せればいいんです

最低限、やればいいの。

 

あきらめるべきことは上手にあきらめて、じたばたしないことをよしとするのです。簡単にあきらめていいわけではありませんが、自分の力の限界がくれば、より価値の高いものを守るために降りるのは悪いことではありません。人生と命を守るために、この世のあらゆることを、降りる選択肢にしておくべきです。この世のことをすべてあきらめてしまって、一度身軽になるのはけっして悪いことではないと思います。それは人生そのものを降りることでは絶対ありません。

 

「人生を降りる」とは、社会的成功や他人との競争を離れて、自分に合った持続可能な幸せを自分で発見していくことだと思うのです。

 

「いまの自分ではだめ」「結果を出さなければだめ」「人の役に立たなければだめ」……。自分を否定する気持ちにとらわれてしまうと、「もっとがんばらなければ」というループに入りこみ、どんどん苦しくなってしまいます。

 

“「できないこと」を嘆くより、「このままどう生きるか」を考えてみよう。”

できない事や自信がないことは「しなくていい」んです。すぐに身を引いてできる事だけをやりましょう。

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検討に検討を重ねた結果 購入を決めたあかつきには 徹底的に使いたおす! これがモノを買うときの私の信条です。

買うからには モノの役目を全うしてもらいましょう。

 


どのひとも、

豊かで幸せな人生になることは

決まっています。

 


どんな道かが、

人によって違っているだけ。

 


あなただけの自分の道を、

不安を抱えながら進んでみてください。

 


災難にあう時節には 災難にあうがよく候
死ぬ時節には 死ぬがよく候
これはこれ 災難をのがるる妙法にて候

 


良寛さんのお話のように

 


「なんとかしようとしないこと」

 


も大切だったりします。

 

 

 

ただ、やってくる災難

ただ、やってくる悲しみ、苦しみ

 


それを「なんとかしよう」「解決しよう」

と、もがくのではなく

 


「ああ、悲しいなぁ」

「ああ、苦しいなぁ」

「ああ、大変だなぁ」

 


と、「ただ、感じる」

「ほう、そうか」と

ただ、受け容れる 。

 

 

 

「しかたがないねぇ」 と

ただ、受け容れる。

 

 

 

お金が人を幸せにすることはありません。

しかし、お金持ちが幸せであることは事実です。

なぜならば、人は幸せに生きていれば、自動的にお金持ちになっていくからです。

お金があるから幸せなのではなく、幸せだからお金持ちなのです。

 


お金はひとつの【人格体】である。

お金を愛しすぎて家の中に閉じ込めておけば、

お金は機会さえあれば出て行ってしまおうとする。

他のお金に、お金の持ち主がケチだから来るなと言うだろう。

逆に、価値のある所と良いことに使われたお金はその待遇に感動し、

再び他のお金を連れて持ち主を見つける。それがお金の本質だ。」

 


一番のベースは人を敬う気持ち、他人に喜んでもらう嬉しさなどがわかっていないと良い話は来ない

 


マスコミや世間の他人軸に惑わされず、自分が本当に欲することを満たし続ける人は魅力的に見えるから、人が集まり、結果運が良いのだ…と理解しました。

 


生まれつき持ってるものを信じること

 


「禍福はあざなえる縄のごとし」と言うように、わたしたちは幸運によって何かをつかみ、

不運によって何かを失うと同時に、幸運によって何かを失い、不運によって何かをつかんでいます。

 


幸運は、特別な人だけに訪れるものではありません。

誰にでもできるちょっとした意識の変革で、グンと引き寄せることができるのです。

 


自分を愛し、自己肯定感を高めていき、自分自身を寵愛した素晴らしい存在として認めてあげてください。オリンピック選手だから凄い、営業成績が1位だから凄い、とかではなく神秘的な存在として世界に一つ、銀河に一つ、宇宙に一つしかないくらいに稀有な存在として自分を敬愛してください。

 


できない事や自信がないことは「しなくていい」んです。すぐに身を引いてできる事だけをやりましょう。

 


自分が良いと思ったものは、とことん褒めちぎって、それに全力で「良い部分」を自分の中に取り入れていったらいいと思います。

 


「お金を有り余るほど持っていて行動している」、という事や「できない事はそもそもやらない」というペンギンちゃん作戦などをうまく活用してプラスのオーラで包み込んでいただければと思います。まずは「自己肯定感を徐々に上げて

宝くじを買ってみよう!」これに対して、そんな事、と思うかもしれませんが「そんな事からでいい」のです。とりあえず、出来ることからやってみてください。宇宙一素敵な貴方に幸あれ。

 


まず自分の心を豊かにしてゆとり、余裕がなければ、その隙間に「何も」入ってきません、入れません。

「問題がある状態を楽しむ」、「小さな行動を着実に繰り返す」、「人真似だと言われてもくじけずに続ける」

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「現実は注意力によって作られる」

・あなたの人生とはすなわち、あなたが注意を向けたことの総体である。人生の終わりを振り返ったとき、そこにあるのは注意を向けたことたちであって、それ以外の何ものでもない。

 


「選択肢は少ない方がいい」

・高みをめざして努力するためには、努力の対象となる何かに、比較的永続的な方法で腰を据えなければならい。超一流の弁護士や芸術家になるためには、まず他の可能性をすべて諦めて、法律や芸術を学ぶことに打ち込まなくてはならない。やりたいことを全部追い求めていたら、どれも中途半端に終わってしまう。

 


人生は短い。思い切ってひとつを選び、無限に広がっていた可能性を封印する。その一つに注意力を向ける。やるべきことをやる。今できることを積み重ねていく。それが自分の人生をいきるということだと感じた。

 


いつかたどり着く、あるべき姿、理想の生活を求めて、目標に向かい毎日を過ごす。しかし、いつまでたってもその理想の状態にはたどり着くことはない。何故なら、常に今より良い状態を理想とするからである。

 


タスクを効率よくこなすと、その分だけ新しいタスクがベルトコンベアのように運ばれてくるのが実情ではないか。

 


沢山の選択肢があるが、ほとんどの事には着手できないと認識したほうがよい。何事もしっかりと取り組むには、それなりに時間を必要とする。

 


レストランのメニューに例えるなら、美味しそうなものが沢山あっても、一度にすべてを食べることは不可能である。通常その時、最も食べたいものを選択する。

 


その時に自分にとって最適なことを選択する。その他の事は捨てる。

 


80才まで生きたとして、たったの4000週間しかない。限りある時間の使い方を見直したほうが良い。最悪、明日を迎えられない可能性もゼロではない。

 


時間が有限であること、未来の保証はないこと、いつかたどり着く理想の状態はないことを、まずは受け止める。

 


その上で物事を判断する。

大量のタスクをこなすことは諦める。

 


大切な今日1日である。

何か一つの仕事に取り組むのもいい。

ちょっと贅沢するのもいい。

家族とゆっくり過ごすのもいい。

何もせず、ただ休むのもいい。

 


本書を読んで、未来の為に計画的に過ごすのも大切であるが、毎日そのもの、日常そのものを楽しむことが重要ではないかと感じました。

 


人間は不安や焦りを感じる生き物なので、毎日の事を楽しめるということは一生のテーマかもしれません。

 


日が昇れば起きて日が沈めば眠る中世の農民の生活はゴールや競争がないもので、時間や効率化という概念自体がなかった。

 


産業革命が起こって農民が工場で働くことになり、労働時間を効率的に管理するようになってから、時間に値段がつけられ、時間を「使う」ようになった。

 


その結果、効率的、生産性、マルチタスクといった言葉が生まれ、時間の管理をするようになったという。

 


多くのタスクをこなせばこなすほど、期待値が上がって仕事が速いと評判になり、さらに多くの仕事が降ってくるという「効率化の罠」にはまっていき、時間は決して余らない仕組みになっているという考えはとても共感できた。

 


資本主義の成功者たちは、時間を有効活用して利益を生むための道具として使うことに躍起になるあまり、現在の生活を将来の幸福に向かうための手段としか考えられず、現在を楽しむことができないという意見も興味深かった。

 


将来の利益のために人生を道具化しない貧しい国の人たちは、現在の喜びを十分に味わうことができ、幸福度の指標が高いという話も非常に納得できるものだった。

 


また、「アテンション・エコノミー」という人々の注意・関心に値段がつけられ、SNSなどのコンテンツ提供者がそれを奪い合っている現代において、興味のないことに無理やり注意を引きつけられ、気づかないうちに時間を無駄にしてしまうことは本当によくある。

 


これが単に時間を無駄にして気を散らすだけのものではなく、「自分の欲しいものを欲しがる能力を壊してしまう」というのが何よりも深刻だと思う。

 


現代人は、常に不安と焦燥に駆られ、時間に追われている。

 


そんな中、どうすれば結果を未来に先送りすることなく、現在の行動そのものに満足を感じることができるのか。

 


本書では忍耐力をつける方法として、「問題がある状態を楽しむ」、「小さな行動を着実に繰り返す」、「人真似だと言われてもくじけずに続ける」ことをあげており、その場に留まって現在地をゆっくり楽しむことを提案している。

 


ほかにも、「他人と時間をシェアする」、「抽象的で過剰な期待をきっぱり捨てる」、「ただ目の前のやるべきことをやる」「ありふれたことに新しさを見出す」、「退屈で機能の少ないデバイスを使う」、「何もしない練習をする」など、限られた人生の時間を受け入れる色々な方法をあげているので、時間に追われて困っている人はぜひ本書を読んでみてほしい。

 


現実でない選択肢は魅力的に見える、と言う。これは、現実じゃないほうは欠点が見えないから。

 


準備をいくらしても快適な完璧な状態は訪れない、と言う。ほんとその通り。40年生きてそうだったし。だから何者にもなれないんだ。

 


でも著者は言う。あなたは今の状態であなたであるし、今の状態を生きるべきだ、今みえる、次にすべきことをすべきだと。

 


なぜかというと、すべきことを快適にできる状態は訪れない。だから、今、不安でも暗闇のなかで一歩を踏み出せと。それでも暗闇が消えることはない。絶望しろ。絶望できるから、希望があると。

 


『お金を増やすこと自体を目的にすると、ただの奪い合いになる。共有することはでけへん。僕らが確実に共有するのは未来なんや』

 


一人ひとりの消費者が、価格のモノサシを捨てて、自分にとっての効用を増やそうとしないと、生産者も消費者も幸せになれない。

 


幸せになってから、幸せと言えるのではありません。  まだ何も得ていない、ぜんぜん足りてない、何も叶っていない、何も達成していない、悪いことも問題も山積み。  そんなダメダメな今を「幸せ」と言えること。  未来ばかり見て、一生懸命、幸せのカケラを集めていたけれど、なんだ、すでに手にしていたんだ。  自分のなかに、幸せって、あったんだ。

 


「先に幸せになる」。そのココロは、「すでに幸せである」という事実に気づく、ということ。  これが、一番大事なのです。 「え?! これが、今のこの私が幸せなの?! そーーーなんだ!!」と。

 


やることというのは、キャッキャ言いながら楽しむこと。  やめることというのは、がんばること。  がんばることをやめて、キャッキャ言っていればいいのです。  そうしているうちに、いつの間にやら叶っちゃった。  勝手に願ったとおりになっていっちゃった。  僕の周りは、みんなそうです。

今が不幸でももう構わない~誰かが決めた基準の幸せはもういい!

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5年前に離婚の45歳、子供なし、毒親による迫害から絶縁して天涯孤独の身。

自分が想像している人生とは違ったけれど、今が一番私らしいのかもと思える

ようになった。特別なことを望まず、周囲と比較せず、静かに過ごす時間が増え

自律神経が安定してる。絶望、孤独を経てたどり着いた穏やかな幸せが今ある。

 


3年前、ずっと貧乏だった私は地域で一番高級と言われたマンションを購入しました。幸せと思ったのは一時だけでその後、虚無感に襲われ辛い日々が続きました。幸せってなんだ!改めて考えさせられています。

 


幸せに執着しない方が、

幸せに近づけそうですね!

 


私もいつか幸せになりたいと思っていました。でも、そのいつかとは永遠にくることはないのだと気づきました。幸せの青い鳥は探しても見つからない。今目の前にある一杯のお茶に幸せを感じることが幸せなんだと。

 


幸せとは一体何なのか、幼少期からお金の事で両親はいつもケンカをしていましたし、結婚してからも お金で苦労して、やっと少し余裕が持てるようになったら、それを維持する為にクタクタになりながら働かなくてはいけない状態で、今度は身体を壊すのでは?とか、毎日疲れから イライラで家庭がギクシャクしてしまうという状態です。決して、お金や物が幸せをくれる訳ではないと感じています。

 


仏教で言うところの、執着を去ると言うのに通じますね。この世的なものを捨て去ることで、本当の価値や幸福に気づくと言う意味です。

 


自分から出た欲がその人自身を苦しめると言うのは真理だと思います。

 


欲の放棄は一見諦めですが、そこから新しい価値としての幸福が始まるのだと思います。

 


「いつか幸せに」は「今無理をして」ということかもしれないですね。でもいつかなんてものは無くて、今が続いていくだけです。今を満たすように、今を遊ぶようにありたいと私も思います。

 


>幸せになる事を諦めたからと言って不幸になる訳ではない。

まったくその通りですね。

 


暗闇の中だからこそ、飾り物ではない本当の光が見える

そんな時代になるのでしょうね!

 


幸せについて考えたり、感じたり、語ったり出来る…それが幸せ。心臓発作で息ができない時、疼痛にひたすら耐えている時…人は思考を停止します。一息つけてああ助かった…それが幸せ。幸せはここにあって、そして人それぞれ。

 


幸せは結果ですよね

目指すものではない、ふと自分が幸せだと気づくことができる、それが幸せだと思います

綺麗事とかではなく、息をしていること自体が幸せそのもののはずです

それを忘れてしまうこと、自分は満たされていないと思ってしまうこと

それは私達の、一個人の「幸せ」というものの概念、捉え方が「本来の幸せ」とはかけ離れているから

"自分が考える「幸せ」が幸せそのものであると信じ込んでしまうから"、でしょうね

 


今が不幸でももう構わない~誰かが決めた基準の幸せはもういい!

 


「さんざん騙されてきた」私も同感です。「夢を持て」夢が持てないって悪いことなの?『今より幸せにならなくてはならない』『前向きな思考にならないと幸せになれない』そういった考え方に疑問がありました。

 


幸せになりたい!って強烈に思うほど、今を不幸だと決めつけている気がします。

若い頃、「一生一人でいいや。一人で生きてくもんね!」と突発的に実家を出たら主人と出会いました。不思議なものです。

 


人生楽しんだもん勝ち、というのも観念の一つですね。

諦めたところから別の次元が始まるような。

生を諦めたら、死を受け容れれば、逆説的に生が活き活きと始まる、と。

捨てたら入ってくる。

執着が無くなるから、かもですね。

 

 

 

私も誰かと結婚してしあわせになれる…

海外に来て、パートナーと暮らすようになっても、その幻想を抱き続けてきました。

でも、わたしにはその縁はないんだよな~

(占い師3人にあんたは一生独りと言われた)

 


自分の人生を受け入れて、一人でつつましく生きていく。

その選択肢のほうがスッと入ってくるし、合っているということに気づきました。

 


真理を話されていると思います。私も同じような経験をして、全てに絶望しました。でもそこからとても楽になった気がします。

 


考えないで生きてきたな、ただ、淡々と、目の前のこと、やってきただけ。簡単に、いきていきたいな。

 


やりたいこと、やっただけ。やりたくないことは、あまり、やらないで、いきてきた。

究極のアンチエイジングと予防医学は、人生を心から楽しむことだ、絶対に間違いない。 家族や友人とよく笑うこと、よく寝ること、やりたいことをやってること。貯金があればなお良し。

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人生は80年間の夏休みと考えたらいいのだよ。お金があまりなくても、かからない生活や遊びをする夏休みもok、お金を使って幅広い遊びをする夏休みもok、お金がないなら「お金作り」という遊びをすればいいし。

お金は、作るのも使うのも、いずれも遊び。

みんな、地球に遊びに来たんだぞー、忘れるな!

 


究極のアンチエイジング予防医学は、人生を心から楽しむことだ、絶対に間違いない。

家族や友人とよく笑うこと、よく寝ること、やりたいことをやってること。貯金があればなお良し。

 


①リタイヤして好きな趣味に没頭したりのんびり生きる人生

②社会活動が一番楽しいという人生

 
①なら運用資金1億円で年利10%とか。

②ならそのうち勝手に金か人か信用かは貯まってしまう。

 

 

 

ほとんどの人が無意識に、

①金>時間

②何かをすること>ただ今を味わうこと
という人生文化なんですね。


何か行動してたり、成果を目指してたり、手に入れたり、をしないと、

生きてる喜びや充実感を味わえない文化。

で、その先に、自由や幸せがあると思ってる。

NONO。それ、生涯手に入らないよん

 


女は学歴より教養と外見と愛嬌。
 男は結婚したら他人になる。
 子供は可愛いが、生き甲斐にしてはだめ。
同意。しみじみそう思う。夫は義家の人間だし。
なんだかんだで最後はお金。
夫より子供より、自分自身を軸にして生きる方が良い。

 


世間の人達は色々言ってくるが、誰も私の人生の責任は取れない。だから悩むのやめた33歳。

 


今年50歳になります。
30代40代なんてまだまだ若い。何でもできるよ!
私は昨年末で長年やった接客業を辞めて、事務系の仕事に転職しました。
この歳からでも新しいチャレンジってできますよ!

 


32歳
世間でいう幸せ、多数派の生き方・考え方に沿って生きても必ずしも自分が幸せになれるわけじゃない。
自分の幸せは自分のセンサーだけが教えてくれる。

 


世間に流されず自分の意思をもって
自分を信じて生きてる

 


ラカン
失敗は成功したら途中経過になる
諦めなかったら成功する
どこまでやり続けたら成功するかわからないから、途中でやめてしまうんだよね。
途中でやめてもまた再開すればいい、と、この歳になったら思える。

 


“人と比べる”というのは厄介で、人生のコストパフォーマンスを非常に悪くします。

 


他人と比較して、
「くそっ、俺だって!」
と奮起するのは、若者の特権。
中年世代のモチベーション、残りの人生を走破するためのガソリンとしては、燃費が宜しいとは言えない。
若い頃と比べ残り時間に余裕がないため、そこに割く時間や気力の“勿体なさ”が相対的に増すからです。
40代の我々には、もはや贅沢なのだと悟りましょう。
当面、ご自分に関係のないことは、徹底的にミュート(消音)するのがお勧めです。
肝心なのは己、自分に集中することなのだと繰り返し心の中で唱えましょう。

 


「全ては“なりたい自分”になれず、“自分らしく”生きることが出来なかった、『終わった人間』の世迷言」

 
裏を返せば、「なれた自分でやっていく」ということ。
失敗した、要領が悪かった、それで良いのではないでしょうか。

 


決して、思い描いたような人生でもないし、今現在「なりたい自分」になれているわけでもありませんが、“なれた自分でとりあえずやっていく”をモットーに、そこそこ機嫌よく生きている次第です。


諦めたら人生変わるよ。

諦めたらいい。
人の期待に応えることとか。
思い通りの人になることとか。
ちゃんとした人になることとか。
嫌われない人になることとか。
諦めたらいいよな。笑。

 

◉この世界で生きることは苦行ではなく、遊びなのだ。シンプルに賢く生きてさえいれば。
◉わたしの生き方には、少なくともひとつの利点がある。それは自分の生活そのものが娯楽であり、常に新鮮だということだ。
◉わたしを従わせようとするなら、わたしが頼っている原理より高い原理を持ってこなくてはならない。
◉わたしが森へ行くことにしたのは、死ぬときに、自分は本当の意味で生きてこなかったと思い知らされるようなはめにならないためだった。

 


日本は何でも年齢で見るじゃない?名前の横には(年齢)がいつも付いてて、学校でも社会でもその年齢の時にやるべきことをやらなかったら落ちこぼれみたいな扱い
でもそんな風習を逆手にとって、この年でこんなことやってるよ!みたいな人が注目されたり、最終的に幸せになったりするのも事実
ステージなんて、飛び超えたっていいし、戻ったっていいし、今の場所広げたっていいじゃん

 


自分で考えて、自分で全て判断してエイヤとお金を投入して失敗すること

自分で動く過程で身に付けた「経験」にこそ価値があるのだ。

 


君の人生だって君だけのユニ ークなものだ 。磨き上げれば必ず輝きを放つ 。人生を諦めるな 。腐るな 。他人と比べるな 。言い訳せずに究極の人生を己の手で作り上げてみろ。言い訳してたら何も始まらねえ 。

 


人はいつか幸福になれる、、、、コマーシャリズムがもっとも喜ぶ哲学です。これを買えば幸福に、、、これをすれば楽しくなる、、これを着れば輝く、、、これを食べれば健康に、、、いつしか私たちは幸福になることに疲れてしまうものの、きっとそれが幸福なんだろうと思いつつ、齢を重ねていく人のなんと多いことでしょう。幸せになろうとすると騙されるし、最後には自分すらだましてしまうこともある私たち。思い切って幸せになることをあきらめてみる、、その時、これまで見えなかったものがもしかしたら見えてくるかもしれません。目の前の現実がきちんと見えてくる。良いと思っていた人が本当はそうでもなかった、、、毛嫌いしていた人が本当は良い人だった、、、そうわかるだけでも、今後の人生がつまらなくもなるし、楽しくもなる。色々なことが見えてくれば、自分自身も見えてくる、、、幸せになることをあきらめたから不幸になるわけではない、、、幸福を求めたから幸福になれるわけでもない、、、今、もっている幸福、今の自分と出会った喜び、、、すべては幸せになることをあきらめたあとにやってくる、不思議な現象。