適当に手を抜き、やれる時にやりたい事をやっといたほうがいいよ。

 

いい人より、ラクな人になれ まじめな人より、少し不良な人がいい 著者は、これからの時代、「チョイ悪」「少し不良」くらいのラクで楽しむ生き方の方が、一生人間関係が楽になり、一生伸び続ける人になると説く。

 

 

 

 


「先生、私本当に馬鹿だったと思います。我慢して、我慢して、本当は嫌なことを嫌って言えなかった。まじめは止めるべき。自分の人生を生きるならばね」

 

 

 

 

 

 

 


何もなくていいし、何もしなくていいんです。

もっと自分のこといたわってあげてください。

こんなにも頑張ってきたあなたを、あなたが一番に認めて、褒めてあげてください。

ごめんね、辛かったね、大事にしてあげられなくてごめんね、無理ばっかりさせてごめんね。

まだまだなんて思わないでください。

もう頑張れないって心が言っています。

もう十分なんです。

頑張ってきた自分も、今の自分も、受け止めてあげてください。

 

 

 

 


買わないのが一番お得。
まさにその通りだと思います。
最近まで、お得お得と思ってポイントサイトで色々購入していた私。
もちろんお得なのは間違い無いんです。
ただ、それが本当に必要なものだったのか?と考えると、そこまで必要じゃなかったのかなと思ったりもしました。
やはり買わないのが一番でした。
私も基本的には現金ですが、必要な場合はカードも使います。
公共料金もカード経由です。
お金の使い方も見直したら今まで貯まらなかったものが着々と貯まってきたので、やはり自分に合ったお金の使い方を見つけることが大事なんだと思いました。

 

 

 

 

 

 

現金払いの方がたまにお金がピンチでスリリングな時ありませんか?(笑)

そんな時無性に
「なんか今、生きているって感じ(笑)」
と思ったりして自分のお金の使い方を改めて見直したりしてます(笑)

生きるにはお金は切っても切れない関係です

上手く使いこなせるようにアレコレ戦略を変えながらお金を貯めていきたいです!

 

 

 

 

 

 

 

 


夫はすっげえ元気な人だったけど、

30代前半のある日 急に熱が出て、

原因不明の難病とやらで5年以上 床に臥して亡くなったので

みんな、やれるときにやりたい事やっといたほうがいいよ

嫌な人や嫌な事に悩んだりとか時間の無駄だよ

好きな人好きな事に 時間も感情も使ったほうがいいよん

 

 

 

 

 

スタバに行って混んでて入れなかった時は、
別に自分の中に理由を探さないし
「私はスタバに向いてないのかも…もう一生スタバにすっと入れないかも…」とか思わないのに、

夢が叶わない、とか
人と心を通わせることができない、とか
そんな時は自分の中に理由を探すし、
一度ダメだっただけで一生ダメな気がしてしまう。


スタバには「ちょっと行きたい。とりあえず行ってみよ~」と気軽に行けるのに
夢にチャレンジするとか、
気になる人に近づいてみるとか、
そういうことはものすごく気合を入れないとできなかったり、そもそもできなかったり。

変ですよね。笑


夢も恋も、スタバくらい気軽にしてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

僕は、貯金なんてせずに、

有り金は全部使って生きていくべきだと思っています。

 

それで人生が面白くなれば、

それでいいじゃないですか。

 

ですから今あるお金を有効活用して、

自分の人生を繁栄させる何かにバンバン使っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上手に手を抜いて体力を温存したり、うまく作戦を立てて楽に結果を出したり、コツを掴むことによって効率的に物事を達成したりする人のことを「ズルい」と言いたがる人もいますが、実はこれこそが間違いなのです。

真面目な人が「ズルい」として非難する上記のような能力こそがこの世界では貴重で役に立つスキルなのです。

 

 

 


仕事ができる人ほど、適当に手を抜いている

 

 


仕事は、他人に任せられるものは任せて、「適当」にやるくらいがちょうどいいのです。ここでの「適当」は、当然、「手を抜く」ということではありません。頑張りすぎることなく、マイペースで仕事をこなすということです。

 

 

 


要領が良く、頼り上手な超一流は、仕事を上手に分散させます。「いい人」は、自分1人で30kgのものを担ごうとして腰を傷めますが、超一流は、5人の力を借りて、100kgのものを軽々と持ち上げるのです。

そもそも人は「楽しい気持ちを感じる」と生き生きします。
というより、「楽しい気持ちを感じるために生きている」と言っても過言ではありません。


そして、楽しく生き生きする日々を送るための1つの手段として、仕事をしたり、家事をしたり、食事や掃除など身の回りのことをしていますよね。

 

 

仕事真面目にやってきて損したなぁ。手抜いてさ、適当にやればよかったよ。真面目って、本当バカみるだけじゃん
人望がすべて。
結局、人に好かれる人が優位になる。
そういうこと。

仕事真面目にやってきて、損したなぁ。
手抜いてさ、適当にやればよかったよ。
真面目って、本当バカみるだけじゃん。

無駄な責任感で、
何でも完璧に1人でこなしてきてさ。

見てる人は見てる?

そもそも眼中にないって。
頑張り損。

お局イジメの犠牲になってさ。

やめてって、直接言いに行ったさ。
それでも変わらないから、
信頼してた人に助けも求めたさ。
でも、自分が次の標的になるのが嫌なのか、
私を助ける気など最初からないのか分からんけど、
誰も助けてはくれなかった。
最終手段で上司にも現状を伝えたさ。

その結果が、今よ。

仕事も結局いいように使われただけか。
あんなにちゃんとやらなきゃ良かった。
みんなの尻拭いなんて、しなきゃ良かった。
仲間だなんて、思わなきゃ良かった。

今日ね、お局が直属の上司になったの。

もう終わり。

私の頑張りは、ただの自己満ってこと。
私の我慢は、ただの時間の無駄遣い。

真っ当に生きてても、
1人じゃ何にも報われないってこと。

死にたい。
今、無性に、生きてることが辛い。

 

 

• 真面目に生きてきて疲れた
• 真面目なのはバカらしい
そう感じてしまうのは、結局のところ真面目に生きてきた見返りを得られなかったからです。
いくら真面目にやっていたとしても、それ相応にちゃんと報われていたとしたら、そしてそれをあなたがちゃんと感じているのであれば、疲れたとは感じないはずです。

 

 

 

ぶっちゃけ仕事は多少アホぶって仕事増やさないのが利口と気付きました。
真面目はとてもいいことですが、損するのは間違いないと思いますね。

 


綺麗事抜きで意見を言うなら、適度に不真面目な人が1番得をする。

 

 

 

真面目で考え込んでしまいやすい人が病気になるのは特にそう思うよね。

適当にやって何にも考えず、一晩寝たらもう忘れた〜って人のは方が人生楽しそう。

 

ホントにそう思う。仕事適当な人ほど上に可愛がられる。
真面目にやるのバカらしくなってくる。

 

 

損をしていると思うなら損だと思う。
真面目じゃない人は、違う何かに価値を置いてそれを大事にしてるだけ。
真面目にやってきて私が一番会社を支えてると思ってたけど、ただのおごりだった。
適当な仕事してると思った人が長期のお休みになった時、ムードメーカーがいなくなって会社が変にピリついた事があって気づいた。
知らないとこで支えられてるよ。

 

 

見てる人は見てるけど、見てるだけって事がほとんど。真面目な人だなで終わり。

 


適当に手を抜いて楽してる人の方が世渡り上手だよね
真面目にやってたけどバカらしくなったよ

 

 

図々しく厚かましく生きてる人の方が楽しく生きてます。
真面目な自分がアホらしくなってくる。

 

 

自分で言うのもなんですが真面目な性格で責任感も強いです。結果、理不尽に仕事振られまくってうつ病になりました。
無事社会復帰して今は元気です。

でも責任感のかけらもないような人の方がのらりくらり会社に居座っておいしい思いしている。
なんだかなぁ、、、

 

 


人生を充実させるには”不真面目になる”ことが大切だと考えます。
 


人生の充実度は”目的を持って行動しているか”に比例すると考えます。

 

 

結局のところ、素敵な人生っていうのは、稼いだお金ではなく、安定した人生でもなく、貪欲に何かを追い求めていた必死になったユニークな出来事の積み重なってできるものだと思っています。

 

 


そういうもんだよ…という言葉しかかけられないなあ。私も思春期の頃病気したけど、周囲が青春真っ盛りで楽しくて仕方ないのに、何で自分だけ雨戸閉じて真っ暗な部屋の中でずっと寝てなきゃいけないんだろうと恨めしく思ったものだ。人生なんて9割が運だと思う。

そして、最後の最後に死ぬときにならないと人一人の人生を評価できないと思うんだ。今は幸せの絶頂にいるような人がいつまでしあわせでいられるか? 今不幸な人が、いつまで不幸のままか? そんなの誰にもわからんよ。だから腐らず生きていこうぜー。

 

 

だって、この世で真面目に生きていく価値なんてないもん。
クソみたいなこの世界で真面目に生きていくのはもううんざり。こっちが馬鹿馬鹿しいだけ。

 

 


というか真面目な人は損をする。それがこの世の中。
バッカバカしい。クソじゃない?この世の中って。俺は吐き気がする。
真面目に生きていくほど価値のある世の中じゃない。
一所懸命生きていくほど価値のある世の中じゃない。
頑張るほど価値のある世の中じゃない。
クソみたいな世の中とはよく聞くけどさ、本当にそうだよ。
もう俺真面目やめるわ。
人生テキトーに生きる。どうせ大して価値のない人生だし。

 

 


そして誰かに期待することをあきらめました。

これならいくらでもできることを、適度に休みながらやる。 それぐらいがちょうどいいのよねえ。

他人で穴埋めしない。そして執着を手放す。

 

「なーに言ってるの、本当にダメな人は自覚も反省もないわ。自覚してる時点でもう、アナタが思うより、アナタはずっと素敵よ

 

 

 

「自己肯定感を高めるには、自分の足りない部分を他人で埋めないこと。自ら試行錯誤するのはいい。でも他人の存在で穴埋めしちゃ絶対ダメ。自分の本心とガチで向き合うのよ。そして、生きるって、いろんなことを処理しながらバランスとってやっとできること。たとえ努力が実らなくても、精一杯やるだけでスゴイの。執着心が不安や不満を生むわ。時には手放すことも必要なの。なるようになると思うだけで、少しラクになるわよ。今を大切に、自分に素直に生きることから始めてみて。これは誰にでもできることよ

 

 

「生きるのは山登りとは違うのよ。そこに山があっても登らなくてもいいの

 

 

メディアやSNSで発信される理想のライフスタイルや女性像は想像上のもの、いわば創作です。そのストーリーを『素敵だな』と思うぐらいならいいのですが、『そうじゃない自分はどうなの?』『そこからずれたらどうしよう』という視点になってしまって、生きづらさを感じている患者さんは多いですね

 

 

 

気持ちが落ち込む理由をなくそうとしたり、無理して気持ちを上げようとしたりするのではなく、『脳の神経伝達物質が足りなくて、頭がまわっていないという“現象”にあるのだ』と自分を客観的に捉えれば、少しラクになって、なんとかなりそうな気持ちになるものです」

 

 


生きるというのは“そこにある”ということ。呼吸をして、ごはんを食べて、眠りについて、今日を終える。それを繰り返すことが“人が生きる”ということです。その中で自分なりの幸せを見つけるとしたら、『毎日を大切にする』ということにつきるでしょうね。生きるということは点の重なりでしかなく、その時、その瞬間を大切にすることに他ならない。今日という日はもう来ませんから

 

 

上手くいかない人生にうんざりしているのなら、思い切って人生を諦めてみませんか?

 


これならいくらでもできるって、意外と危険なのよね。

24時間歩き続けたら倒れたり怪我したりもするでしょ。

これならいくらでもできることを、適度に休みながらやる。

それぐらいがちょうどいいのよねえ。

ちょっとぐらい好奇の目で見られたって、ヒソヒソされたっていいのよ。 それを恥ずかしがってやりたいようにやれないほうが、もったいないんですもん。 世間なんてアナタの人生の責任とってくれるわけでもないし。

ちょっとぐらい好奇の目で見られたって、ヒソヒソされたっていいのよ。

それを恥ずかしがってやりたいようにやれないほうが、もったいないんですもん。

世間なんてアナタの人生の責任とってくれるわけでもないし。

 

 

疲れやすいな、なんとなく体調が悪いなと思ったら

まずやることを減らしてみなさい。

好きなことでもね。

動きすぎが原因の疲れって案外多いから。

 

 


今日の他人に振り回されない方法。

「過去5年間で、自分に深い関わりのある人数えてみましょ」

大していないでしょ。たいていの人は大きな影響もなく通り過ぎていくだけ。

あの人のことも考えすぎなくていいのよ。

 

 

 

課題は1日にやる量を決めて進めましょ。

調子が良くても沢山進めちゃだめよ。

一定のペースを心がける。

それが上手く成し遂げる秘訣。

 

 


何事もやりすぎが不調を来たすのよ。

だからやりがいのあることこそ、意識してセーブしましょ。

一瞬で燃え尽きたら、やりたいことやれないわよ〜。

「余計なエネルギーは極力使わない」 という方針で動いてみて? 人間って気がつくと意外と必要ない動きをしているものよ。 省きまくると頭も体も楽になるわ。

ふんどし締め直し

 

「自分がいつもご機嫌でいるには、
 どーすればいいかなぁ」


って考えて
それを実行に移す、


それだけでいいんじゃないかな。

 


医食同源

 

 


世の中、だいたいは運がほぼ全てだというふうに思うと、基本的には不安も何もないですよね。それを実力だなんて、まるで思わないです。

 

 

「できない!」と思えるけど「やりたい!」ことを実行する。そうすると世間体とか他人と比べてすごいとか、全て関係なくなります。

 


「余計なエネルギーは極力使わない」
という方針で動いてみて?

人間って気がつくと意外と必要ない動きをしているものよ。

省きまくると頭も体も楽になるわ。

結婚相手を選ぶ際には、お互いの金銭感覚の相性を十分に玲味することが非常に重要です。そして、相手と自分との金銭感覚が大きく異なる、と感じたならば、その人との結婚は避けたほうがよいと言われます。

 

生まれた環境の違う人と付き合うことが続き、
やはり合わなくてお別れ…

なので、結局はお見合いで環境の似た人と結婚した次第です。

すきだけでは上手くいきませんね…(T-T)

 

 

金銭感覚の違いを解決する方法は、とにかく相手を尊重して話し合うことです。友人たちも口を揃えて言います。言い換えれば、それ以外に方法はないと言うことです。
きちんと一歩引いて冷静に、お互い意見を伝え、相手の考えを理解し、最適な落とし所を見付ける。ほとんど仕事と同じですが、それが一番スムーズに進みます。
彼氏、彼女、夫婦とはいえ、他人なのですから、そのくらいドライに対処した方が、後々に問題を引きずることは少なくなります。逆に、相手に甘え自分の意見を押しつけたり、相手の言うまま我慢していたら、必ず不満が溜まります。

 

 


お金のことは口に出しにくいかもしれませんが、相手と一緒に生きていくためには、避けて通れない話題といえるでしょう。
一緒に買い物をしても食事をしても、金銭感覚が違うと、どうしても違和感を感じてしまいます。

 

 


自分のためにはお金を使うが、人に使うのはもったいないと思ってしまう人なんだろうな。そういう男には、人望がない。本人は1円も無駄にしていないから得をしているつもりでいても、人生を長い目で見たら、実は大損をしている。“金は天下の回りもの”と言うけれど、人のためにお金が使えて、人のために働ける。結局そういう人のもとに、お金が戻ってくる

 

 


お金の使い方に人間性が透けて見える

 

 

結婚相手を選ぶ際には、お互いの金銭感覚の相性を十分に玲味することが非常に重要です。そして、相手と自分との金銭感覚が大きく異なる、と感じたならば、その人との結婚は避けたほうがよいと言われます。

 

 

 

「結婚するなら、相手はどんな人がよいですか?」
結婚相談にいらっしゃる相談者に聞く質問です。そして、多くの方が、こう答えます。
「好きになれて、気が合う人がいいです。」
好きになれるとは、見た目も含めて、心が惹かれる方。気が合う人とは、自分と考え方が似ている人。共通の趣味を通して、お互いを理解し合い愛を育む方が多いのもうなずけます。
ただ、結婚となるともう一つ大切な事があります。それは、金銭感覚です。お金の使い方について、結婚相手と考えが違ってくれば、結婚生活を継続する上で大きな支障となります。なぜなら、結婚とは生活そのものだからです。

 

 

 

二人ともクレジットカードなどの利用はほとんどなく、常に現金で支払う事をモットーにしていました。生活費は予算以内でまかない、無駄な出費はせず将来に備えた貯蓄を美徳としていたのです。
とても堅実的な生き方といえます。しかし、交際相手には、自身の堅実的な考え方を話し合う事はありませんでした。

 

 


このカップルの成功要因は、「話し合うタイミング」でした。お互い愛し合う段階まで行けた頃の話し合いでしたので、歩み寄る気持ちが根底にあります。お互い一緒にいたい。という気持ちが高まっていて、別れたくない。という思いが強いので、うまくいきます。

 


相手にわかってもらえないだろう。こんな話をするぐらいなら、別れた方がいい。と、あきらめる事は簡単ですが、この作業を進めなければ他人と生活を継続していくのは困難です。

 

 


結婚とは、愛が前提です。金銭感覚の問題も、お互い好意があれば、話し合えるテーマでもあります。お金の問題を包み隠さず話せる間になる。という事も、結婚相手として見極める上でも大切な事です。

 

 

 

交際段階で疑問に思った事は話し合う。それが婚活中や、恋愛期間にすべき作業です。「こんな事を言ったら嫌われてしまうのではないか?」という不安もあるでしょうが、お互いの人生を真剣に考えていくためには、必要な作業です。

 

 

 

今思えば、 ツライ別れの相手は 価値観や金銭感覚が違うな と思うことが多々あり、 それでも我慢している部分があったと感じます。 でも、 次の恋の相手、 現在の夫はとにかく優しくて価値観や金銭感覚も似ているので、 ツラくても別れてよかったと思っています。


ツライ別れの相手とは結婚に対する価値観が違うために別れました。 でも、 次の恋をしてみて、 やはり 結婚に対する価値観は同じ方が楽 だと思いました。 (東京都/40代

 

 

次の恋をしてみて、 好きの強さより、 会話の相性が良かったり趣味が合うほうがはるかに長い人生一緒にいられると感じました。

 

 


遠慮せずに腹を立ててくれていいんだよ。
辛い時は思いをぶつけてくれたらいいし憎んでくれてもいいんだよ。
だけど決して見捨てないし自分の事も見捨てないで一緒に苦しみを乗り越えていこう。

私はこの気持ちが愛という強い絆を深めるのだと思います。
(ただ言えるのは、愛にも適切な距離が必要だという事と

 

 

 

誰かを愛するという行為は、大きなエネルギーを必要とする行為です。
そのエネルギーに振り回され、自分で自分をコントロールできなくなると、愛が苦しみに変わってしまいます

 

 

それと同時に「お互いに全力で支え合わなければならない場面」や「愛を試される試練のような出来事」があったりもします。
そのため、愛するという行為の裏では、心の中が喜怒哀楽の感情も物凄いスピードで動いています。
この精神状態に耐えられない人は、心に余裕をなくします。
その結果、本気で人を愛しても、愛の喜びを感じることができなくなり、愛が苦しみそのものに変わってしまいます。

 

 

 

「苦しいのはわかるけれど、
相手にはあなたの思いを受け入れる義務もなければ
あなたを幸せにする責任もないのよ。
相手が自主的にそうしたいと思わなければ
状況は動かない。
それならば、
相手が一緒にいたいと思えるような人って
どんな人だろう??って
相手の立場にもなって考えてみなさい。
そのほうがずっと発展的だから。
そうやって
苦しい悲しいせつないっていじけていて
上手くいくことは100%ないって断言してあげるから!
きっと今のあなたは相手から見たら
幽霊なみに怖いから!」

 

 


渦中のひとたちは
 
どう変わってしまうんだろう
いままでと変わってしまった
 
 
っていう不安になるひとと
なんとかなるだろう、と言う人と
あ、これでいいんじゃない?と感じるひとと
 
 
色々いると思うけど
 
 
僕は断言する
 
 
「絶対に」良くなってるから。
 
 
 
あなたの
人生にとって。
 

 

 


神様に任せて。
 
 
だってきっと神様も
 
人間に
僕らに
僕らの人生を任せてくれてると思う。
 
 
 
だから僕も
何と言われようと
 
無責任と言われようと
任せた人たちに任せて行く。
 

 


今日、かなり面倒くさいことになってるのに気がついて、人生ってかき回さないほうがいいんだなあとしみじみ思いました😂

でも、すべては神の味噌汁💡
必ずいいほうにいくはず!いってるはず!と信じて、淡々と生きます

 

 

なるほどー!!
最近、「わたしの思ういい方」に進まないことがあって。
それについて一喜一憂もしまくってて。
もっとのんびり構えてようー!って思えました☆
きっと私の人生にとっては必要な変化♪

 

 


いいようにしか、変わらない。

絶対に良くなってるから。

今、一番欲しい言葉でした。笑。
変わるって、ほんと、怖いですものね。
いいようにしか、変わらないと信じるだけで、怖さ半減します。
変化を楽しみにしないと、もったいないですね

 

 

――こんなことでぐずぐず悩んでいるくらいなら、さっと告白して、イケメンを(お金を/気持ちいい行為を)選んでしまったほうが「自分が楽しい」。

 


付き合ってもしその人のことが嫌になっても、またたまたまなにかが起きて、いい塩梅に関係が修復されるだろう」と「思っておく」ことが大切だということです。

超レアキャラになろう!

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クズとは
 
・ダイヤモンドである
・自分はすでに最高に価値がある。
・周りや社会に無理やり合わせようとしなくていい。
・自分はすでにダイヤモンドなので、他人の期待に答えようとしなくていい
・みんなしてるから、他の人もしてるから、普通だから、と言う理由で何かをしない。
・自分は認められてないから、自分は好かれないからとう理由で何かをしない。

 

 


「クズなので人生楽しい」
「クズだから、ハッピー」
「クズだから、みんなの期待には答えない」
「クズだから、失敗しても大丈夫」
「クズだから、間違えても大丈夫」

 

 


さっさとお金持ちになって人生楽しいことするべ!!ぎゃははははははは!

 

 

人生の価値?、、いらねーよそんなもん

 

 

ああ、もしかしたら
わたしはわたしが思うようには
なれないのかも知れない、と諦めた後から
色んなことに気がつくようになりました。

 


完全に諦めて、焦りがなくなったことで

今まで自分はこんなにも
誰かと比べて焦っていたのだ、ということも知りました。

 

 

自分を諦めて、焦りから離れてみたら
宇宙の中で、プカプカ浮いている自分を感じました。

 

 

慌てず、焦らず、
階段を一歩ずつ、登る。

 

 

完璧を目指そうとして、挫けた私、周りのみんなを助けようとして産後の身で、あれこれ考えて、心配して発病した私。

ちゃぶ台ひっくり返せばよかった、発病前に。

今、ゆっくりと、自分の生きたいように生きる練習をしているところです。

 

 


人のことを構っている間に
もっと自分のことを構ってあげて、ということ。

自分を喜ばせることが先
自分の心を満たすことが先、

 

 

 

大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
誰かになりたがっているのは、ひとえに
「なにが与えられているか」にばかり注目しているからです。
そうではなく
「与えられたものをどう使うか」に注目するのです

 

 

 

超レアキャラになろう!