坂爪さんの思想、、、おれは好きだ。これからもどんどんやってほしい。

いやー今日の坂爪さんのブログやばいわ

いばやだわ〜

 

オレの読みたい文章だったなぁ

刺さるし、これを求めているのよ

心は

魂はさ

 

いつもありがとうございます(^.^)これからも更新楽しみにしてます

あまりにいいので、引用して残しておこう、

まずは銀色夏生さんの詩から(この詩がまたいいのね)

「君へ」

 

君は好きなことを、

好きなふうにやるべきだ。

そのことが他人から見て、どんなに変でも、

損でも、バカだと言われても、

気にするな。

だって彼等は、君の願いを知らない。

君は彼等と違うものを見ているのだから。

あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。

そのことを忘れないで。

 

他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。

けして周りを見たらダメだ。

仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。

君はやりたいように、どんどんやりなさい。

やりたいことを。

好きなやり方で。

その行為が同時に君を救うだろう。

その行為は同時に人をも救うだろう。

そのことを忘れないで。

 

銀色夏生『すみわたる夜空のような』【角川文庫】

 すきなことを好きにやるべきだ

やるだけやっちまいな、という優しさと強さを感じる詩である。そしてその行為は最終的に自他ともに「救い」になるんだって・・・

けして周りを見てはだめだ、と

 

仲間はいないんだ、すくなくとも途中には

ここが厳しさを感じるな〜

やっぱひとりなんよな、走りきるまでは・・・ひえええ、つらたん

でもそれがリアルな響きを持たせるね・・・さみしいね

 

そういえば私、大学生のときに銀色さんの詩集かってたな〜

文庫本サイズで持ち歩きしやすいし、鞄にいれやすし、

文章は少なめなので、読書になれてない人にもおすすめですし、なにより詩がいいんだよ。

あと、なんかセンスのよさげな写真とかもはいっているので、読んでるだけで、なんか爽やかで、おしゃれな気分にもなる。

銀色夏生さん懐かしいな〜

 

 

 

 

愛を表現することを禁止された時に、多分、人間は老いる【生きていることを楽しめなくなる】のだと思う。ひとが何か新しいことをやろうとする時、大概、その動機は『愛』か『恐れ』のどちらかになるのだと聞いた。多分、その通りなのだろうなと思う。不安や恐れを動機になにかをする(なにかをしない)のではなく、できることならば希望やよろこびをベースに生きていたいと私は思う。それが、時に周囲の人から「お前の生き方はありえない!」とか「クソだ!」とか「ウンコたれだな!」とか言われたとしても、自分の中に「これが私の愛情です」的な思いがあるのならば、ひるむことはない。周りはどうあれ自分だけは、どんどん、どんどん、どんどんやってしまえばいいのだと思う。

 

生きることを楽しむための原材料は『愛』 ・・・愛かぁ、よくわからんけど、大事な?

 

こわいけど、そんな怖さはほっといて、どんどんどんどんやってしまおう!(あ、でもやっぱこええ)

そんなとき、やっぱ不安や恐れをベースになにかしてしまうことが多いオレだが、

そういうときにこそ、いったん落ち着いたほうがいいのかもしれない。不安や恐れは一度落ち着けば小さくなるという経験をなんどもしている。

 

だから、また希望がゆっくりと立ち上ってきたときに、その希望をベースに活動していけばいいのかもしれない。

 

(あ、でもやっぱ怖くても、不安でもいっか、それで。うん、いいよ。それがオレだしな。不安でもよし、希望だともっとよし、という感じで) 

 

あと、他人から「ウンコたれ!」とか言われたら

「うるせれ!」の一言でおk  大蔵さんもそういっている笑 

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これホント名言だと思うよ笑  解決可能ってwww

   ・・・・そしてなんとも言えん表情ですねw

 

私は思う。金を稼ぐとか、有名になるとか、世間的に認められるとか、夢や目標を達成するとか、愛されるために何かをするとか、多分、そんなことはどうでもいいのだと思う。自分以外の何者かになろうとすることは、極端な話、自殺行為と同じ(真の自己を否定する行為)だと思う。

 ま、いろいろ欲望はあるけども、そんなことはどうでもいいのだ!って言ってしまうとなんかスッキリするよね。オレはオレだ!って感じで言い切っちゃうみたいなね

自分になろう、とっておきの一流な自分になろう

あれですよ?

一流っていうのは世間的にとかではなくて、自分の中での基準で一流ってことね

 

 

そんなことよりも、自分であることを楽しむこと、生きていることを楽しむこと、目の前にあることを楽しむこと。やりたいことを、やりたいときに、やりたいように、クソミソに言われたとしてもきっと全然大丈夫だから、どんどんどんどんやってしまうこと。自由になるために誰かの許可が必要なわけでもなければ、愛を表現することに誰かの許可が必要なわけでもないし、誰かの許可がなければ生きててはいけないなんてこともない。自由になるのはきっとおそろしく簡単なことで、いま、この瞬間に「おれは自由だ」と認めるだけでいいのだと思う。生きるとは無垢に無邪気に純粋に自分らしく楽しむことで、何かを成し遂げることではないのだと思う。

 

 くそみそに言われたって、「うるせえ」と返したあとに、

そんなことはどっかに置いておいて

すきなことをどんどんやってしまおうぜってことで

そんで、なにかを成し遂げる必要はないってことなので、いろいろ気にすんな、

今、この瞬間をしっかり楽しみを味わえばいい 

 

 

自分以外の何者かになることは、自殺と同じだ。

 

じ、自殺!?

表現は過激だけれども、まぁ、突き詰めてしまえばそういうことだろう。

とにかく自分でいけよってことな?たぶん

 

そんなオレ自身は自分なんて中身ないだろうけどw

あ、でもこうして卑下するとかもとっととやめたほうがいいのかもな、

無意識に自分はそんなすごくないですっていう謙遜的な卑屈な態度にケリを入れろってことかもしれん・・・

とにかく自分&自分でGO!!

ってな感じすかね?

 

うっす!

 

 

 

そんなことよりも、自分であることを楽しむこと。生きるとは純粋に自分らしく楽しむこと

 自分を楽しむっていう言葉いいね。自分を楽しむ、

何か自分以外のものを楽しむんじゃなくて、自分そのもの、

または、自分がすきなものを楽しむ、純粋に

がんがん楽しもう、

 

 

忘れずにいたい

南無阿弥陀仏