何をしても、何をしなくても、誰がなんと評価しようと、世界がどう変わろうと、支配者だろうが被支配者だろうが、健康に良かろうが悪かろうが、すべて意味がないのは気楽だ。解放感いっぱいだ。救済もユートピアもなくてもどうでもいい。嘘も真実もどうでもいい。夢も恐れもない。ならば、逆説的に、気が向いたら何でもやってみるかという気分になる。
やり残したことが無くなるまで、未練も怨念も哀しみも何もこの世界に感じなくなるまで徹底的に生きることだ。自分の一刻一刻に集中すべきだ。ほんとうに、自分がしたいと思っていることをするべきだ。他人がしているからとか、他人が羨ましがるからとか、他人が是認するからとかの理由で、自分の欲望ではなく他人の欲望を生きてはいけない。何もしたくなくて、ただただ風に吹かれていたいだけならば、ほんとうにそうならば、無為に風に吹かれているべきだ。
「自分は馬鹿でブスで貧乏だ!」と認めてしまえば、ラクになる。どっちみちゼロかマイナスの人生じゃないですか、何を気にすることがあろうかという気持ちになる。落ち込んだら上を見てはダメだ。下を見る。トイレが詰まらずに水がちゃんと出るというような、ささやかなこと(決定的に重要なことでもあるが)に喜べばいいのだ。
これからも、今までと同じくろくでもない時代だし、一時はもっとろくでもない時代になるだろう。頭の硬い素直で立派な優等生気質の人にとっては、無駄に負荷が増えて無駄に悩むことになりそうだから、その頭にちょっと軽く毒を注入しよう。
ともかく、カネがなく餓死しそうならば、役所でカネを貸してくれる制度もある。生活保護も受けることができる。申請書は何枚もあって、ややこしいが。福祉事務所に静かに強引にいろいろ相談しよう。窓口の公務員は慇懃無礼で親切ではないかもしれないが、どうせ行くところがないのだから、毎日役所に通えばいい。受給できるまで粘ろう。役所にいれば、光熱費もかからないし水道代もかからない。シャワーがないのは残念だが。
徹底的に生き、生き尽くし空っぽになって死を迎えるならいざしらず、この世界に怨念とか未練とか哀しみとか残して自殺すると、残した感情があなたをこの世界に結びつけてしまう。すると、あなたはまたこの世界に生まれるはめになる。
このろくでもない世界に私たちが生きているということは、私たちの中に、このろくでもない世界と呼応するものがあるからだ。この世界のろくでもなさが、私たちの中で無効になり忘却されるまで、覚めながら夢中に生きよう。
老いて病になっても、ひとりの役者として最期は大見え切って去っていく。そういう意味では、単にものわかりのいいおじいさん、おばあさんになるのではなくて、最期までどこか自分のこだわりを持って老いていくということが、若者たちにとっていい影響を与えると思います。
今の若者たちはわれわれの世代よりも人の目を気にして、空気を読んで自分の言いたいことを言わず、他の人から評価されることだけを気にする人が増えています。そんな中で高齢者がどこか1点でもこだわりを持って、最期まで役者として大見えを切ってくださることが、若者への勇気付けになると思います。多彩な老い方ができる魅力的な人間である、そんなおもしろい未来が待っていることを、あとから来る世代に示していただきたいと思います。
年を取っても人生を謳歌して生き生きと生き切る姿を若者に見せることは大切なことだと思います。
ポン患者は自分には時間がないと自覚してるからイヤなものははっきり「イヤ」と言う。残された時間があとわずかとわかったとき、皆さんどう過ごすか考えてみよう。この世で一番のストレスは人間関係。残されたわずかな自分の大事な時間をストレスのない人と過ごして、できるだけたくさん楽しい思い出をつくって「じゃあね」というのが一番だと思わないか。白黒つける正しい生き方はやめて、楽しい生き方はいかがだろう。
見本の な い 人 生 を ど う 生 き る か 、 私 に とっ て 大 き な 課 題 で あ り、 不 安 で もあります。でも当たり前の道を歩いていたらできなかっただろうことをたくさんして、取り残されるのではなく、誇りを持って進 みたいと思っています。
「40 代で私死ぬんだ、人生に何も残し ていない......」と思ったんですね。でも、「人間はまた生まれ変 わり、そのたびに人 生 があってその中で成 長するんだ」 という 考え方を本で読んでそれが自分の救いになりました。
それよりも、もっと人生にとって大切なもの。どうやっても取り戻せないものがある。
それは「親との対話の時間」です。
愛する人たちとの、かけがえのない一瞬を大切に。
親孝行は全体的に、お金がかかります。母の日や誕生日にプレゼントをあげたり、特に旅行は毎年恒例になったりしてくると大変です。僕もまだまだ稼げていないので、これからどうしようかなと考えますよね。
それまでは正しいことばかり言うしっかり者のイメージでしたが、今となっては自らの失敗談とか、人間はダメでも良いんだみたいな話をしてくれるようになりました。ツッコミ役からボケ役に変わった感じです。
以前は「介護しなくちゃいけない」とか「このまま独身ならゆくゆくは老老介護だよな」とか、介護や老後には暗いイメージしか持てませんでした。NHKの介護特集に出てくるような、家の中でまず親が、次に息子が人知れず亡くなって、何日後かに誰かが遺体を発見する……みたいな。
でも、実際に親孝行してみたことで、親とコミュニケーションするのは意外と楽しいことに気づきました。これなら親の面倒を見るのもわりと楽しくんできるんじゃないかと、明るい気持ちになってきています。
よくよく考えたら、介護や老後のお世話って会話やコミュニケーションが主なのに、その発想が抜けていたんですよね。ひたすら自分が頑張らなくちゃいけないみたいな、一方的なものとして捉えてしまっていたというか。