まぁ、ジタバタしても、どうなるモノでも無し。諦めなはれって事ですね

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活力も減りつつある。何より残り時間が少ない。そう言った時にまだモテるとか何を着るとか時計を集めるとか美味しいものを食べるとかじゃなくて、これがなきゃ自分じゃないというものに残りの人生を費やすこと。集中する事、そういう事をこの本は述べていたと思う。もし、美味しいものを食べる事がそうであればそれはそれでいいと思う。ベッドに横たわって、酒もだめ、美味しい料理もだめ、、、等なった時にやりたい事とはちょっと違う。元気な今やり遂げたい事ではないだろうか。

 

 


 少なくとも、50歳を過ぎ組織に属しているものであれば自分の棚卸を考えた方が良い。自分を取り巻く現実の
状況と自分の認識がずれていることに気づかなくてはならない。それは、人生後半での幸せをもたらすはずだか
らだ。おそらく、ずれは死という「先」を直視できていないことと、「世間」の常識に染まりきっていることに
起因するのではないか。

 

 


変な力の入ってない、読みやすい本。気が楽になるとともに、50歳って人生の後始末なんだと悲しくなるが、それが現実なのだと、理解させる本。

いい本です。

 

 


仕事は第一線から退き、出世街道から外れた独身男はどう生きればよいか。取り組むべきテーマは「退屈」である。休みの時間が無為に過ぎていくのは勿体ない。独身男にとっては休日の家事は馬鹿馬鹿しい。やりたくない。しかし、家事にも楽しみや喜びがある。洗濯が終わった後のキレイな洗いざらしのシャツの温もり。掃除機をかけた後の部屋のさっぱり感。ゴミ袋を捨てに行った後の玄関のすっきり感。家事の喜びは計り知れない。

 

 

 

孤独な人は実は自分が孤独であるとは感じていないのではないか?孤独であるのが当たり前なのだから。問題は「退屈」の解消である。著者が例示しているように、富士山の景色の微妙な変化を楽しむのも良いし、哲学者の故木田元さんは、カラオケでAKB48の歌を歌ったそうであるが、アイドルグループの握手会や各種イベント、各地のフェスに参加するのも楽しい。週末や連休の飛行機旅で地方都市や古代遺跡、名所などを訪ねるのも良い。何でも良いから時間が経つのも忘れるくらい、楽しむことだ。乃木坂46の唄にあるよう、徹底してジコチューを楽しむことだ。退屈に悩む人にお勧めの一冊だ。

 

 


天命を知る、50歳。この真の意味は、「己の限界を知り、あきらめよ」ではナイカ。ググってみたら、そんな事を言う某ブログあり、結構納得。
この路線にあるのが、本書。
老いと死が見えてきた50歳以降の孤独との付き合い方、乗り越え方を考える。
まぁ、ジタバタしても、どうなるモノでも無し。諦めなはれって事ですね。で、こう考えたら・行動したら、諦めやすいですぜって。ね。

 

 

 


ブッダのことば スッタニパータ』というお釈迦様が語った内容をまとめたとされる書物の
一番最初に出てくる言葉が『犀の角のように、ただ一人すすめ』というものである。

孤独と向き合えないものは、孤独を恐れてやけ酒や薬物などに溺れるか、女に溺れる。
孤独を受け入れないために別のことで脳をマヒさせるのだ。

孤独を受け入れ、孤独に生きていく覚悟を持つ。
そうして初めては自分が本当は何を求めているのかを知ることができる。

寂しさや孤独は誰もが恐れるのですが、
それは人間らしくもあり愚かでもある。

孤独と友達になれるものは、人生を深いものとできるのかもしれない。

 

 


もしその道がオッケーなら
必ず道は拓けるし
もし
NGなら、
ちゃんと天が止めてくれるから。

 

 

 

抜け出す呪文は
「もっと、怠けていい」
「もっと、さぼっていい」
「もっと、悪人でいい」
「もっと、役立たずでいい」
「もっと、何もできない人でいい」
「もっと、バカで、ダメで、不細工でいい」
「ほんとに、なにもしなくていい」
「ぜんぜん、すごくなくていい」
「ぜんぜん、実績なくていい」
「それでも、あなたは、愛される。
 その方が、あなたは、愛され認められる。
 そして、
 そのほうが、自由に楽に楽しく豊かに生きられる。」
ということです。

 

 

 

ひとが何と言おうと、自分の価値は自分が決めればいいよね。 ひとに決めさせないで。 あ、そーですか…… でも私は素晴らしいんです。 あ、そーですか…… でも私はすごいんです。 って、口には出さずとも、自分がそう決めて、そういうことにしていればいいよね(*^ー^)ノ♪

 

 


「必要以上」の豊かさは要らないのかもしれない。
「必要以上」の結果は要らないのかもしれない。
そもそも「結果」は要らないのかもしれない。
だから「努力」も必要ないのかもしれない。
「それ」がなくても、
「すでに」幸せなのだから
それ以上の結果を残すために
死に物狂いにならなくてもいいのかもしれないし
結果を残せないことと
自分の価値とをくっつけなくてもいい

 

 


なーんにも 変える必要なかったんだな ホントは
 
でもさ 何にも変えなくていいんだよって 分かるには ジタバタしたり、 失敗したりしたから、
自分の体や心で 分かったのだと思う 。
だから 「よく頑張ってきたね」と 自分が自分に言ってあげられる ようになってきた 。
やりたいことやる前に ホンマにやりたくないこと やめる方が早いなと思って
それって些細なことで ほんとは静かにしてたい ほんとは黙っていたい なら 喋りたくないのだから 喋るのをやめること 静かにする より 喋るのをやめる みたいな 喋らない 心地いい なんか 人間関係よくなってる みたいな 口からそんなに 喋らなくてもいい人って いるのだと思う たぶん わたしもその一人だと思う うまく言えたかわかんないけど ラクに生きていいんだ。

 

 

 

やりたいこと に関しては、私もいろいろやってみたけど、結局「何もしなくていいんだ!(o^^o)やったー!」 に落ち着きました。 無趣味でもいい。 だらだらしてもいい。 そんな風に許可してくと、不思議と楽しいことが向こうからやってくるようになったよ(^-^)!

 

 


家の物の90%を捨てたら、全く新しい人生がはじまった

 

 

 

たくさんのことを手放してきました。
この10年間は
加えるというより
減らす作業でした。
思い込みを手放す
義務感を手放す
執着を手放す
見栄やコンプレックスを手放す

 

 

 

まったく違う自信を
もっておかんと
感情がいつまでたっても、安定しない。
満たされることがない。
不安を消すために動かなきゃいけなくなる。
だからこそ
【 自分の存在そのものを信じる 】
という、内なる自信を持つこと。
社会的レッテルとか
そんなんどうでもよい世界での自信。