いェーイ‼️
やる、やる、やる。
自分の好きなこと、見つけたら、やる
何で、自分のやりたいを遠慮してたの?
知らんしーーーっw
やれ、やれ、やれ、自分(^ー^)
オープンカウンセリングに行って、 私は目立つ人なのよ、諦めてと言われ、 悪く言われたくないからと身を引いてきたつもりの私は 諦めて、目立つを受け入れることにしました。 そしたら、結構自由な私を取り戻して、 人目や人の行動、発言が気にならなくなりつつあります。 自分を自分で許してあげるってこういうことか~!って 毎日ちょっとずつですけど確認しながら生きてます。 が!ちょっと戸惑うことがあってこちらに書き込みます。 自分のやりたいことをやって、気持ちに嘘をつかずやっていて、で、何人かと話すことがあったりするとき、私の発言で空気が変わるのが分かる時があります。後者だから? 空気が、ピリつくとかではなく、私の話を聞いて、他の人同士が目を合わせるような、あ、またなんか言ってんな…と思ってるのか、この前はなしてたことだね…みたいな感じで、なんか、イヤーな空気が一瞬過ぎるんです。 私は私のやりたいことをして、自分を大切にして、 目立つことも受け入れて、まーまー楽しくなってきてるのに、 その、空気が変わる瞬間が怖くてたまりません。 何をしても嫌われるし、何をしても愛されてると思っていても 目の前で変わる空気、いやな空気がたまらないのです。 その空気に一瞬でもなると、それが気になって、 また喋らず自分を押し殺す私に戻ろうとしてしまったり… ぢんさん、どうしたらいいんでしょう? それも含めて笑えってことですか?
ぢんさ~~ん、Tポイントぶっ飛びました(笑) 単価率が高いやつに使おーとして、使わずにいたら・・・ この前、醤油に使って、おしまいか(爆笑) 笑えます。 「しょーゆぅことや」とか言わんで下さいね。 更に笑ってまいますから。
自分という人間をさらけ出すことが 生きると言う事。 いい所だけじゃなく、ダメで、汚くて、 エグい所も全部さらけだそう。 だから、いっぱいチャレンジして、失敗して 嫌な目に遭って、恥かいて、損して、怒られて、 笑われてよう!って。 それを何回も聞きました。 するとそのダメな部分も自分だし、それが生きるという事なら、どんどん自分を全力で表現することにチャレンジしようと思いました!! 最後に歌っていた『OK』で涙が溢れてきました。 まだまだ色んな自分にOK出せてなかった事も知れてよかったです。 これからはどんな自分にも『OK』し 全力で自分を表現しようと思いました! それで、嫌われようが好かれようがどっちでもいい。 どうせ愛されてるから♪
幸せの大地を歩いていて、転んでも幸せ… そう思えたことは一度もありませんでした。 他人の顔色を伺うのがくせで、かといってお世話や愛想笑いが苦手な謎な人間です。 友人に対しても顔色伺って必要としてくれるか面白いと思ってくれるかどうかを気にしちゃうから心から信じるなんてできなくて、自分から好意を示すのが超絶苦手。もし断られたら?もし引かれたら? めちゃくちゃ嫌な奴だった学生時代にも友人がいて、今でも遊びに誘ってくれるし、対人恐怖で上手く人と関われない今も、手を差し伸べてくれる友人はいます。 しかしそういう友人の顔色を伺ってしまうので、顔色を伺うという自分なりの「愛される努力」をやめるのが怖いです。 やめる勇気、だけなんでしょうね… もし愛される努力をやめて友人が傍を離れていっても、ここは幸せの大地だから大丈夫ってことなんですね
ぢんさんの伝えてるお金や運の仕組みって、その大地で花を咲かすことなのかなと思いました。「なくても幸せだけど、咲いてるとキレイだよ」人によって咲く花が違うから咲かせ方も違う。種を蒔いて芽が出ない人 や咲いてもすぐ枯れちゃう人、そんな人に「手をかけすぎだからほっときなさい」「水じゃなくてお湯をあげなさい」とかビックリだけど自分の中になかった考えをアドバイスをしてるってことなのかなと。花がいっぱい咲いてる人(お金持ちや仕事で成功してる人)を見て「1本も咲いてないから不幸じゃないってことも忘れないでね」って伝えてるのかなと勝手に解釈しましたm(_ _)m
自分は愛されたいと思ってて、でも自分が思うような方法で表現されてないと、愛されてないと思ってました。
でも逆に自分は愛してるけど、毎日その人が思うような愛を表現してるかというとそうじゃない。
自分は出来てないくせに、人が出来てないと喚く。
結局、そんな事で愛されてる、愛されてないって推し量るなって事ですね。
ちっちゃなことは気にするな、それワカチコワカチコ!だね!
ベースを知れば宇宙にも行けそう
愛や幸せがベースにあることに気づくと、見放されても、病気になっても、誰かに嫌われても、それが表現でしかないことがわかりました。嫌な出来事で涙も出るし、落ち込むけど、あなたの価値はずっと変わらない、ちゃんと「幸せは在る」と知ってるから、そもそもなぜ落ち込むのか自分の反応を楽しめたり、長く落ち込んでいられない気がする。
ぢんさんはいつも近くで「ここにありまっせー!」って教えてくれてて、それにみんなが「どこ?どこ?」って反応してるんですね。「だぁかぁらぁ足元!」って(^_^)
なかには(無意識に)わざと自分で石ころ設置して、わざと転んで、犯人探ししながら怒ってたり、たまたま転んだ時の傷口が治りかけてもいじり続けて「ほら見て!もう歩けない」とか言ったり。
気づくと色々わかってきて面白くなってきました。