「楽しんでいるからご褒美をあげる」

 

 

 

会社を成長させるためには人材を育成し、カルチャーを大事にし、事業を育てること。重要なのは将来に向けたビジョンだと再確認できたことで、周囲の声はまったく気にならなくなりました。

 


普段できないことは本番でもやるべきではない。変わらぬ態度でいることは、筋を通すことになる。
長く一線で活躍する人ほど、人とのつながりを大切にしている。
その土台にあるのは、義理を欠かさないことであり、礼儀を守ることなのだ。

 

 


もうお金ないからって遊ぶの我慢するの やめる すきなことしたい 働く

 


頑張っても、テキトーにしても、やらなくても、相手の態度が変わらない事に・・・ つまり、全てにおいて同じなら、何もせんでいいやん。

 

 

 


心屋のなんかしらんけど教 ほんとに最高ですねー\(^o^)/

 

 

 

この冬久しぶりに親族に会って、痛感させられたのが しんどい(頑張ってる)オーラを出す人に 「(して)欲しい・したい」 「(して)欲しくない・したくない」 をハッキリ言えずに、間接的に理解してもらおうと奮闘する自分でした。 ずっとそうしてきてた。 相手がエラく、正しく、大変そうで、従うべき、やさしくするべきだと思ってきたから。 長い時を経てようやく、人生終盤の相手の姿が自分の望むそれじゃないと悟りました。 自分の本心を通した方が、相手への嫌悪感が減りそうな気もするし。 相手にはむしろ嫌ってもらった方がラクだったのかも。 あの「しんどいオーラ」に動じないためにこそ、自分をしんどくさせてはいけないのですね。

 

 

 


迫害、されてるー(笑)
周囲の人が、苦労しないと許さないよって睨んでくるー。 苦労してる人を偉い、って褒めたたえてるから、私はその人たちに褒められなくていいや、って思う。 いままでは、みんなに合わせれば愛されたり平和に暮らせるのかと思ってみんなのルールで頑張ってたけど、どうしても合わなかった。 成績がいいとかお金持ちとか評判が良いとかそんな外向きの結果が出せない限りは嫌な顔されるんだもん。 「お前みたいな人生でいいのか!」と母に言われたり、「お前はそのままでは不幸になるから心配しろ」「公務員になるかバイトしろ」「嫌いな人でも我慢して結婚して早く子供産め」って訊ねてないのに姉やらなにやらから顔を見ればクソバイスいただきます。 だけど、私も言われるままに「そうかもしれない」って気持ちでいたから言葉が入ってきちゃってたんだなぁと。 でももう他人の趣味に合わせない。 わたし基準で行くー、って思う。

 

 

 


ステキです。 なんか知らん教。 ホント頑張り教は トラップのようになってしまう。 ぐるぐるまわる。 頑張れば頑張るほど ドツボにハマる。 なんか知らん教に入信したら、 我が道を進める。 気にしなくなる。 素晴らしいです。 ぢんさん いつも ホントありがとう

 

 

 

わたしもずっと頑張る教で、わたしばっかりって思って来ました。でも、仲間はずれにされたり、無視されたりもしてきたので、それが怖くて嫌われないように頑張るをやって、悪循環でした。 だけど、もうそんな自分が苦しかったから、それよりも自分らしくいることを頑張ってみて、相手の顔色伺うのやめて、自分らしく表現していったら、なんかいきなりパッカーンして、ぢんさんの言ってた「嫌われてもいい」がめっちゃ実感してきて、笑いが出てきた!! 嫌われてもいいって思ったら、好きなこと発信できるし、そしたら、本当なんか知らんけどいろんな人から連絡来るようになったり、お誘いもらったり、なんか逆に人気者になった気がする!!(笑) 今まで頑張るところ間違えてたし、本当は頑張らなくていいんだねー!!今めっちゃ楽で楽しいです!!

 

 

 

 

私の母は子供が好きよりも義務で育てていたと言ってました。母性より義務で子育てを頑張ってたみたいです。だから型にはめようとしてたんだ。ずっと私が悪いと思い自分を攻め続けた人生でした。 父の仕事は競争社会だったそうです。いかに他人よりも勝つか。頑張り教そのものです。だから私のはちゃめちゃな生き方には理解を示しません笑 子供が生まれたからって義務で頑張って子育てされるのは本当に迷惑。何のため?結婚し子供を持ちマイホームを建てる型を作れば立派だと褒められたいからじゃないかと勘ぐってしまう。子供は愛情しか望んでいないのに型ばかりの親の見栄に付き合わされた!? 理由は理由でもそれが親の愛情。受け取るかどうかは私が決める。とりあえず私は自分を責める人生を卒業出来たので良かったです! それに犬や猫を義務で飼う人なんていないですよね(ㆀ˘・з・˘)

 

 

 

 

先日、旦那とお年玉について話をしていたところ、旦那の実家と私の実家の違いに気づきました。 旦那はどんな幼少期でも、500円なんてもらったことがないと。もっと額が大きく、兄弟で差がなく、同じ額をもらっていたと。常に年の差は関係なくいつも平等だったと。 お年玉はお小遣いじゃなく、子供への投資だよ。と。親はいつも兄弟に差はつけなかったと。 私は、年齢で判断したお年玉をもらっていたので、小さな頃は500円、年齢が上がるにつれて高額になっていく。だから、お兄ちゃんはいつも私より多くもらっているのを見てきました。 そんなところからも、優劣ができていて、私は劣のほう。他にもおやつの量、必要なものの値段、質、年齢が上がるほどに必要なものが変わってくるだけなのに、劣等感を感じていたと思います。いつしか私は下の人間だ。と思い込んだんでしょうね、寂しかったー。 でもぢんさんを知って、こういう勘違いもわかるようになりました。 旦那の家族と出会えたことにも感謝です。 ということはどこかで優遇されていた事実もたくさんあったんでしょうね。きっと恵まれてる私を信じていた部分もたくさんあったんだろうな。 お年玉、子供にたくさんあげよっと。 兄弟で差をつけるのはやめよっと。お小遣いも、お菓子の量も、ご飯の量も、小さなことから差をつけるのは、やめよっと。

 

 

 


仁さんを知ってから「頑張っているからご褒美をあげる」というのにザワザワするようになりました(^◇^;)「楽しんでいるからご褒美をあげる」がいいなぁ~

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