この半年で、家の中のモノを
8割ぐらい手離した。
大きい食器棚と小さい飾り棚。
重いタンス3つ。机2つ。
そこに眠っていた
大量の食器や洋服やアクセサリー。
サーキュレーター2つ。
絨毯や絵画や本……。
まさに「羽が生えたように」
心が解き放たれ、
気持ちのいい、穏やかな時間がとても増えた。
生まれて初めて、
海中ワールドを体感したくなって
スキューバダイビングも始めた。
モノを減らすと、物心両面の、自分が本当に
欲しいもの、やりたいこと、大切にしたいものが
くっきり浮かび上がる。
ただ「生きている」幸せがご馳走に感じられる。
これからさらに、シンプルに、自由に生きたい。
継続するためには
・ややムズで試してみる
・自分なりにアレンジして試しながらやってみる
・コツコツ自分時間を作ってやってみる
・小さくしてスキマ時間にやってみる
結局のところ「習慣化」するためには、自分で決め事をつくり、自分でアレンジすることが大事かと思いました。
能動的にダラダラすることは良いことであり、人生や仕事は長期戦なので、休むときはしっかり休んで、走るときは全力で走るというメリハリが大切だと再認識しました。
休みたいという気持ちは、自分が価値がない証拠ではなく、回復が必要というサインであると捉えるべきと言う筆者の主張に賛成です。
【無駄な自分を捨てれば、幸せになれる】上手に妥協すれば、さらに得をする。
頑張りすぎなくても大丈夫。もうダメだと決めつけているのは自分自身。欲求不満もうまくコントロールできる。満足する気持ちがあればステップアップできる。
他人と自分を比べて落ち込んだり、努力が報われないと悲しくなったり、嫉妬心をもてあましたりなど、ネガティブな感情で心を乱されることは多いものです。
でも、「もうダメだ」と決めつけているのは自分自身です。半分の水が入ったコップを見て、「もう半分しかない……」と悲嘆に暮れるか、「まだ半分ある!」と嬉しく思うか。同じ事象でも、意識の持ち方を変えるだけで、「心のありかた」は全く変わってくるのです。
「足るを知る」とは、古代中国の思想家、老子の言葉です。「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しています。不満を言っても、自分がミジメになるだけで状況は変わりません。
しかし、「意識の持ち方」を少し変えるだけ、喜びや幸福感、安らぎに満たされた人生をおくることができます。
頑張りすぎなくても大丈夫。上手に妥協すれば、さらに得ができます。
生きる意味じゃなくて、楽しく生きる事を考えてます。ネタトピでガハハと笑ったり、スナック菓子を頬張ったりと、小さなハッピーに満足してるよ。
自分が想像している人生とは違ったけれど、今が一番私らしいのかもと思える
ようになった。特別なことを望まず、周囲と比較せず、静かに過ごす時間が増え
自律神経が安定してる。絶望、孤独を経てたどり着いた穏やかな幸せが今ある。
3年前、ずっと貧乏だった私は地域で一番高級と言われたマンションを購入しました。幸せと思ったのは一時だけでその後、虚無感に襲われ辛い日々が続きました。幸せってなんだ!改めて考えさせられています。
幸せに執着しない方が、
幸せに近づけそうですね!
私もいつか幸せになりたいと思っていました。でも、そのいつかとは永遠にくることはないのだと気づきました。幸せの青い鳥は探しても見つからない。今目の前にある一杯のお茶に幸せを感じることが幸せなんだと。
自分から出た欲がその人自身を苦しめると言うのは真理だと思います。
>幸せになる事を諦めたからと言って不幸になる訳ではない。
まったくその通りですね。
この人生は夢だと思ってたら楽
世間体も関係ない。だって夢なんだから
歴史も全て自分の脳が作り出した物語
私は40越えてからピアノ
始めました。
難しいけど、少しずつ弾けるように
なると、頭がチューニングされて
気持ちが切り替えれたりします。
リコーダーでもギターでも
興味あればオススメよ(^-^)
「いまのこんな自分でいいや」
これに勝るものはないです。
自分にオッケーを出すと「自分が何とかしなきゃ~」を諦めることが出来る
だって はじめっから出来っこないし 出来たことないじゃん~o(_ _*)o
お金も道具なんですね。 手にした瞬間に上手に使えるものではないんですね。
使えば使うほど上手くなる
いろんな使い方を覚えていけば、道具の扱いはどんどん上手になっていくんです。
「私なりの道」「私なりの真理」「私なりの世界観」「私なりの独自性」といった、他者と異なっている自分自身のオリジナルで主体的な選択や思考といったものを信じて個性化の歩みを深め、極めていく、というところに中年期の歩みがあるのではないでしょうか。
年齢を重ねるということは、「人との違い」が大きくなることであり、それは人と比較することができない「唯一の自分」へと成長していくことにほかなりません。
「自分は一人ぼっちになってしまってもいいのだ。わかってもらえなくてもいいのだ。本来の自分自身になるのだ」という形で、孤独を引き受ける決意をするのです。
「自分なりの境地を求める」というのは、「紙を一日に一枚重ねる」というような、一見するとなんでもないような、地味なことを続けることにほかならないのです。地味でぱっとしないかもしれませんが、平凡なものでも積み重なると、途方もなく大きなものになっていくのです。
多くのことを望まず、いま自分の手にあるものをうまく活用して、自分が満足できるように工夫してみよう……そう考えて、実践してみてほしいのだ。