ありのままの自分を生かすことが大切です。 深海魚は深海魚だからこそできる仕事をしています。 コウモリはコウモリだからこそできる仕事をしています。 暗い人は暗いままでいい。 明るい人は明るいままでいい。

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遊ぼうとしてはいけないよ。遊びを探してもいけないよ。遊びに本気になってもいけないよ。そういう意識が出てきてしまうなら、本当には遊べていない。(こんな大袈裟なことを考えてると、もっと遊べないけど😅)

子供たちが意味もなく走るじゃない?あれが遊びの原型だよ。理由もなくやってしまい、理由もわからず気分がイイこと。

本気にならなくても努力しなくても夢中にやってしまうのが、本当の遊びだよ。

遊ぼうとしなくても、遊びを探さなくても、自分にとっての本当の遊びは向こうからやって来る。社会から刷り込まれた価値観に縛られていては気付けないけどね。

7~8割の人間は、「用意された遊び」を遊び、「教えられた楽しみ」を楽しみ、「誰かを手本にした喜び」を喜んで、一生を終える・・・。それはそれで仕方ないんだけど、本当はつまんないんだろうよ😥

 


子ども達は遊ばなきゃとか楽しまなきゃとかやりたいことしなきゃとかそういう概念すらもなくて、大人から見たら何の価値もないことでもひたすらに無意味に無目的に遊ぶ姿に私達大人は心を打たれるのかもしれない。

 


そういう子どもみたいな大人になりてぇって思った(笑)

 


お金は必要ですが、仕事が遊びなら遊びながらお金も入って来ます。そうして66まで生きてきました。これからも楽しいよ。

 


本気で遊ぶっていいですよね。でも遊び方は人それぞれでもいいと思います。

大会や勝つことを目標にするだけじゃなくて、集めるだったり、考えるだったり、それこそ作るなんて楽しみもあります

自分なんかはポケモンで別のゲームのキャラをオマージュすることを楽しんでました。要は自分が本気になれる遊び方でいいのです。誰かに認められる遊び方でないといけないと言うのも「大人らしい」遊びに縛られてると思いますよ

 


❝ 遊びをせむとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ ❞(『梁塵秘抄』四句神歌)

 


そういえば、『ホモ・ルーデンス』の著者ヨハン・ホイジンガを感嘆させた、❝ ~遊ばせ ❞ という日本語表現も、すっかり使われなくなりましたね・・・・・・😞

 


魚が空を飛べないように、自分に合っていないことは、そもそもできなくて当然です

 


「自分の中で小さな希望を増やしましょう」

 


疲れると、今の環境が

より悲観的に見えてしまうのよ。

 

 

ありのままの自分を生かすことが大切です。

深海魚は深海魚だからこそできる仕事をしています。

コウモリはコウモリだからこそできる仕事をしています。

暗い人は暗いままでいい。

明るい人は明るいままでいい。

 

 

40過ぎると楽になる 

年取るにつれてもっと楽になると思う 

だんだん周囲の人が亡くなっていっていい意味で人生なんてもうどうでもよくなってくる

ちょっと体の調子が悪いと大病かと思いパニックになることが数年続いていたが「人間いつか死ぬ」「私がいなくても地球は回る」と自分自身に言い聞かせていたら気持ちが楽になり、体調不良もなくなった。

 


「流れに任せて、てきとー」にやってください。
「損得」でなく、ものごとを選んでください。

それ「だけ」でいいんですよ。


「なんか知らん教」
たのしーよー。

 


変化を自ら起こすことで、必ず転機は訪れます。自分が想像できない世界がまだたくさんあることを知ってください。狭い世界に自分を閉じ込めないでください。
人それぞれ、色々な生き方がある。と体感的に知っておくと気が楽になります。
心から楽しみたいと思ったこと、ちょっとでもやってみたいと感じたことを大事にしてください。
対人関係は経験値を積むことで円滑に回せるようになるのです。
人生で本当に手に入れたいものを考えてみる。
楽しい人生経験、人との価値ある交流。幸せな家庭です。
遊び心。もっと遊んではじけるくらいが良いのです。

 


100パーセント助かる絶対の方法”はないけれど、“フィフティー・フィフティーの確率で助かる選択肢”は、無限にある

 

 

 

思えば、ずっとでした。小さい頃から。

ずっとしにたいなーって漠然とした気持ちがありました。今もあります。誰にも言ってません。

原因はいじめなのか教育なのか自分自身なのかはわかりません。

だけどなんでか今まで生きてきたんだよね。

一晩中泣いても、自分のこと殴っても、1日横になってても、しのうとしても。

なんでか今生きてる。

全然毎日楽しくないし、常に不安があるし、ある日突然ぷつんって糸が切れちゃうかもしれない。

けど、今生きてるんです。それだけです。

これからもそうやって生きてくんだとおもいます。どうしてこんな風にしか生きれないんだろうって思うときもすごくあるけれど、明日も目を覚ますんだと思います。そろそろ慣れてくる頃かもしれないです。

本当に豊かになるには、買う豊かさを作る豊かさに変えること。だって作っている最中までおもしろいんですよ。お金を払って誰かにやらせるなんてもったいない。

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誰でもひとつくらい好きなことってあると思うんだけど。
その好きなことをやるためだけに生きてみたら?
わたしはそうしてる。
それをするために今は耐えて仕事して稼いでるし、無理な交友関係も断捨離した。

 


超凡人、ダメ人間が通りまーす!
つまらない人間だと分かってるし、つまらない人生かもしれないけどw
それでも美味しいもの食べて、沢山寝て、お風呂入って幸せ感じてます✨
みんながみんな、特別じゃなくてもいいんじゃない?
つまらない人生でも貫けばかっこいい気がする。

 


自分の性格を嫌ったり目を背けたり無理に変えようとしているときは変わりません。

「まあ、いいか」と受け入れれるようになってはじめて心が動きだします。

 


才能はダイヤの原石なんかではなくて、どこにでも落ちてる道端の石ころを延々と磨き続けることなんだと思う。

 

そもそもの希少性があるから価値になるんじゃなくて、面倒すぎて誰もやらないから価値が生まれる。

 


人と比べて落ち込むぐらいなら、何も見ないで自分の世界に籠もる方がいいと思います。
自分のペースでできることを積み重ねて成長。
自分の好みに鈍感になっているところに人の評価は入り込んできます。
大切なのは逃げないことではなくて、状況を的確に判断すること。つまり逃げるときには逃げる。調子が悪いときは休む。命より大事な仕事なんてない。

 


人と比べると病むし、ワイはとりあえず自分が好きなものをたくさん見たり集めたり知ったりすることで何かしら見つけようと思うわ。

 


自分の好きなものをコレクションするように
美味しいお店を食べ歩くように
新しいゴルフクラブを買いたくなるように

それを「学んでる」と思わずに、「遊んでる」って思ってみてね。
そしたら「学んでるのに」という気持ちは消えていきます。

すると 身につくんです(^-^)

 


何かをあきらめると、何かが終わり、
そして、何かが終わると、何かが始まる。

はやく、今の自分をあきらめよう。
だって、そうなんだもの。

だってダメだもの
だって弱いもの
だってできないもの
だって嫌われてるもの
だって変わり者だもの
だって、バカだもの。

それが自分だもの。

 


人生を変えるようなことや心に残っていることって、がんばるとか努力の先にはなくて、好奇心とかインスピレーションの先にあったなぁ

 


大胆になってください。 怖がっているもの、心配しているもの、経験してください。 そうすれば、恐怖、心配に所有されなくていいのだと分かります。

 


あのね、器をいっぱいいっぱい使いそうなものは、早々に捨てるのw

捨てるっつーか、器に入れないようにするのw

 


人生を楽しむならそんなに力まなくていいこと、花を飾って自分を整えればエネルギーはスムーズに流れること、楽に生きるヒント全てが詰まっているように思います。

 


よく見たらこのルート以外にもゆるやかで楽しそうなルートがあるな。アイテムやヒントの収集も楽しいぞ?もしかしてこれ、敵を倒しながらゴールを目指すゲームじゃなくて歩く過程を楽しむゲームだったのか?

 


遊ぶためには、時間と健康が必要だ。その一方で、お金はそんなにいらない。

 


いつかの為にためたり集めたりしたもの 結局強制終了になって 自殺しようと思ったときに こんなだったらためずに使えばよかった~って思いました( ˆ ˆ ) これからはかわいいものは先に使おうっと

 


良い気の通り道に、自分がなってしまうのです。

 自分は、良い気を呼び込み、循環させる。そんな存在である。

 

 

 

自分が背負わなくても組織は回る。

自分を労り自分が喜ぶことに注力してほしいな。

 


ないものはしゃーない。そう考えれば喪失感は消えます。心の穴なんかなかったことに気づきます。穴がふさがったのではなく、最初からなかったのです。
そう。実は、逆説的ですが、喪失するからこそ得られるものがあるのです。獲得したから勝ちではないし、失ったから負けでもない。そう思えると、自分自身というものが、とても満ち足りたものに思えてくるのではないでしょうか。

 


ぼくは今、よく「自然体ですね!」
「無理してないのにうまくいっているんですね!」と言われます。
それは、やめる力を身につけたからです。
自分が無理だと感じることは手放し、自分らしいと感じること、
自然にできることを選択できるようになりました。

 


自信がないことに変に手を出して消耗せず、ほとんどエネルギーを消費する恐れのない、自信のあることだけに絞って徹底的にやる。できることを見境なくやっていけば、大抵の問題はバシバシ解決できるはずです。  ゲームにたとえると、「俺つええええ」というプレイしかしない、ということ。それでも少しは成長できるしレベルも上がるので、それを繰り返せば精神的な負担は一切なく、気づかないうちにジリジリとできることが増えていく。結果、「行動」ができていることにもなります。

 


動けるうちにやってください。死ぬ時、病院で寝たきりで動けなくなったら絶対にそう思うから。

 


ここで土壁の塗り方を覚えたから、みんな安心して帰るわけです。なぜか。

いつでも、どこでも、お金を失っても食べていけるし、家も自分でつくれるようになったからです。

 


「私はこうだけど、何か?」みたいな生き方をしてください。それでも大好きな人は絶対寄ってくるから。

 


野菜がいっぱいあるということは幸せになれる。野菜がいっぱいあるところには、動物もいっぱいいます。

 


本当に豊かになるには、買う豊かさを作る豊かさに変えること。だって作っている最中までおもしろいんですよ。お金を払って誰かにやらせるなんてもったいない。

 


そうしたら今、何が必要かというと、貯金じゃなくて、居場所です。

今は無になることもできるようになりました。 自分が、考えすぎたら壊れる性格なのがわかってるので、ひたすら適当でいることを心掛けています。

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死んでも何も持っていけないし、死んだ後の部屋の掃除も大変だから最低限必要な物以外処分して、いつ死んでも大丈夫なくらい部屋をスッキリさせるといいよ。

そうすると心も体もスッと軽くなって、気分がラクになったりするよ。風が気持ちよく感じたりする

 


嫌なことは忘れたもん勝ち。楽しいことは楽しんだもん勝ち。自分の人生は少しでも充実させたもん勝ち。

人は他人にはなれないし、他人の人生を歩めない。

 


人生はただの暇つぶし、自分を好きで、楽しくしてればいいのかもしれない。

だとしたら「〇〇が達成できたらやろう」「成功できたらやろう」って思ってることを今やってもいいのかもしれない←今ココ

 


ちょっと自分勝手になったほうが、視野が広がります。

哲学している暇があったら、いろんな人に触れ合って気分転換した方が良いよ、そこから色々学んだ方が健全だよって思いますけどね。

 


掃除でちょっとスッキリする程度の充実感が些細な自信を呼び込み、うつむいた心を上向かせる切っ掛けとなる。大きな雪だるまを作るにも最初は手のひらに乗る程度の塊から始まる。小さな気力で動く小さな達成感が上向く心の軸と成って人生を大きく好転させ始める。大した気力など無くても好転は始まる。

 


楽に生きる方法の一つは、流行りものを一切無視すること。服や音楽に食べ物。流行りとはたくさんの人が好きだというだけであって、別に自分が好きだという物ではないのだから、追うだけで時間の無駄である。ワシはどんなにバカにされても、自分の好きな服しか着ないし、好きな音楽しか聞かない

 


いま、与えられた場所
いま、与えられた環境が
あなたのゲームの始まりだった。
そのなかで
自分のしたいことを
やっていく。

 


私結婚もしてないし、今は彼氏もいないし、体がさほど丈夫でもないから1日三時間だけのパート。
だからお金もないよー。

でも幸せ。
強制終了してから自分を責め続けて長~い間地獄にいたけど、やっと心から幸せを感じられるようになった。

生きててくれるだけで自分に感謝。
ありがたい。
いくら自分で自分のこと嫌って責めても、私の体はずっと私のこと守ってくれていた。
それに気付いてからは、自分にも周りにも感謝しかない。
嫌いな奴は相変わらず嫌いだけど(笑)

私はもうすでに一生分、自分を責めたから、たぶん飽きたのかな。
自分を責めて不幸にするのは、飽きた。
だから、やめた。

自分のこと幸せにしたいから、受け取るようにした。
人からの愛も親切も素直に受け取ると、こんなに気持ち良いとは……
今まで知らずに損しちまった。
そして気付いちゃった。

私の地獄はただの幻だった。
アホか、私(笑)。
でも、過去の自分を責める気にはならない。
だってあまりにもイジらしいし、頑張ってたし、勘違いっぷりもかわいいもん(笑)。

長年の思考や価値観を大転換させるのに、私はすごく時間がかかった。
私にはそのくらいの時間が必要だったんだ。
そのくらい、偏ってたんだと思う。

…というわけで、私の人生これからじゃい!(笑)

好きなこと、は環境ではないんだと。
好きなこと、はやってて充実すること。

 


もしも仕事に行き詰まったら、いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って、その余力で仕事をするくらいに考えたほうが、じつは、ちょうどいいのではないでしょうか。

 


今は無になることもできるようになりました。

自分が、考えすぎたら壊れる性格なのがわかってるので、ひたすら適当でいることを心掛けています。

 


考えるのに疲れたら、直感というか本能にまかせて過ごすのが良いのかなと、最近思うようになりました。

リスクやらメリットやら理屈で考えるより、自分自身の感覚に任せたほうが、結局心身快適な方へ導いてくれそう。

いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。 元気に動ける間に時間とお金を使おう

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このゲームは不親切な側面がありますが、疑問点を一つずつ丁寧に解決していくと、しっかり攻略に進めます。ただ、本シリーズの仕様上のクセ(NPCに話かけてクエストをちゃんと読み込む)に気づくまではしんどかったです。ドグマ信者はこの不親切を含め、その先にある何かに快楽を覚え、覚者になっているのかなと朧気ながらに感じました。何とか最後までプレーしてみます。

 


「試したくなる」で自然にスタートを切れます。

「試してみたい」と思うものだったらなんでもいいわけです。

新しい技法を覚えたとか、

自分にとっての新しい武器が思想や哲学でもいい。

 


人は遊ぶために生まれてきているのだから、いくつになっても遊びたい。

ただ、平日に仕事に追われて、週末は疲労回復に努めている、都市部で忙しく働いている人の中には定年退職して仕事がなくなった時に呆然とする人がいる。

だから、趣味は退職してから探すのではもう遅いのだ。

趣味を問われて「特にありません」という人は常に上級者がいることに怯えているからだ。

そうではなく、今ハマっているものはコロコロ変わっても良い。

遊びは究めてはならないのだ。

 


笑ったのは、著者の『ファイナルファンタジー』へのハマりっぷりだ。

その時にはすでにマイクロソフトはやめていたというが、投資コンサルティング会社の社長で、出社もせずにゲームにハマっていたという。

社長であるにもかかわらず、社員からいくら呼ばれても会社に行かなかったという。

飽きるまでやって、飽きたので会社に行くようになったのだとか。

ここまで遊びに没頭するというのは羨ましいというかなんというか。

著者のこういう自由な生き方が好きだ。

 


この本では一貫して「遊びはテキトーでいい」「遊びなんだから途中でやめても誰にも迷惑をかけない」と主張されている.

それに救われる.

そしてそのように「別にいつやめたっていいや」「つまんなかったら別の遊びしよう」という心構えを持つと,心から力みが取れ,楽しむことができるようになる.

これは主人は趣味・娯楽ではなく自分であるということを思い出すことにも起因していると思う.

 


徹底的に気楽になること.

途中で投げ出してもいいんだ,とゆったり身構えること.

これは何も遊びに限ったことではなく,人生の多くの場面で適用できる思考法だと思う.

 


「自分にはこれしかない」と背水の陣で物事に臨むのはかっこいいし,それで結果が出る人はそうすればいい.

 


しかしそういう心構えで挑むと義務感からパフォーマンスがガタ落ちしてしまう人は多いと思う.

パフォーマンスが落ちるだけならまだしも,日常のあらゆる面において義務感が顔を出し,精神的に,結果的には肉体的にも息苦しくなってしまう人.

自分はそのタイプだ.

そういう人は著者の言う通り,テキトーに気楽に物事に臨めば,自ずと良い結果がもたらされると思う.

 


「いつやめてもいい」これを合言葉にして生きていきたい.

 


までクソ真面目であり、真面目はクソなんだということをこの本から教わりました。

具体的に真面目というのは、

・何をやるにしてもやりすぎる(結果、なぜか全く楽しくなくなる)

・趣味をやれば世界を目指してしまう。(結果、趣味が仕事みたいになってしまい、苦しみが伴う)

・規範や決まりごとを守りすぎる

そう、僕は悪い意味で”大人”になってしまっていたのです。それを、「もっとテキトーでいいんだよ(笑)」この本がブチ壊してくれました。

本の内容を実践しているうちに「成功」とか「人生論」とか、幸せになるためには何か難しいことなんだと思っていましたが、「なんだ、子供のままでいるだけでいいんか(笑)」と、めっちゃシンプルなんだなと。

今では、「成功するため」を理由に全くしていなかったゲームをはじめ(PS3買いました)、歌舞伎にも興味を持ち、小説を読み、そういった”無駄に思えるけど楽しいこと”をしているうちに、感覚的にですが子供の頃のワクワク感のようなものが蘇ってきていて、人生の素晴らしさというものを味わっています。

 


そうすると不思議なもので、いろいろと仕事でもいいアイデアが浮かんできたり、人間関係は良くなったりと、まさに人生が変わりました。

 


肝心なのは、遊びの本質。日本人はまじめでオタクになりやすいので、趣味にしても遊びにしても、すぐにムキになって頑張ってしまう。頑張れば優劣をつけたがる。それが嫌なら、「私などまだまだ初心者ですので~」とへりくだる。遊びはゆるゆると少しずつ上達するのが良いと、この本は説く。成長の余地があるから、遊び。なかなか簡単に言えることはないと感心。

 


著者は、一つの遊びを極めるのではなく、本を同時並行的に乱読するように、広く浅く手を出す遊びを提唱している。一つと決めると、周囲の人間との競い合いに発展し、リラックスできる遊びが、徒労感を生み出す行いへと変貌してしまう。自分が興味のある遊びに首を突っ込み、遊びは無駄なものと割り切りながら、我を忘れて打ち込める遊びに時間を割くことが、人生を楽しむために寛容なのである。

 


「遊んでいる人は魅力的だ。」これはどうやっても否定出来ない。

遊んでる人に対する印象は、遊ぶ余裕があるというだけでうらやましいとか、遊びの話が面白くてもっと聴きたいとか、何かやらせたら面白くしてくれるんじゃないかとか、友達になりたいなど、良いことづくめ。

ならばどう遊ぶか。それを教えてくれる本でした。

遊びはまじめに続けるような物ではなく、「やめてもいい」「飽きるまでやる」。

すでに遊びとして定義されているものを始めなくてもいいし、自分で名前をつけてしまえば、オリジナルの遊びになるという考え方はとても楽しい。

百名山を上らずに見るだけ」それも遊びなのだそうだ。

 


やりたいからする、遊びは人生を豊かにする、

義務感に追われてやるようなものは、遊びでなくなってしまう、

気楽に、楽しめる遊びをいろいろ見つけて、

今人生を楽しまないと、もったいないよー。

 


「何か自分が生き生きしたいな」と漠然と思うことはあっても、「よし、遊ぼう」とはなかなか思えない。

ところが筆者は、オリジナルの遊びの開拓者となるべき、これは、イノベーションにもつながると、爽やかに伝えてくる。趣味と趣味の意外な結びつけを見つけても良い、百名山を登らずに撮るでも、旅行に行ったら必ず市役所の写真を自撮りで撮るでも、面白いという。「こんなの、遊びなのか?」と思えるのだが、遊びに名前を付けると、立派な遊びになるのだそうだ。「積層系」(時間のかかる、盆栽や歌舞伎鑑賞)は、早めに始めたら良いと、背中を押してくれる。

本書を読むと、「遊び」を難しく考えずに、自分の思い通りのこと(さらにそれに微妙な味を加えて)をすれば良いだけであると、背中を押された。クリエイティブな積層系を始めてみるのも、面白いなという気持ちでいる。

 


『「できないこと」を無理に「しよう」とする必要はないのです。「できないのが当たり前だ」という感覚をぜひ忘れないでほしいです。』

そしてなるべく若いうちからしたいことを見つけること。

 


年齢を重ねるほどに、人生は「ありとあらゆることが実験だ」と思うべき

●60代以降が日々を楽しく暮らす上で最優先すべきは「やってみたかったことをやること」

●何よりも大切なのは「体も脳も使い続けること」

●「他人と比べる価値観」をいち早く捨て、とらわれなくなった人こそが、本当の勝ち組

 


日本人は元々心配性でストレスが溜まりやすく死因も癌が多い。

日本の医学会は西洋人の生活習慣病重視の考え方が持ち込まれ日本人に合わない。

心配性の日本人こそバランス的には『やりたい放題』と考える位がちょうど良い。

 


特に注目したのががんへの考え方。

がんになったら治療をせずに思う存分に生きようと書かれていて、確かにそうだと思えました。ちょうど兄ががんと闘病の末亡くなったばかりで、痛く染み入りました。

 


いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。


元気に動ける間に時間とお金を使おう


じっとしていることで何かに出会う人もいる

自分は、だれも求めていないようなものを、求めてもいいはずですし、他人が嫌うようなものに、意義と価値を見出しても構わないはずです。

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ジムに通うなど現役時代の感覚と肉体を失わないようにすることは案外重要です。精神は肉体に宿る。

 
私もあなたと一緒。ゴキブリ精神でともにフリーとして這いつくばっていきましょう。

 


自分は、だれも求めていないようなものを、求めてもいいはずですし、他人が嫌うようなものに、意義と価値を見出しても構わないはずです。

 


幸せの量に合わせて福が来るのであれば、小さな幸せを積み上げたほうが、たくさんの福があなたに降り注ぎます。

 


一言でいうと、最近のぬるいゲームに一石を投じた本当の意味のロールプレイゲーム。

俺もゲームは遊びじゃないって部類のマニアックな人間ですが、ドグマ2はかなり高評価です。

これからあの街まで長い距離歩かないといけない、ちゃんと薬調達しないといけないな。

もしかしたら死ぬかもしれないから高い金払ってでも宿に泊まるか。といった駆け引きが無茶苦茶おもしろい。

普通のゲームだったら空気になりがちなパーティーメンバーにも普段から気をかけておかないと、取り返しのつかないことになる緊張感(竜憑き)

セーブデータが一つしか無いのも、何度も巻き戻して自分の気の済むように、なんて生ぬるい事を許さない開発の意図が読み取れる。

皆が不満に思ってる、ファストトラベル、セーブ、竜憑き、全てにおいて緻密に計算されていると思っている。

言われてる通り万人には受けないし、寧ろ7,8割のユーザーには拒否されると思いますが。本当に刺さった人は心から評価してると思います。珍味みたいなもん。

 


待ちに待った作品だが、個人的には満足の出来栄え。

しっかり熟成し、期待を越えてくれた。

確かに最近のオープンワールドと比べるとプレイのしにくさもあるかもしれないが、「ドグマ」としての続編を望んでいた身とすれば、これぞ正統続編と言える。

良い意味での変わらなさは評価したい。

自身、前作は3つのハードでやるほど好きで、長期に渡りハマっていたが、本作でまた向こう10数年は遊べるかと思うと嬉しい。

一部、カクつき、モーションブラーなど不満を持つ人もいるようだが、正直自分はなんとも思わないのだが、、

これまで現役でダークアリズンをやってたせいかもしれないが、全然快適にプレイできている。

前作ファンなら間違いなくオススメできる。

ただし、快適なオープンワールドを期待しているならちょっと違うのかもしれない。

ドグマらしさ、という点ではプラスになる評価も、人によってはマイナスになってしまうだろう。

システムを理解して購入するといいと思う。

 


キツイ重量制限…

いやいやドグマやってない勢の

お言葉ですな。

重量制限やファストトラベル

荷物預けのシステム

これぞドグマの世界観ナンデスヨ!

従来のRPGがやりたいなら

ドグマは向かないです。

自分は甘甘システムRPGが好きじゃないので。

四次元ポケット持ってんのかい?的な

何時でも何処でもひとっ飛び

ぬるい世界だ…

もともとドグマとは苦行を強いられる

作品。

ちゃんとドグマという作品を

調べてから

プレイして欲しい…

 


最初は、とにかく不便、面倒。

 


エストをこなしていくことで、徐々に不便さが和らぎ、武器防具もそれなりに入手と強化が可能になり、気付くと貧相な服装から、ゴツゴツの鎧装備に。

 


目的達成感を急がず、一つ一つのクエストを、コツコツとやる気持ちで進めていけば、だんだんと自然に、時間を忘れてのめり込める、不思議な魅力が備わっている。

 


コンテンツボリューム盛り盛りで、道筋をある程度決められてしまっているような、導線が引かれた風呂敷全開のゲームのように「やらされる」わけではなく、目の前に用意された広大な世界を、己の力で少しずつ切り開き、少しずつ成長していく。

苦労を敢えて感じることで、それを乗り越える達成感と成長と喜びを感じられる、そんなタイトル。

 


ストーリー、世界感は、前作同様に過剰なファンタジーさはなく、硬派などっしりとした西洋風ファンタジー

 


広大なフィールドを歩けば、自ずと様々な出来後や洞窟に遭遇し、開拓心がそそられる。

モンスターの倒し方や攻略法は、同行するサポートキャラクターである「ポーン」によっても、決して一つではないので、様々な経緯や結果が発生する。

迫力満点の大型モンスターも、時には誤って?自ら川に落ちて、勝手に謎に倒れていくような笑えてしまうケースも。

 


不便、というキーワードはネガティブに見えてしまうかもしれないが、その不便を和らげる、もしくは乗り越えられる解法が、このドラゴンズドグマ2には

備わっていると思う。

宿屋宿泊費用は確かに高く、最初は憤慨したが、この怒りがあったからこそ、自分の家を買えたときに、その怒りからの開放感を味わうことができた。

 


アクション操作の気持ち良さは、流石のカプコンなので、充分にもともと備わっている。手触り感でストレスを感じることは少ないはず。

情報量はそれなりなので、UIがある程度複雑になってしまうのは、その他の魅力と相殺する形で許容範囲かと。

 


楽しむための敢えての不便さ、ストレスだと捉え、そして焦らず遠回りしながらでもクエストをじっくりクリアしていけば、

気付いたときには、この世界にどっぷり浸かって、さらなる冒険がしたくなって仕方がない気持ちになっている、そんな魅力にあふれています。

 


オープンワールドが好きなものの前作はやっていない自分ですが、不自由さが面白い、とか、好き嫌いが別れるゲーム、とか耳にしていました。

いざ、プレイし始めたらめちゃくちゃハマってしまいました。

他のRPGと違い、ファストトラベルなるものは簡単には出来ない&荷物の重さ、持ち物にも常に気を配らないといけない&外ではどこでもキャンプできずキャンプエリアでしか宿泊できない&急にめちゃ強のモンスター現れたり奇襲も多くて気を抜けない!などなど…その不自由さが、なんだかリアルで、すごく面白さを感じます。サブクエである場所に行かないといけない……どこだ…わぁ遠いな……準備しないと……みたいな、さぁやるか!とひとつのクエストにも腰を据えてやるみたいな感じで、でもクリアするとその相手との関係が深まったり、そこから新たな事実が分かったりと、ちょっと頼まれたものがどんどん進展していくのもとても楽しい。色々シビアで、ある人をどこかに連れていく依頼では、奇襲によってその人がいつのまにか〇んでしまってクエスト失敗となりますし(生き返らせるやり方もあったりしますが、どこに行ったか分からなくなることも)、セーブも1個しかできず詰みかけたとき慌てますし、急にメインポーンが崖に落ちていなくなり、慌てて戻って復活させにいったりも。その時の不安と寂しさたるや……メインポーンやポーンたちがいてこそ旅が楽しく、成り立ってることを実感。。探索はとても楽しくてつい洞窟など寄り道してしまうけど、奥のモンスターにボコボコにされたりしますので、簡単には行きませんし、戦闘を頭を使ってやったり、とにかく色々考えながら進ませるような奥の深いゲームだなと思います。

そういうところを楽しめる人にはもう最高でしかないです。逆にぱっぱと先に進めたいような人にはイライラするかもしれません。

キャラクリとグラフィックが神がかってるせいで、美男子を普段も、ムービーでも堪能できて幸せ…。欲をいえば、装備の非表示設定ほしい。。せっかくのいい顔が装備によって一切見えなくなるの辛いです。まだまだ序盤だと思うので、これから先の冒険も堪らなく楽しみです。

自分のために演奏してあげることで、心のエネルギーが回復することを認識できると、もっともっと音楽演奏の幅が広がります。

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音楽の演奏とは、誰かのために行うことも一つの側面ですが、それはあくまで一つの側面にすぎません。観客がいなくても、演奏は成立します。自分のために演奏してあげることで、心のエネルギーが回復することを認識できると、もっともっと音楽演奏の幅が広がります。

 


音楽を演奏するというのは、決して特別な行為ではありません。昔から様々な行事や儀式などで、誰もが歌い、演奏する機会がありました。それは喜びを表し、ときに悲しみを表し、それは人を慰め、言葉にならない感情を外に放出する手助けをしてきました。音楽を奏でることは、誰もが行ってきた、自然な行為なのです。

 


できないことをやろうとするときほど、気分が悪くなることはありません。そんなときは、「やらない」と勇気をもって答えていいんです。 「心地よくなることをすべてやる」「自分に噓をつくのはやめる」「できないことはやらない」。この3つをやり始めたら、すごく心が軽くなりました。

 


困難な状況になったら、自分の力ではどうすることもできない膨大な縁を思い、「なるほど、これではしかたない」と明らかにした上で、潔く諦めることは大切です。自分でどうしようもないことは悩まずに、さわやかに生きていきましょう。

 


一念発起して、自分だけの「荒れ地」に出て行くか。

 


自分がもっとも自分のサービスを好きであること、これがお金をいただくために大事なことなのです。

 


自分で稼いだ金を、なんの得にもならないものに、還元するなど、この利己主義の社会では、本当に馬鹿げたことに思えます。

 


ここで大切なのは、感性(=センス)の革命です。

 


長く楽しく自分らしくやりたいからこそ、少々のムダやだらけは、むしろウェルカム。逆に、ムダな時間を楽しめなくなったら、要注意。

 こういった心がまえでものごとに取り組めば、はっと気づいたときには身も心もボロボロに……といった事態は防げると思う。

 


膨大な時間こそが、あなたの財産。
外で働く気がない者は、昔の貴族の様に
時間をかけなければ習得できない技芸と、
その技芸を起点とした人脈を作る事を心がけるべきである。

 


結局のところ、素敵な人生っていうのは、稼いだお金ではなく、安定した人生でもなく、貪欲に何かを追い求めていた必死になったユニークな出来事の積み重なってできるものだと思っています。

 


遊びにおいても上達する過程を実感するのは、最高のご褒美である。そうであるなら焦ってスキルをつけ過ぎないのも方法論として有り。 一気に上級者まで駆け上がれば、その先の伸び代は限られてしまうのだから。 従って、上級者になる為に時間とお金と体力を集中投下するより、中級者レベルの遊びを複数かじっていた方がより一層楽しめるのである。

 


谷が深くても、「つらい!」と逃げるのではなく、「高い山があるのだから、深い谷もあるよね」「こんなに深いの? そんなん、知らんがな……」とつぶやきながら自分の道を進んでいけたら、そのプロセスすべてに肯定的な意義が生まれます。

 


「人生の意味」を感じるために必要なのは、「外部世界にあるなにか素晴らしいものを獲得すること」よりも、「外部世界の課題に取り組む、自分自身の働きの姿勢」ということになります。  私たちの外部につながるときの姿勢が、真摯・真剣・熱意・犠牲を厭わない思い・心からの感謝・熱い祈りと願いの込められた・心からの愛情と配慮に満ちたものであるほど、私たちはその働きから「つながり感」を得ることができ、それを通して「人生の意味」を実感することができるのです。

 


これまでの歩みもまた自分の大切な一部であると受容して、更にこれまでの道を極め、深化させていく

 


「私なりの道」「私なりの真理」「私なりの世界観」「私なりの独自性」といった、他者と異なっている自分自身のオリジナルで主体的な選択や思考といったものを信じて個性化の歩みを深め、極めていく、というところに中年期の歩みがあるのではないでしょうか。

 


自分を大切にできない患者さんに今日も話した。「今やっていることは外国に引っ越すようなものなんですよ。新しい言語や文化になじむのはそれなりに努力が必要で、古いところに戻りたくなる。でも、自分を大切にできるようにするには、苦労しても新しい文化に慣れなければいけないんですよ」頑張ろう!

 


世間体とか気にしてもおまえらのこと助けてくれる人いねえから

 


「死」への執着が強かった時は、もう何しても死ぬしかなかったんですが、今は「死」だけにこだわらなくてもいいかな、辛かったら寝ればいいし、酒飲んじゃえばいいし、好きな動画延々と見てりゃいいよ。どうせ人生、いつか勝手に終わってくれるし。って思っています。選択肢が増えて、「死」への執着が消えたら、テキトーに人生やれるようになったんです。

 


生き方においては、自己満足を目指したヤツが最強だ。
自分を楽しませることさえ出来ていれば、まわりに素晴らしい仲間が集まってくるようになっている。

日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。

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本物の贅沢は、知恵と時間こそを使い、お金はかからない。

 

ところが残念ながら多くの人は、それを「面倒くさい」という。

あるいはまた、買った方が安い、という。

 


大自然の厳しさもあるのは事実ですが、

花のあいだを飛び渡る蝶、

木のうえで毎日楽しげにさえずる小鳥、

彼らのように、日々、自然生命は生きていけるのです。


そして、

仕事も、遊ぶように戯れるように働いてこそ、創造性も生産性も高まるものだと思います。

 


伝統は、ただ継承するだけでは古びていくのみです。新しいことにどんどんチャレンジする。そうした試行錯誤の結晶こそ、伝統の真髄であります。科学の躍進や技術の向上が伝統を支えます。

 


わたしはゴロゴロして浪費してるだけのうんこ製造機です ゴロゴロ最高! 浪費最高に幸せですけど何か? そしてもっと好きなこと楽しいことやりたいことやっていこうと決めました。

 


客は店で何か起きてるぞと気づいて、確かめたくなったんだ。

 


重要なのは、どの工程も自分にも未知の「どうなるんやろ~?」というワクワク感がある事。
このワクワク感が小さくなってくると、仕事に向かうエネルギーも比例して小さくなる。
一人でも延々と作業が続けられるポイントは?
自分にも分からない未知の事に取り組む好奇心だ!

 


頑張ろう前向きに!系じゃなくて、人生なるようにしかならんし適当にな、って方が自分のやれることしようって気になれる

 


人生は死ぬまでの暇つぶし、生まれてしまったから生きてるだけと開き直ると少しだけ気持ちが楽になる。世間は何だかんだ言う人もいるけど、好きで生まれたわけじゃないもの。

こうしなきゃ、あぁしなきゃ、なんで私は駄目なんだって無駄に気張って、強迫観念に囚われてたことに気づいた。
開き直ったからと言って幸せになるわけではないけど、辛くても心を無にして小さな楽しみ見つけて生きてくしかないんだろうなぁ。

 


あんなにがんばったのにほめてくれない。求めれば求めるほど辛くなるんだ。
日常そんなんでみんなイライラしている。
だから。必要なことを必要なだけすればいい。
結果を出そうとして無理な目標出したりするじゃない。
そうじゃなくてほどほどでいい。できる範囲でやればいい。
持てる範囲で持てばいい。
 

 


うちの義理のおじいちゃんの節約術
1.買うな。
2.消耗するまで使え。
3.修理しろ。

 


シンプルな生き方から私たちを遠ざけ、人生を複雑にしている要因をただ1つあげるならば、それは
「抱えすぎ」
という事です。

 


忙しさのあまりに、家事が後回しになっていませんか?かつての私はそうでした。  例えば「仕事」を優先している場合、しっかり働き「結果を出す」ためにも、「家事」に少しだけ時間を充てられるよう、調整してみてください。全体がうまく回るようになれば、一番優先したいもの(=仕事)の効率も上がり、あらゆることが楽に感じられるようになります。スキルアップや収入にも繋がっていきますよ。

 

 

時間に追われていると思ったら、立ち止まるという事、ゆっくりするという事をしてみませんか?そうする事で見えてくる事、感じる事があると思います。お茶を飲みながらゆっくりとする事や自然を眺める事は、自宅で5~10分の時間で簡単にできると思います。


日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。


大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。

誰かになりたがっているのは、ひとえに

「なにが与えられているか」にばかり注目しているからです。

そうではなく

「与えられたものをどう使うか」に注目するのです。