他人の痛みには無関心
そのくせ自分の事となると不安になって
人間を嫌って
不幸なのは自分だけって思ったり
与えられない事をただ嘆いて
三歳児のようにわめいて
愛という名のおやつを座って待ってる僕は
アスファルトの照り返しにも負けずに
自分の足で歩いてく人達を見て思った
動かせる足があるなら
向かいたい場所があるなら
この足で歩いてゆこう
プライドとか見栄でできた
鳥カゴを今蹴飛ばしてやる
一瞬の衝動は 永遠の激動
その場所から飛ぶなら
今ほら
舞い上がれ 悲しみも喜びも力になる
くり返す間違いも
進む為の光りになる
オンボロの翼でも
自分らしく飛べばイイ
太陽の真ん中へ
I can fly away
ここから始めようすべてを 穴だらけの傘なら捨てて
一つ一つの真実を受け止めて
たとえ人より歩み遅くても 足枷されても
やがて君は知るだろう 人生は映画みたいに甘くない
厳しい物と覚悟して腹括って
信頼寄せられる友ならば生涯に一人、二人出会えりゃ幸せ
この地球上の何処かで君を必要とする者が持ってる
ちょっとぐらい汚れたって構いやしない
その涙に嘘はないだろう
降りかかる悲しみさえも全部引き連れて
上を向いて 確かに光り感じてゆこう
頼り無い翼でもきっと飛べるさ!
ぎごち無い翼でもきっと飛べるさ!
Stayしがちなイメージだらけの 頼りない翼でも
きっと飛べるさ On My Love
「この世は無常だから、あなたは変われるんです。昨日までのあなたと訣別して良いんですよ」と、こう言うておられる。それが事実。
「この生き方、明日どうなるかわからないけど、不安定だけど、なぜか心は満たされて安定してるよね。こんな幸せな生き方ない」
わたしたちの魂って、
いつもわたしたちを豊かなほうへ導くために
四苦八苦してるんです。
先達が豊かなのは、たくさん行動して、経験を重ねているからです。
地球では、それが必須。
なりたいものへ向かい行動した厚みが、結果に繋がっていくからです。
学習とはすべて 、 「自分の時間や手間をかけて 、自分が変わることにリアリティ ーを与える作業 」です 。努力をせずに自分が変わる 。そして 、自分を変えた主体が自分ではない 。そのような状態を 、本当に人は喜ぶのでしょうか ?
そもそもね 、人間なんて 7 0歳 8 0歳にもなったら 「勝ち 」も 「負け 」もあったもんじゃありません 。肩書きや経歴なんてどうでもええ 。身分に差なんてありゃしません 。自分も家族も健康で元気でいてくれたら 、世間話ができる友だちがいてくれたら 、それ以外は何も必要ないと思うんです 。反対に 、たくさんお金をもうけてたとしても 、身体を壊すほど働いて 、自分も家族もボロボロだったらどうでしょう ?それこそ 、不幸なことやと思います 。