エネルギー 私も、周りの目や世間体を気にして→焦って自分を奮い立たせて動いて→ハイになって頑張って→シンドくなって動けなくなる、をずっと繰り返してきました。 一つ気づいたのが、動けない時に自分を責めるような内言を繰り返してると、好きなことのために動く意欲やささやかなことに喜ぶ感性がガンガンすり減っていくことです。 反対に何かのハズミで自分責めが止まってると、「あ、ちょっと動いてみたいかも」みたいなエネルギーがいつの間にかチャージされてます。 また最近動けなくなって焦って無理に自分を焚き付けたりしてましたが、ぢんさんの言うように動けない状態が今の自分なんだなと割り切って、もう少しマッタリしてようと思ってます。
お金を使う時にめっちゃ感謝するようにしていたら、お金が入ってきた時に「お金って私の応援団かも!?」ってふと思って、応援してるよ~って言われてるかと思ったらすご~くありがたくなりました!
応援団みんなで楽しい体験しよう、と思ったら損得よりもワクワクする方、で決めることが出来るようになってきてます!
ほんと、ありがてーーですねっ
私の家は家庭崩壊してます。高卒ヒキでメンタルもやってます。 ですが、腕一本で何とか学歴も関係ない世界で楽しくやれるとこまできました。 ここまでくる間に、沢山の同情とクソバイスに出会いました。友達は作らないと決めました。バカにするために、安心するために呼び出されていると気づいたからです。 そして同様に、私もクソバイスをしてしまっていることに気づきました。人生を立て直したことが私の誇りであり、自信の根っこでもありますから、誰もがそうだろうと勘違いしたのです。だから、そういう意味でも友達は作らないように、自分からは世話を焼かないようにと決めました。ただ、その場から生まれるバカ話をするだけです。 30年と少し生きて体力が落ちたからこそ、とも言えることで、まだ自分の能力が見極められず、体力が余っていて外に溢れ出さずにはいられない20代の悩みとしてはごくごく普通のことではないかと思いました。こうやってぶつかって自分の人生とはなにかを考える10年間だと思います
自由に生きていたら
人は死にたいなんて思わない。
だから、「自由」とは
人にどう思われてもいいと思えるかどうか
そこに行きつくんだろうな。。
泳げなくなったら
泳がなくていいと言うことを。
ただ、浮かんで
流されればいい、ということを。
みんな、もう少し
不真面目になろう。
「失礼な人は相手にしなくていい」というルールを自分で作るのだ。失礼な人というのは、最初から自分と分かり合おうということを放棄しているし、人に失礼であることを己で良しとしている程度の者なのだから。このルールを決めておかないと、うっかり挑発に乗ってしまったり、傷ついてしまったりする。
どんなに真面目でかっちりした仕事も、「いやいや、これは遊びだから」って思うと、義務感でガッチガチな状態からするっと力が抜けて、意外と楽しめるポイントが見つかってきたりする。深刻さから抜けだして、真剣に仕事するためのちょっとしたコツ。
あ~めちゃめちゃ分かる! 興味がない! ホントそう。 今の仕事も、仕事というよりはしたいことしか絶対にしないでいた感じで続いている。 いくらもらってるかとかよくわからない。 最低限生活できてるから、かまわないって感覚で、細かいことは分からない=興味がない。必要を感じてないってことだったんだ。 世の常識、社会情勢、経済…全く知らない。 そんな自分はバカなのかなぁと劣等感だったけど、どう頑張っても説明書並みで新聞やニュースは読めない、頭に入らない。 興味がない。 それに尽きるね。 そして私もこんな修業好きでした。 登山、クライミング、ひとり旅… 今思えば、あんなに怖くて辛いことをひとりでやってたんだろう? あえて合わないことに向かっていくところがありました。 結婚離婚も三回… 家庭が欲しいと口では言いつつ、いざ結婚したら何をしたらいいかすることが分からなくなり離婚を繰り返しました… 本質が分かってなかった。 そもそも家に興味がないのかも… あ~ 修業好きなら、いっそアルピニストのように、とことん極めたり楽しめばいいのかな。 でも、そんなにタフじゃ~なかった私。 自分を越え過ぎた修業は、自分を痛めてしまう。 歳をとり、ほどよい刺激と成長を感じられる塩梅が分かってきた。変わってきた。 興味がない、ということで未知の世界もたくさんあり、人と接することでまたそういう世界を知る機会を得たりもするから、本当に一人では生きていけないなぁ、と思う。 闇雲に結婚結婚ってこだわってた頃より、足元から実感を伴って人と共存したいなぁと思うこの頃です。
あ、神さまがやってんだったら
これでいいんだ、問題ないんだ。
治そうとしてるわたしの『我』が問題だった。
この状態を受け入れて、肯定しよう。
って思いました。
そういえば、「何事も深刻になる必要はないから」と、ダンナもよく言ってます。
(ダンナやっぱ神だー)
深刻になる時って、深刻になる必要のないところでぐるぐると…そこに出口はないのに、そこだと思い込んで探し回っているような、そんな感じがする。
あと、何が何でもやりたいことなら、それこそ寝食忘れてでもやるから。
どーーーーーしても動けない時って、「動かねばならないのに、何故動けないんだ。動けない自分はダメだ」と思い込んでいる時で。
「そのうち何とかなるだろう~♪」って(植木等とクレイジーキャッツの唄みたいに)放っておいたら、ふとしたタイミングで自分あるいはその物事自体が動き出す、ということがあるし、思いがけないことが起こって、「やっぱりあの時に無理して動かなくて良かった~」と、後からわかることもある。
「やっぱりあの時に動いておけばよかった」と思うのは、実は心の底ではこれがやりたい!と思っていて、自分でもどこかで気づいていたのに、見て見ぬフリをしてしまった時かな。
ええかげんにせえよ。
他人なんかどうでもええねん!
あほか!
どんだけ待ってると思ってんねん!!
そんなんどうでもええねん!!
私のこと大事にせえよ!!!!!
(私:え?え?大事にってどう大事によ?具体的に言ってくれないとわかんないじゃん!)
もっと私を穏やかに過ごさせんかい!!!
他人がとか、周りがとか、どうでもええねんアホか!
まず自分やろどこ見とんねん!