あなたにとって幸せとはなんでしょう?
日々、どうありたいと願って過ごしていますか。
たとえば、経済的に豊かになることも、人生の大きな目的のひとつと言っていいかもしれません。仕事で成功し、高い収入を得ることは、成功した人生、という方程式に結びついているように見えます。
しかし、私たちが毎日お会いするご門徒のみなさんの話を聞いていると、お金持ちが幸せ、という単純なくくりはまったく間違っていることに気づかされます。
仮に、100歩譲って財産を持っていることが人生の成功とくくるところまで認めたとしても、そのことと幸福とは必ずしも結びついていないことを、日々思い知らされます。
大きな家に住んで、人から見ればなにもかも手に入れているように見えるのに、いつも足りない、足りないと不満を持つ人もいます。
一方で、小さなアパートに住みながら、自分が持っているものに不満が少なく、心豊かに過ごす人もいます。
結局、持っているものの量や内容で、幸福感は語れないのです。それは、ものばかりではありません。
良い大学を出て、いいところに就職した人が、その後の人生で幸福になるかどうかわからないことなど、今ではだれでも知っています。
病気にいたってもそうです。もちろん、自分が病気になることを望む人はいないでしょうが、病気になったことによってあらためて人生を考えたり、新たな出逢いによって自らの歩むべき道が定まり、幸福を感じる方もおられます。
たしかに、野心や希望、目的を持って生きることは大切なことです。良い大学に入ってやがてお医者さんになろうとか、素敵な人に出会って結婚しようとか、そんな目的をもって頑張ることは生きる張り合いともいえます。
しかし、万一それが叶わなかったときでも、そこにはあなたなりの新しい居場所や幸せがあるはずです。
目的をもって、幸せを願うことはいいことです。ですが、もしもそれが果たせなかったとしても、どうか絶望しないでください。
私たちの人生は、楽しいことばかりではありません。上手くいかないこともたくさんあるし、大切な人を失うことだってあります。まさかの境遇に身をおかれたとき、わたしたちはうろたえてしまうのです。
そんな苦悩の中にある人々のために、お念仏があります。「弥陀にまかせよ」という呼び声が、お念仏となって私たちのところに届くのです。弥陀とは、阿弥陀様のことで、私たちのいのちが輝くように、いつも支え願ってくださる仏様です。その願いが私に届いたとき、閉ざされた闇の中から、私の命の進むべき方向が明らかになるのです。
大切な人を亡くせば、その事実はもう動かず、亡くなった人が生き返るわけではありません。ですが、仏様の教えを聞き続けることで、仏様の願いが私たちに届くとともに、正しいとばかり思っていたものの見方が、実は間違いだらけだったと気づかさせていただけるのです。
そして、悲しい事実だけでなく、悲しみの中にも私を育むはたらきを感じることができたとき、一歩前に踏み出すことのできる世界が開かれてくるのです。
あなたはどうやって生まれてきたのでしょうか?
10代さかのぼると、1214人のご先祖様がかかわっています。誰一人欠けても生まれてこなかった私のいのち。相田みつをさんは『自分の番 いのちのバトン』という詩の中で、こう書きました。
「いま ここ に 自分の番を生きている」
あなたの多くはバトンを受け取って、懸命に走っている最中。多くの人に救われて生きてきました。決して、一人ぼっちではありません。
私たちは、縁と縁とが相互に結びつく、「縁起の法則」の中で生かされています。あなたが生まれたから縁ができたのではなく、あなたが生まれる前から父と母の縁があり、あなたが生まれてくるのです。10代さかのぼれば1024人のご先祖様、みんなが“いまを生きるあなた”にエールを送っています。
どうか、あなたはあなたの幸福な人生を送ってください。