いちいち心配したって心配しなくたって、どっちみち結果は同じだろ。どうせなるようにしかならねぇんだから、心配するだけ損じゃねぇかよ。

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こんな部屋に住みたい。

 

 

人生版ドラクエも、夢を叶えることはいったん忘れて、スキルやステータスを上げることそのものを目的にする。
新しい技術を覚えることや、同じ仕事の時間をどんどん短縮する。健康に関するステータスを上げる。

 


要は


いつまで、旦那の許可をもらう人生ですか
いつまで、稼いでないことに負い目を感じる人生ですか
いつまで、自分の考えに自信を持たない人生ですか
いつまで、他人の言うことを鵜呑みにする人生ですか

 

 

なんか最近思うんですけど
行きたいとかやりたいって種類ある気がする。 何かに影響受けて憧れとかで行ってみたいっていうのと、生理現象みたいに、トイレみたいに、欲してるから行くみたいな。 そんで前者は欲してるほどじゃないから行きたいけどお金がないとか時間がないとか人見知りとかブロック出てくる。 結局ブロック乗り越えた経験がその場合欲しいんであって、行く行かないは正直どっちでもいいんだろうな。 でもって、欲して行くの動機の方は本当に行くことややることが目的なんだろうな。 人生生まれる前にみんなそういうプログラム組んできてると思います。 自分は何しにこの人生に生まれてきたのかって視点で見るとわりと悩み減った気がします。

 

 

服だけではなく、身の回り全て、格好つけるために集めたり行動したりだったなぁと、さっき思えた。 どんなに格好付けても、格好付かないのは、格好付けんでいいよって意味だったのかと納得。 このままでいいんだって、やっと思った。 一昨年辺りからやたら断捨離したくなり、しまくったのも、これですね。きっと。 意識高いキャラも辞めて、ゆるゆるで行こうって、何でも大丈夫かもと、思った。

 

 

歌舞伎や能の担い手、共同体同士の文化交流として民間伝承を各地で語り歩くのは、共同体のヒエラルキーから外れた「無縁」のならず者たちだった。
生産システムに組み込まれないものたちが、文化を作り、継承し、共同体同士をつなぐ。
「生産」に携わらないものたちが、生産から外れたところで生まれる人の営みが、どれだけ私たちの暮らしを豊かにしてくれるだろうか。
その豊かさの中では私たちは孤独を感じずにいられるのではないだろうか。

 

 

●命にかかわること以外、どうでもいいことばっかじゃねぇかよ
●いちいち心配したって心配しなくたって、どっちみち結果は同じだろ。どうせなるようにしかならねぇんだから、心配するだけ損じゃねぇかよ。
●良いこともせず、悪いこともせずただ呑気に生きていくのが俺の生き方だ

 

 

1.生きることに意味なんかないことを知る
2.誰かを基準にして幸せになったり不幸になったりしない
3.誰も私のことなんて1日のうち1秒も考えていない
4.あれこれ言う人がいたとして、その人の言葉は全く無責任だ 
その人の言う通りにしたところでミスしたら自分の責任、でも成功したらその人のおかげ
ええい、好きに生きよう

 

 


人生は暇つぶしだと思ってから急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。たかが人生おどらにゃそんそんである。
どうせ劇も始まったことだし、思い切り舞台の上で暴れてみようか。
オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さがそこにあるような気がする。

 


生まれてから死んでいく。それだけでもたいしたもんだ。
どうせ死ぬなら、その前に仕事をやめて旅に出たりしたいと思う分、前よりずっと図々しくなれたかな。死ぬのは今日でも明日でも実行に移せる。
だからとりあえず今日を生きて、また次の日の一日を生きてみてそれを続ける。
時間が経てば、傷もカサブタになって痛まなくなる。