上昇感があれば、全部解決する

f:id:rockmanlife123:20210503104912j:image

何かにならなくていい

ゴールはみえなくていい

どうなるかわからなくていい

 

今どうしたいかを選んでいく

自分にウソをつかなければ

いや、ウソをついたとしても

自分に必要な出来事や人は

向こうからやってくる

 

 

 

だから

無駄で

意味がないと思うような

時間を過ごしてもいい。

普通になれなくてもいい。

最短のショートカットの人生を目的にしなくていい

 

 

 

 

 

 

何か、新しい考え方を取り入れるのでなく

自分の中にある

何を選ぶか

だけなんだなぁと。

 

 

 

「自分でコントロールできないものは悩まない」

「悩んで解決できるものは悩むけど、悩んだって解決できそうにもないものは、基本放置か、できる人にお願いするw」

「人生最大のストレスは、自分で自分の人生のハンドルを握れないことだ。自分の人生のハンドルは自分で握る。」

 

 

 

 

夢って「叶えた時の気持ち」が目的でゴールだ。

「家を建てる」は手段だ。

手段をゴールにしちゃうと、目的が霞んじゃう。

気持ちをゴールにすると、カンタンに夢が叶うでしょ。

するとね、「夢ってカンタンに叶うのがトーゼン」って自分の常識になるんだ。

 

 

 

 


上昇感があれば、全部解決する

人間は、「生活や人生がよくなってく感覚」があれば、とりあえず幸せになる。無理に大ジャンプするのは効率が悪いので(上記の逓減性の話)、毎日ちょっとづつ上昇するのが大事。

カジュアルな習い事を複数もつだけでも、日々の上昇感は簡単に作れる。

 

 

 

 

自分の人生を変えようと思ったら、

足りないものを手に入れる前に、

悪いものを切り離すことから

始めなくてはいけない。

 

 

 

 


幸せな人とは、煩悩が少なく他人に左右されず、夢中になれるものがあり、人とのつながりがあり、健康な人だと気がついた。

明日39才。

 

 

 

 


頑張って周囲と見合うようになってから結婚とか、マジでやめれーw

そのまんまで愛されてんじゃん。頑張る必要ないじゃんw

そのまんまで愛される勇気がないから、無駄に頑張って抵抗してるわけさw

降参しようぜー

自分の魅力にw

 

「私ってば魅力的すぎるじゃん!」

って3週間、毎晩100回言って寝るようにw

これ処方箋なw

 

 

 

 

 


自分も人生終わったって思って何度も死のうと思ったことあるけど、どうせ死ぬなら色んなことやってみてから死のうと思った。

日本人は真面目すぎるよね。

もっと適当に生きてみても良いと思う。

私は真面目に生きることをやめた。

自分を縛りつける物を全部捨てて、気楽に生きてます。

いつでも死ぬ覚悟があると、老後のこと考えなくていいから本当に楽ですよ。

 

 

 

 


私は、がむしゃらに働いて 欲しいものを手に入れてきましたが、 どこまでいっても満足はありませんでした。 ほんとうに、成功=幸せではないって思います。 今は心屋流で生きて、 いろんなものを「ない」と、追い求めるのをやめて、 いま「ある」にフォーカスすることが幸せだなぁ… と気付かせてもらって、 心穏やかに暮らせていることに感謝です。

 

 

 

「幸せ」も、昨日の洗脳されてる、の記事と一緒で洗脳だよなぁ、って最近思います。 「幸せ」って何?って考えた時、どっかのCMみたいな映像が頭に浮かんでました。で、そんなCMみたいな日常じゃない自分はダメなんだ、にしてた。本気でCMみたいになりたいんじゃなくて、うっすら何処かにあるっていうか…まさに洗脳。刷り込み。「幸せな家族ってこういうのだよ~」「幸せな人生ってこういうのだよ~」って刷り込まれてる感じ。幸せそうだなぁって思う人も、こういうイメージ像に合う人を、幸せそう、って思ってました。

 

 

 

 


ここではないどこかではなく、身の回りの身近なところから、楽しみごとを見出していくこと。それがやがて、お金があってもなくてもどちらでもハッパーな生活につながっていきます

 

 

 

 


世間の評価というのは、数年で、ひどいときには数日で変わってしまう、当てにならないものだということは、覚えておいたほうがいいです。そんないい加減なものの上に、大切な自分の生活を築いては危険です」。

 

 

 

 


「生きる意味とは?」という問いについて。

「生きていることにもう何にも期待が持てない」

こんな風に何かに対して期待をすることをやめようとも伝えていた。

そうではなくて逆に自分が問われていることに気づくべきだと。

与えられた運命に、苦しみに、出来事に対して

お前はどう生きるのか?

それは状況、瞬間ごとに毎回問われ

私たちはその都度答えを出していく。

そういうことが求められているのではないかと。

 

 

 

 

 

 

神様に、

ひとり分の人生の時間をもらって

「人生を遊びに」この世界にやってきたんだ、

 

いろんな「体験」をしに

この世界に遊びに来たんだ、

 

 

そんな風に思うようになって

「失敗という体験もしてみたい」って

少しずつ思うようになった。

 

 

 

自然にしていると、

物事は「進んでいく」もの。

人間の体だって、常に新陳代謝している。

「変わっていく」のが自然な形。

 

 

 

 

 


失敗したくない、というのは

「うしなう」ことや「まける」ことが嫌だということ。

 

それはつまり、

減らさないようにばっかりしてる、ということ。

 

たくさん「ある」のに、

減らさないように

増やそう、増やそうとして、

 

「やっといた方が得」なことばっかりに

エネルギーを使っているということ。

 

 

 

考えてみたら、得意なものはチョロいと思ってるからか、失敗しても深刻にならずに、ここをちょっと直せば上手くいくんでしよー、とエラーの後のトライが素早く出来てる。
得意でないものは失敗すると、やっぱ駄目…、もう駄目、と深刻に思って、次のトライを諦めたり、時間かかったりしてる。
ってことは、得意でないものも、失敗しても深刻にならずに、だよねーミスするのなんて普通だよねー、とさらっと流して次のトライすればいいのかも。