人間性「野生みたいなものに近くて、自ら足で経験を積んで、体も頭も使って遠回りしながら無駄を楽しみながら糧に・・・」
ビーチでコーヒーするだけでも、ガス会社とガスコンロへの敬意と感謝が止まらない。火と融合する感覚とか、天気を感じるとか、自然の偉大さと文明の歴史を実感する
ど田舎の山の中に引っ越して一年ですが、自然はたまに触れるからこそ、有難みが分かるのかなと感じてます。人間性が回復しているという実感は全くありません。健康にはなったとは思います。
17号が舞空術で孫悟空をさがすことしないでトラックでさがしにいくことを楽しむみたいなノリだな。
ボードゲームが有れば更に人間性回復できると思う。トランプの大富豪とかでも。
キャンプはあまり興味がないのですが、「人間性の回復」のキーワードに、釣られてました。田舎にいても、効率化は職場でも、家庭でも求められていて、時間と心に余白ができると思いきや、土日は疲弊してしまう。新潟に住んでいるんですけどね。人として、生きている実感がしたいですね。
「無駄や不便を感じる事で人間性が回復出来る」
っていうのは無駄な物をどうしたら有意義に使えるか、不便な物でもどう使えば便利になるのか。
豊かな創造力を使ってそれを考えることが出来るのが人間であって、人間性と言える物なんだと思う。
生まれ育った田舎の自然と町中の公園(都合のいい自然)とを比べると、前者のほうが圧倒的に情報量で勝ります。
土に手を突っ込めば、ミミズやらよく分からない白い虫やらが湧いてくるし、藪の中にボールを飛ばして取ってくると一瞬で蜘蛛の巣まみれになる。
当時は「田舎何もねー」としか思えなかったけど、意外と情報量的には充実してたんだなと。
都会に出てからなんとなく諸々の処理能力が低下してしまった気がするのは、加齢だけが原因ではないかもしれない。
環境自体に情報量があるというより受け手の効率への固執が情報量を大きく低減させる。都会は効率への固執が誘導されやすい。マインドフルネスでリセットすることが有効。情報の豊かさに植えている人はモノや環境に求めるだけでなくリセットして脳内処理を定期点検するとgood。どんな思考回路が情報を矮小化しているのか。なんつって。
仕事は合理的、最短、結論ベースで問題なくて、空いた時間でどんどん自然と触れ合えば良いと思う。
社会への貢献とか、人間の尊厳とか、
難しい何かはいらなくて
ただ、自由に、人間というものに没頭したい。
ボーっとしたい。
そんなことは2500年以上前に老子が説いていた。無為自然に生きろと。
没頭したい。集中できるのは幸せ。
効率性の追求の究極は死だと服部文祥さんが言ってました
合理性を突き詰めると「人間要らない(=AIの方が合理的なので置き換えたほうが良い)」となってしまうので人間性の再獲得が大事ですね。
みんな知ってるんですよね、
子供の頃に走り回ったとか虫を探して捕まえたとか、お金がなくても幸せを感じていた子供の頃。その時には戻れないけど近い場所がアウトドアで今の自分なりの楽しみ方を追求してくとハマっちまう
無駄、余白は必要。一定量は必要です。
まあ、効率化も一定量は必要ですけどね。
要するに、バランスです!