私は高木姉妹によって幸せを感じた。

私は高木姉妹によって幸せを感じた。それまでは、今の日本社会に嫌気が差し、舌を噛み切って死のうかと思ったほどだ。 そのような中で、平昌での小平奈緒さんの活躍で始まった日本女子選手の相次ぐ快挙、痺れました。そして、それまでに至る長い道程を動画で観ました。 その中でも、高木美帆さんには圧倒された。お兄さんの影響で、姉妹でスケートを始め、美帆さんは5歳で既に走っている。 小学2年では2位をブッチギリで離し、1着でゴール。同学年で優勝した男子のスピードを上回っているではないか。 表彰台で目標はなんですかと訊かれ、[もっと速くなりたい]と答えた。めちゃんこ速いのに。目標にする選手は誰ですかと訊かれ、躊躇なく[清水選手]と答えている。 同時期、姉の菜那さんもその足寄大会で1000メートルで1位になっている。時期はわからないが、小学生の全国スケート選手権で優勝している。その時の3位が押切美沙紀さんだ。 押切姉妹は姉が菜那と同い年、妹が美帆さんと同学年、ずっと一緒に滑っていたんだと感心した。因みに、既述の足寄大会で高木姉妹と押切姉妹が活躍していた時分、当時のNHK帯広支局に勤務していた和田政宗、現在自民党の代議士、が実況アナウンスをしていた。 これにも驚いた。 美帆さんは15歳でオリンピックに出場、これも凄い。成績は出せなかったけれど、この経験が後で役立つ。 次のソチでは選考から外れた。その代表選手の選考結果の発表会場で、次々と選手が呼ばれていく中、美帆さんは悲しそうな表情で姉の背中を見ていたのが印象的だ。 あの顔は、決して悔しさではなく、悲しい顔だった。それは、まるで一人だけ残され、仲間はずれになったときの表情だった。 私の厚い胸でグッと抱きしめて慰めてあげたいくらいだ。 しかし、何と言っても高木姉妹は凄いのだ。チーム・パシュートでは世界最速の女性スケートの美帆さんがあとの二人を牽引する。そのスピードに慣れている高木姉と佐藤綾乃さんはどちらもマス・スタートで優勝できる実力者になっている。実際、菜那さんは優勝した。 しかし、それで終わらなかったことが高木姉妹の凄いところ。大活躍の菜那さんはテレビのインタビューでは金メダル二個に話題が集中した。横に座っている美帆さんは、金、銀、銅を首から提げていた。その時の表情で、例の悲しい表情をしていたソチオリンピック代表の発表の時の動画を思い出した。 普通なら金、銀、銅をオリンピック一大会で獲得したのだから快挙だ。 しかし、隣の姉の首には金が二個ぶら下がっている。そして菜那さんがお勤めの日本電産サンキョーの親会社の会長さんのモットーは、[金以外はビリじゃ!]である。 そのロジックで考えると、美帆さんの誇れるメダルは一個の金だけになる。 お姉さんに負けた。何故1500メートルでもう少し頑張らなかったのだろう。ビュスト選手と0.20秒の差でしかなかった。もうひとふん張りしていたら私も金が二個だった、と思ったに違いない。 そこで美帆さんのその思いは、その後のアムステルダムで行なわれたオールラウンド世界選手権で爆発した。私は見た。美帆さんの[ひとふん張り]。それは1500メートルで起きた。 ビュスト選手と一緒に走った彼女は、ゴール直前まで若干ではあるが負けていた。そこでひとふん張りの思いとともにブースター、いやターボと言ってもよい、そのパワーでビュスト選手を抜いた。 表彰台では小学生のころの天使のような表情に戻った。そしてスケート王国のオランダで、マスターの一人として認められた。 そして私は感動した。 私が言いたかったのは、高木姉妹は互いがモチべーションを与え、それが強さに繋がっている点だ。