生き方がぼやけ、「魂からの説得力」を発揮できなかったがために、周りの人を動かすことができなかったのです。
人には誰でも、つらい経験や触れられたくない過去、人知れず抱えているコンプレックスがあります。 だからこそ、それらを自らさらけ出し、「自分と同じように悩む人を救いたいんだ」というメッセージに人は共感し、動きます
「我」を捨てて完全にその人になりきる、徹底的な物真似が、結果的に「我流」の強力な礎となります。
単なる「つらかった過去」だと思っていたことも、真摯に向き合うことで「強み」に変わり、それが誰かのためになることもある。
しかし、しつこくしつこく、これでもかというほど「行動」を継続すると、確実に人は動きます。
「熱い想い」だからこそ、「冷静に」文章にまとめる。自分が紙に書いた文字や、画面に打ち込んだ文字を見て、「本当にこう考えているのか」「どこかがねじ曲がっていないか」と繰り返し考える。この「見える化」が重要です。
人生を変えるための根幹をなすのは「熱い想い」です。 「想い」なくしては、何も始まりません。
なんの為に生きるの❓と
問い続けたし死にたかった。
今は答えられます。
生きる為に生きるの。
それだけで充分。
最低だと思った自分より
最低な人ものうのうと生きてる。
自分で自分の足を引っ張るのを止めて
図々しくなってみたら、
ちょっと楽になりました。
チャップリンの名言で
「人生はピンポイントで見たら悲劇だが引きで見たら喜劇だ」ってのは言い得て妙だなと思う。
ほんとにこんな自分みたいなハズレ人間、生まれて来た時点で滑稽だなとよく思います。てかお前よく頑張って生きてるよなって自分でも思う(笑)
人間関係私もうまく築けないタイプだよ。
そのせいか小学生の時は墨汁かけられてイジメられたし、社会人になってからも先輩から蹴りいれられてた。
集まりも一人だけハズされてた。( SNSで判明)
だからもう人とほとんど接しない個人プレイな仕事してる。
出勤したら話す言葉は「おはようございます。お疲れ様でした。」だけ。
自分の居場所見つける事も楽しく生きる一つだよ。
死にたかったり生きてみようかなと思ったり浮き沈み激しいけど、とりあえず自分自身を許容して愛して行く事は今後の人生におけるテーマみたいなものかな?と思ってる。
人生に遅すぎることはない、って90何歳かのおばあさんが言ってたよ。私もそう思う。
行動を起こしたら必ず何かが起こる。その解釈も自分次第。
あの時は若かったあの時動いていればって未来の自分が振り返る「あの時」って常に今なんだよ
コツコツと小さいことでも成し遂げて、やるじゃん私っていう達成感や自己満足を日々感じられることが幸せかなと思ってます。
逆転ってのじゃないけど、最終的勝利かなと。
死ぬのにまだ迷ってる場合。これは逆張りしてみる。
たとえば、持っているお金を全て使い果たしてできるだけ自分が想像つく限りの贅沢をしてみる(死んだ時お金残しても意味ないのと、多分楽しいことをしていると、あれ? 生きようってなる)。
そのために必要なのが
「実現しようとしない」
「がんばらない」
「罪深いことをする」
という
タブーに飛び込むことなのです。
終わってる自分をね、認めたら、
今、
今ね、
人生で1番!!幸せ!!!
あなたが
自分のこと大事にして
どうでもいいことで
心や体を埋めなくなったら
「豊かな」現実が
あなたの「想像」と「理解」を
超えたところからやってくるから
楽しみにしててくださいね。
で、あるときに
こんなに頑張ってもここまでしかなれないのなら
がんばることに何か意味あるんだろうか?
がんばっても、ここまでなら
がんばらなかったらどうなるんだろう
がんばっても、認められない、好かれないなら
がんばらなかったら、どうなるんだろう
今まで頑張ってきたことを
止めたらどうなるんだろう、
と
仕事って休める時は休んだ方が能率が上がります。
心にも余裕が持てて、ひとにもやさしくなれて、周りのためにもなります。