若い頃であれば何か資格を取るために勉強しなければならないことがあったかもしれないが、そのような必要がなくなり何も結果を出さなくてよくなれば、何かを学び、新しいことにチャレンジしていけるのは最高の贅沢になる。

この世は無常だから、あなたは変われるんです。昨日までのあなたと訣別して良いんですよ

 

 

 

自分への疑いは、
大きな流れに、
1番抵抗すること。
 
 
 
なので。
 
 
自分をもう疑わないと
自分と約束し、
流れに身を任せる。

 

 

 

自分が気分良くいるために
自分がやりたいことやるために
自分が納得いくまでやるために

 

どこまでワガママに
どこまで自己中に
どこまでこだわって


どこまで妥協せずに
どこまで遠慮せずに
どこまでためらわずに

行くのか!

 

 


問題が起こるたびに、曖昧な正解と許可を自分以外の人にお伺いを立てにいく。

 

それって自分の外側にあるものに、安心を求め続ける生き方はあなた固有の人生を生きていない状態です。

 

誰からも異論が出ないことが社会の中の正解だというのなら

 

社会で叩き込まれた社会性が、あなたの持ち味を半減させ、生きづらくなっているというのはどういうことなのでしょうか?

 

 

 

失敗は少ないに越したことはありませんが、過程の中にこそ、その先の自分の糧になる宝物は眠っています。

 

取り組む時点で無駄なものなど何もないのです。

 

 

 

「自分が自分に輝く世界を見せてやりたい!そんな人生を生きたい!」という思いがあれば、そこが人生の第二幕のスタートです。

 

 

 

スマートに生きられるに越したことはないけれど、回り道という経験があったからこそ

 

今生きている当たり前の世界が、こんなにきらめいて見えるのです。

 

苦労は買ってまですることはないと思いますが、経験からの気づきや生き様は、今、泥沼で二進も三進も行かない誰かへの希望になっていることもあるのです。

 

 

 

 


ここではないどこかを追う類の夢は見なくなるけど、安心と心細さを胸に、叶えてみたいことに勇気を出して一歩踏み出してみようと思えてくる。

 

 

ダサいのは、カッコイイ!

 

泥臭くていいと思うんだ。

 

 

 

 


みんなが持ってるから...

みんなが行ってるから...

今流行ってるから...

 

そう思っていても、なぜか興味がわかない...

そんなことってないですか?

 

 

それはね、自分には必要ないからなんです。

 

あなたがおかしいから、とか

変わってるから、ではありません。

ご安心を。

 

 

大切なのは

 

みんなが持ってるから、じゃなくて

自分に必要かどうか

自分が欲しいかどうか

 

 

 

「進む」ということは、必然的に、それまでとは違う選択をするということになります。

 

手慣れた生きづらさを握ったまま、やりたいことをやってみても

 

なぜエンストになってしまうのか?

 

 


「過去を捨てる」って

損したくないという気持ち、も無意識の中に混じっているかもしれないね・・

 

 

 

どんな贅沢を求めているとしても、人は贅沢するために贅沢を求めるわけではない。何のために贅沢に生きるかといえば、幸福であるためである。普通の意味での贅沢な生活をしていても、少しも幸福だと感じていないとすれば、その贅沢が幸福であるための妨げになっているからである。贅沢は幸福であるための手段というよりは、自分がしていることで幸福であると思えたら、それが贅沢に生きるということである。

 

 

 

贅沢に生きることの目的である幸福は他の人に理解され難いことがある。幸福は哲学者の三木清の言葉を使うならば「各人においてオリジナルなもの」だからである

 

 

 

 


若い頃であれば何か資格を取るために勉強しなければならないことがあったかもしれないが、そのような必要がなくなり何も結果を出さなくてよくなれば、何かを学び、新しいことにチャレンジしていけるのは最高の贅沢になる。

 

 


「要は、疲れたら休む、ということですね。元の生活には戻れないが、大抵のことはできる」

 

 

「これだけのことをいついつまでに必ずやり遂げる、そういうのはやめなさい。高校生が何日も徹夜して何かをやりとげ、エンドルフィンが出て達成感があるというような、そんなことも」

 


普段の生活でも、「正しさ」よりも「ワクワク」で選んでみてください。

すると物事を頭で考えるよりも体で感じられるようになり、選択に迷いがなくなってきます。

私たちは、正しいことをするために生きてない、楽しいことをするために生きていると思う、今日この頃です。

 

 

そこから何を学ぶか、何を得るか。むしろ、そこからしか学べないことがある」