次の瞬間、自分が何をするかは自由

鬱状態では受け入れるのが難しいかもしれませんが、まず気付いてほしいのは、「あなたが生きていること」それだけでとても素晴らしいということ。仕事で成果を上げたり、他人と比べてもっと頑張ったりしなくても、あなたの価値は下がらないということ。

 


朝起きられたり、ハッキリとものが見えたり、自分で顔を洗えたり。そんな些細なことを当たり前にできるのはすごいことです。まず、それができている自分、頑張ろうとしている自分を誉めてあげてください。

 


あなたが積み上げてきたものは必ず役に立ちます。でもそれに執着せず、たとえそれがなくてもあなたは素晴らしいということに気付いてください。


それから、言葉や行動や環境を少しずつ変えていけば、きっと前向きに進める道がみえてくるはずです。


どうか、あなたが自分を心から認められる日が来ますように。

 

 


自分の「心」が弱いから鬱になってしまったのだ、とか思っている方に限って自分の「芯」の強さを後からジワジワ思いしることになると思いますよ。体を休めて安眠し、毎日引き込んでる生活も悪くないですよ。自分と向きあって下さいとの時期が来ただけの事です。気がつく時は、気がつくんです、時間かかるかもしれないが、案外鬱になりそれで教えられる事のほうが大切でもある。つまり、人身の人生の現在の状況確認ができるチャンス。

 

 

 

 


私は大学時代アパートでの一人暮らしをしていた時、家事と勉学の何気ない日常生活の中で、自分の心の中に車で言うニュートラルギアがある事に気づきました。一人暮らしで家族から離れ友達も殆どいない。孤独な大学生活でしたが、そのお陰で何者でも無い自分すっからかんの自分に気づく事ができました。それが今の自分の心の柱になっていると思っています。

 

 

 

あると思っていたものが、なかったと思うと、失望から失意(鬱状態)になりますね。

自分という器が、これまで一生懸命に頑張ったがゆえに、傷んだり汚れたりしている。だから、さっと洗って真っ白に塗り替えてみようか?

器そのものは、たしかにここにあり続けるのだから。

そう思うと、前を向ける気がします。

 

 

 

自分で自分をガッチガチに固めているんでしょうね。

鬱は柔軟な考え方ができなくなります。

こうあるべき、自分は‥自分は‥と取り憑かれたように思い込んでいる。

でもそれって自分が好んだ考え方の癖です。自分が今までに生きてきた環境や

関わった人の影響です。だから変えられます。楽になれます。

 

 

 

狭い空間、狭い価値観、狭い人間関係しか見えてないと、鬱になって心身を病んでしまいます。世間は広いですよ、価値観はたくさんありますよ、人はたくさんいますよ。あなたはあなたのままでいい。田舎者達の価値観程意味のないものはありません。

 

 

持ってないってことは、最高の可能性。

 

 

何も手に入れてないからこれから掴める

 

 

 

執着を捨てる事。無が始まりであり、無が基本である事。そこからスタート✨✨ 宇宙は無からビックバンで始まりました。それが自然の始まり。この世の全てはその真理の範疇にあります。今を自分を知って受け入れる事です。プラス、マイナスがあって今の自分があり、どちらが欠けても自分にならない。今は、マイナスが強く見えてるだけです。これからうまくいきます。✨✨✨大丈夫です。

 

 


所詮は空の空であり頑張っても風を掴もうとしてる様なもの。

勝とうと思えばそこで負け。せいぜい楽しく生きてみて。

 


ハングリー精神は時としてものすごいエネルギーを生みます。しかしただ負けたくないという気持ちだけで突っ走ると、ふと自分は今どこにいるのか

分からなくなる・・・

 


どうぞ少し立ち止まって身体と心を休めてください。

そして大きな地図をみて次はどこへ向かっていこうか?ゆっくりと旅を始められればいいですね。

 

 


大変心に染みるお話、ありがとうございます。「あるべき自分」を自ら高く設定する方ほど、不足感に苦しむ、のに、低く設定しすぎると、人として成長がなくなるような気もする。。しかし、そういう「成長」などというものも自分自身の幻想かもしれないですね。。囚われない心、廓然無聖の心、考え続けていこうと思います。

 


タロットでは愚者ですね 0は可能性

 


空っぽのかばん。だからなんでも入る。自分も十代でお腹の病気になり、自暴自棄になり、いじめられ、人に避けられ、それまで得ていた人からの一定の評価をすべて失った経験があるため、相談者様とは少し違いますが涙が出ました。

 

 

 

 

私は45才の主婦で、相談者さまの倍近く生きて、ようやっと生きるのが楽になりました。

20代の頃って、他人に負けない、とか自分は誰よりもすごいとか、そんなことで頭がいっぱいだった気がします。だから、心の状態も悪かった。生命力が旺盛な年代は、また競争心も強いのかな…。

今思い出しても、20代は、激情の年代でしたなぁ…。

 

 


何もないと気付いた事が、既にスゴいと思います。ショックな真理だけど、気づいた後、それでもここに今いる自分が、置かれた状況の制約の中で何をするかは自由です。生まれた意味なんて人間の知性にわかるわけない。明日終わるって決まっていても、でも、次の瞬間、自分が何をするかは自由で、それが私を作って行くと思うようにしています。しんどい時もあるけど、晴れ間も来ます。そうやって、分かったり、また見失ったりして、皆、生きてるんだと。

とても厳しくて美しく、何度失敗しても、限りなく情け深い。

 

 


このお話を聞いて、自分の中にも何か重たいものがあって、過去あれだけ頑張ったのになんで、こんなことになるの?ということになっていました。それは大愚先生の言う通り、自分という聖なる箱の中に、まだ、過去の栄光が入っていることに気づかされました。これからは、また新しく人生を作っていく気持ちで、頑張りすぎないように、でもやるときはやって、一から再建していきたいです。ありがとうございました。