それぞれのレース。走る。
自立する、ということは、結局は自分に自信をつけることです。 自分を信頼することです。 そうすることで、心満たされ、夢や志が生まれます。 「できそうな気になる」のです。
「与えられた材料(経験)で、
自分だけの料理(人生の目的)を探してください」
あり得ないことも起こるし、
そのあり得ないことが起きることを
本気で信じて取り組んでいる人もいます。
決定ボタンを押すかどうか」
です。
つまり、「意思」です。
書き換えてしまうと、過去のものは捨てることになります。
何十年も繰り返してきた、
慣れ親しんだ、
傷つかずに済んできたパターンを捨てることになります。
これが「決断」です。
今の境遇を「嘆く」のもあり「嘆き続ける」のもあり。
でも、今の境遇を笑い飛ばす、と決めてみるのもありですよね。
トレーニングとして、割りきって楽しんでみるのも、あり。
かみさまが「こうしなさい」と言っても、
それを受け入れるかどうかさえも、実は自分が決めていいのです
ひとつ、大切なことは、
決めて「断つ」時に、切り捨てないこと。
否定して、切り捨てないこと。
今までのやり方を、今までの人生を、今まで選んできたことを。
それをやってきたことも、一つの選択です。
認めて、感じきって、終わらせて、手を振って卒業して、次に、行こう。
わざと頑張るべきポイントを無意識にちゃんと外して、
わざと結果が出ないようにしてしまう。
結果が出てしまうと、証明できなくてこまっちゃう(笑)
そんな「ダメモード」「被害者モード」から「抜け出す」
という決意をしないと、いつまでも周囲の人を巻き込んで、
周囲の人を加害者にして、
周囲の人に「無価値観(役に立てない)感」を与え続けます。
がんばって抜け出してください
得意とか、好きとか、才能とか、関係ない。
私は、どうしても、これだけはやりたい!!!
何があっても、これだけはやりたい!
これをしないで死んだらきっと後悔する!!
これが「天命」であり、
それがたまたま「仕事」として成り立っているのが「天職」
どーーーーーーーーーーーーしてもやりたい!!
色々やってみる
色々体験してみる
楽しいのがあれば、また来てもいい。
それだけをしに来てもいい。
一人で来るかも知れない。
今度は誰かと来るかも知れない。
そこには、天命なんてなくてもいいし、
探さなくてもいいかもしれない。
ただ、体験する。
ただ、楽しむ。
それだけでいいのかもしれない。
それなら
色々なアトラクションに乗ってみようよ。
さあ
勇気を出して、色々体験してみよう。
ほら
「私はいいの」「こわいから」なんて言ってないで。
色々、失敗してみよう。
実は、人生という遊園地を
楽しむことが天命なのかもしれないね。
それに向かい合った時、対峙したとき、
自分がどうあるか、自分がどういられるのか、
相手がどうであるかを論じる前に、
自分が、どうするのか、どう感じ、どう考えるのか。
それに対した時に、自分がどんな心でいられるのか。
どんな心が飛び出してくるのか。
そして 何を思い出すのか
自分があこがれる人
自分も、あんな風になりたいと思う人
うらやましいなぁと思う人
尊敬する人
色んな人がいます。
そういう人を見て、心の底で感じること、
それは「共鳴」「共振」です。
自分の中に「ある」ものが「共振」「共鳴」している。
ないものは「共鳴」しない。
また、人によって、憧れる人は違う。
ということは、自分が共鳴する人は、
自分の中に「何か」がある。
そして、あんな人になりたい
あんなことをやってみたい
あんな実績を残したい
同じようにオリンピックに行きたい
そう「思った」ときに、自分の中の才能が動き出す。
つまり、
自分があこがれる人
大好きな人
尊敬する人
それは、自分の中に眠る、
まだ自分が気づいていない才能と情熱を気づかせてくれ、
思い出させてくれる人かもしれません。
あなたの憧れる人は誰ですか。
その人を見て心が動いたら、
その要素が、才能が
あなたの中にも、それはあるということかもしれませんね。
トラウマライン」を抜けるためには、
その「嫌がっていた感情を味わいつくす」という方法が有効です。
(はじめから無理!という前提でとりかかれば、いつまで経っても無理ですし・・・)
劣等感を克服しようと行動し、
憧れが自分の才能に気づかせ、夢へと突き動かす。
今に見ていろという反骨が、強烈なエネルギーを生み出し、
「夢を叶えたい」という欲望が
行動と、アイデア生み出す。
たぶんだけど
やりたいことが見つからないんじゃなくて、
やりたいことがあっても
自信がないから、やれない、と最初からあきらめてしまっている。
自分には無理だと、決めつけてしまっている。
やっても、失敗することが耐えられないから、
どんなセミナーを受けても、どんな本を読んでも
気付かないふりをしてしまう。
そんなことじゃないかな。
自分の身に起こる出来事、
自分が目にするもの
自分が耳にするもの
自分が感じるもの
すべては「サイン」であるということ。
そして、大切なことは
その「サイン」に対して、自分がどうするか。
ということです。
「で、どうするの」ということです。
「あの人が」「あいつが」「この現象が」「この障害が」「この問題が」
ということではなく、
それを目の前にしたときに
「自分がどうするのか」
胸を張ってみるだけで、呼吸が広がり、心が「安心」する。
成長するということは
今まで知らなかった世界に手足や心を伸ばすことかもしれない。
過去に経験したことのない世界
「こわいよ」と言われた世界
一度失敗した世界
そんなところに行くのが、成長かもしれない。
自分のトラウマを乗り越えていく。
生きている限り、心は、人は、魂は
そこに行こう、行こうとするのかもしれない。
でも、それが怖くて
必死になって止めている。
恥をかきたくなくて
傷つきたくなくて
自分のダメさを思い知らされたくなくて
本当は、頑張りたいのに、
コツコツやって、地味な努力も必要だとわかってるのに
いまさらやれない、かっこ悪いし
と、楽に変われる方法、近道ばかりを探してしまう。
でも、その間にも、成長は止まり続け
人生は、ねじれ、歪んでいく。
ねじれ、歪んでいく。
歪んでいく。
歪んでいく。
そして、
実は、もやもやする。
本当は、才能があるのに
本当は、努力なんてしなくてもいいのに
本当は、流れがいつもそこにあるのに
私は、あの人とは条件が違う。
だからこそ、自分にできることがあるはず。
自分だけのやり方があるはず。
探してみよう。
自分だけの、持っているもの。
得意なもの。
幸せも
成功も
あなたのすぐそばにある。
あとは、気づくか気づかないか
きっとそれだけだと思う。
「でも、やってみよう」
ものわかりよく
悟ったように
冷静なふりをしてあきらめるのではなく
なりふり構わず
一杯恥をかいて
笑われて
バカにされて
それでも、やってみたい。
突き動かされる何かを持っている。
それが「情熱」
常識がない人=頭おかしい人って思いますよね? ということは 私は私にとって「頭のおかしい人になってみる」って思うようにします。 すると、すごく楽になります。 罪悪感が薄れて、楽しいことばかり思いつきます。
「ただ、生きている」っていう最高の贅沢を楽しまないで、未来が楽しくなるわけないじゃん。「ただ、生きている」っていう最高の贅沢を楽しむってのは「今に集中すること」で、今に集中するためには「今、好きなことするしかないぜ」