エメラルドハンターの四十代女性を情熱大陸で見た。エメラルドの原石を加工せず、指輪にするお仕事だ。現地に行って、エメラルドを直接仕入れに行く。現地の人と直接交渉する。その姿は非常にかっこよかった。今はバリ島でアメリカ人のシステムエンジニアの夫と二人の娘さんと自然の多いところで暮らしている。作ったリングはバリ島の高級ホテルにて販売しているそうだ。

 

心理カウンセラーの仕事の一つは、悩んでいる人が「努力しても、なんともならない」という「過酷な現実」に、少しずつ向き合い、人生を、少しずつ「あきらめていく」そのプロセスを供に支えていくことです。
 いきなり過酷な現実に直面させるのではなく、その現実や、自分の中にある「割り切れない気持ち」を、少しの間、自分から切り離しておいて、「見ないように」「考えないように」する工夫をいっしょに考えて、そしてできるだけ、「とりあえず、いま、できること」に集中する。心をひどく傷つけたり、人生に絶望したりすることなく、無理がないように、自分にやさしいやり方で、安心感を抱きながら、小さく、じょうずに、人生をあきらめていく。

カウンセラーはそんな「あきらめる作業」をサポートしていくのです。

 


グリックじいさん ブタを飼ってた。
クローバー畑でブタっこ死んで 
それでもう楽しいことはみんなおしまい。
それでもう楽しいことはみんなおしまい。

 

なにをしてもこりゃもうだめだ社会
私が今不幸なのは、私の選択の誤りによるものであり、結局私が悪いのだ」という思いを募らさざるをえない「自己選択不全によるうつ社会」

 


ユーチュウブ見ててヒカルさんおもしろいなぁ。関西コレクションの会社に殴り込み訪問すごい。あとはレトルトさんのゲーム実況見てた。ビヨンドというゲームである。これも非常に面白い。

国道を永遠と車で走る。国道は途切れることなく両サイドに店が続いている。
これだけ店があるなら、自分にもできるはずだろう。だからやってやると自分を奮い立たせた。

原因があるから結果がある。努力はしていた。自分なりにできることをやろう。努力の方向性が違う。何かが違う。何が足りなかったのか。

仕事をして、自分の足で立つ。経済的に自立する。それはできる。簡単ではないが、絶対的に不可能ではないんだ。

人々のお役に立てること。


苦しいですね。でも大丈夫。応援しております。と大愚和尚。


自分は不機嫌でもいいと言う人はいますが、不機嫌な人といたいという人は世の中に一人もいません。幸せな人生は「心のあり方」で決まります。自分の心のあり方は自分で決めてしまおう。

社長が
会社の社員にとっては、日常で心がゆらいで、とらわれたりすることが当たり前になっていて、それが会社の業績にも影響していることに気づく。

人生をよりよく生きるための技術。個人が日常生活の欲求や難しい問題に対して効果的に対処できるように、適応的、前向きに行動するために必要な能力。

いつも自分の心の状態に目を向け、心を大事にして生きること。心を大事にする道がごきげん道。

心は行動に影響する。そして心の状態は「脳」がつくる。
心は「感情の表れとしての状態」脳は「状態を生み出す機能を持っている器官」

心が行動に影響を与えるのであれば、よりよく生きるためには、よい心の状態でいることが大切だということです。よい心の状態とは「ごきげん」と呼ぶことにしよう。そしてそのごきげんを目指す生き方を「ごきげん道」と名ずけることにした。

「ごきげん」の先に、幸せがある。

ごきげんな状態は、「判断」「選択」「行動」「健康」など、あらゆる人間としての機能を高めてくれる心の状態です。

ですから、ごきげんでいれば、チャンスも増えるし、結果も出しやすくなります。幸せも感じやすくなるでしょう。そして人は、自分次第でいくらでもきげんよく過ごせるようになります。訓練すれば。

自分のきげんが悪くなって。人間としての機能が落ちて、体調も悪くなって、結果が出なくなって、幸せじゃなくなって・・・・・・。結局、損をするのは世界中でただひとり、あなただけなのです。自分のきげんは自分でとるのです。

まず「自分のきげんは自分でとる」とにかくそう思ってください。

「打って反省、打たれて感謝」
結果にとらわれるあまり、心を大事にすることを忘れていたということに気づきます。自分の心を磨くために、毎朝誰よりもやはく道場に来て、ひとり黙々とぞうきんがけを始めました。
「あいつに勝ちたい」「なんであいつは試合に出て、自分は控えなのか」とか「相手はどんな作戦でくるか」とか、そんな外側の出来事に自分の心を持って行かれるのではなく、ゆらがず、とらわれず、いつも自分が最高のパフォーマンスが出せるように、きげんのいい状態を自分で作る努力をしたのです。

 外の世界にゆらがず、とらわれず、きげんがいい状態を自分自身でつくって、自然に身体が動き「結果」がついてきたのだ。


不機嫌になると人間のあらゆる機能が低下してしまうこと。健康が阻害されたり、パフォーマンスが下がって、人生の質が悪くなるということ。

そして、不機嫌の原因は、認知の脳が勝手に意味づけをしたり、期待したり、比較したりしてしまうことで、自分の姿も、認知の脳の思い込みで、そのせいで自分の大切な心に、ゆらぎやとらわれを生み出し、ごきげんを手放してしまっているのだ。

HOW TO SUCCESS〜こうすれば成功する、幸せになれるっていう情報、いろいろあるけど・・・


 

あれ、ダメ。
成功の仕方っていうのは、人それぞれ、その人限定仕様なわけだから。
その人だけで、他の人には、通用しないから。
必ず、すべての人に、
その人なりの成功の仕方がある。
必ず1個は、あるから。
世の中とか、誰かが決めた成功なんて全シカトで、自分勝手に、胸張って生きりゃいいんだよ。

 

 


ドロップアウトの偉い人から10年経った。早いんだか遅いんだか。オレは何か変わったのかな?

何も変わらないならやることは一つだろ?取り組みは同じままさ。

いやはやなんかマジメに考えすぎてしもうた。これからは力を抜きテキトーに行きたい。

悪になり、そして狂え。

ドロップキックをかましたれ。胸張って生きろ


虚無感から早めに戻ってこれたのはデカイ。


グリーンカレー旨い。アスパラの味しますね。
そんなに辛くもなく、優しい味だ。生きてて良かった。


オレ様主義かぁ、なんかいいな。あらたさん。


生活に余裕を持つというのはほとんどの意味で時間的な意味なんだと思う。

時間にたっぷりとした余裕があるとき気持ちにもたっぷりとしたものが満たされてくる。

車にガソリンを満タンに入れた。自分の気持ちも満タンになるような気がする。
そしてそのまま洗車待ち。
前の車は黒のレクサスだ。
水滴が眩しい。

巨大なローラーで我が車もゴシゴシ洗う。非常に気持ち良さそうである。この季節は特に洗車が気持ちいい。久しぶりなので車も喜んでいそうだ。ボンネットに鳥のフンつけたまま走っててごめんね。ちょっと反省だね。


んで乾燥の風で水滴を飛ばす。太陽の光に反射して眩しい。冬はもう遠くに行った。今は春の後半。生命が繁盛している草達を眺めている。負けるなオレ。

今日も日差しが強く、良い天気である。台所で冷たいお茶を飲みながら書いている。冷たい飲み物が美味しい季節になりましたね。朝食はほうれんそうのカレー。野菜がたっぷりでうまい。

 

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 おお、そうだ。車のガソリンが切れそうなので補充しておかないとな。土日に補充しとけば、エネオスでTポイントが五倍ついたんだけどなぁ。といっても25ポイントでしかないんだけど。でもそんなことの積み重ねでアイスとかをファミマでポイント買いするのはなんか気分いいよね。昨日のキャッチボールの筋肉痛が残っている。肩が痛い。明日には直るかなぁ。書くことはほとんどないけど、何かしらを毎日書いていこうと思っている。意味はないけどやってみる価値は自分にはあると思っている。三千文字くらい毎日書いていきたい。意味はとくにないけど。書くのが好きなのかもしれない。ちなみに書くのはポメラDM200で書いている。この機械めっちゃいいのでお勧め。書くしかできないけど。だからこそいいよ。

俺は今自営業で仕事はあまりない。だから収入もあまりない。暇な時間が多い。しかし非常にそれが良いものだと思っている。暇はすばらしい。やることがないってすごくいいと思う。やることがないと休める。そして休みにも次第に飽きてくるので何かを始める。それってすごく創造的なことだと思う。人間的だし、また動物的だ。こんな風に生活を続けていきたい。金はそんなに無くても今のとこなんとかなりそうだ。隠居ライフの大原さんもけっこう充実してそうだったしなぁ著書では。俺もスコーンとか作ってみよっかな。いややっぱいいや。めんどくさい。


今気になっているのはキンドルのアンリミテッドとかいうもの。月額980円ほどでその名の通り無制限に本とか漫画のコンテンツを読めるらしい。破格すぎやしないか。かなり熱い。

キンドル電子書籍は未だ触れてみたことがない。興味はすごくあるんだけどね。紙の本ばっかり読んでた。読書は大好き。だからいつかは使用してみたいと思ってたんだよね。


電子書籍をためらっていた理由は売れないからです。今まで俺は読みたい本はアマゾンで購入していた。そしてアマゾンで読み終わった本を売るというやり方でやっていた。それが一番本を安く読める方法だと思っていたからだ。


でもキンドルって安いよね。しかし売れないから紙の本の方がいいかなって考え続けてた。でももう違うんじゃないか?だってキンドル安い上に読み放題が出てきちゃったらもうそっちでいいじゃんということに俺の中でなった。

 

あと最近思うのは読書は楽しいんだけど、もう本買わなくてもいいんじゃないかぁってことだ。もう充分に読んだし、今手元にある本を読んであとは、新聞とか図書館で本を借りて、本代にお金は使わないほうがいいかなって思っている。俺的には活字であれば意外となんだっていいところある。こだわりがそんなにないという。ああ、でも面白い本はやっぱ買うんだろうけど。でも今まではちょっとでも面白そうな奴はどんどん買っちゃっていたからそういうの辞めたい。別に読書なんてしなくても生きていけるしね。


 読むことと書くことってやっぱ違うよね。脳の活動が違う感じがする。最近またいろいろ雑文を書き始めてからつくづく思う。書くということの方が脳を使う感じがする。読む方が楽しいと思う。楽だし。でも、だからこそ書くということをやってみたい。というかやっている。頭に浮かんだ自意識を垂れ流していくのは非常に難しいというかメンドくさい。でもなんかクセになる。メンドーだけどね。人のために文章を書いている訳ではなく、自分が今のこの瞬間を楽しむために書いているのだ。読んでくださる人のことなんて何も考えていない。じゃあなんでブログに書くかっていうと、・・・・・・なんとなく楽しいから。スターとか付くとやっぱ楽しい。それは承認欲求だとか巷では言われているらしいけど、そんな難しそうなことは置いておいて、楽しい。アクセスが微々たるものだがあるとまた楽しい。でも訪れた人は「なんじゃこりゃ」って感じだろうけれど。すいません。


 いやしかし、集中して書いていくとある種の独特の脳内世界に入っていくような感覚があり面白い。書くことに没頭するのってきっとすごく楽しいのだろうなぁと思う。

 

「結果」を出すことに価値があるのはただの「機械」である。

基本的に学校も会社も、がんばった「過程」なんかどうでもよく、機械的な「結果」だけが最終的な評価となります。


「結果」のみを求めるなら、人間らしさをなくし、より機械のように生きたほうがリスクが減り、安定し効率的です。


これは逆説的に、
人間だけが、無駄で、くだらない過程にい、価値や意味を見いだすことができるということ。良質な機械仕上げの大量生産の「結果」ではなく、無駄で人間くさい非効率に時間をかけた「過程」やデザインにこそ

一部の人間が生産的な価値を見い出したりもすますが、それが金銭的に売れない作品や景色だろうが、笑いだろうが、ある種の人にとっては全く生産的でない大きな「意味」を持ちます。

「結果」の行き着く先には何の「意味」も「価値」もない。

お金を儲けまくった先に何があるのか?

宇宙の先に何があるのか?

人はどこから来て何処へ行くのか?

その結果に意味も価値もありません。


人間はいつか死ぬんです。法人である会社もいつか死にます。

地球もいずれ太陽に飲み込まれて死にますし

宇宙だって死ぬと言われています。

 

そこで生産し続けることの「結果」に


何の「価値」も「意味」もないわけです。


でも人間だからこそ、その「結果」が無駄になるすべての「過程」に対して生きているだけ、

いろんな意味や価値を勝手につけていいわけです。

 

僕らがスーパーマリオを楽しんだのは、「ピーチ姫を助けました」という結果がほしかったわけじゃない。


目的に向かって進んでいること自体が楽しいゲームだった。

 

エンディングという「結果」が見たいわけじゃない。
どうせ次回作でまたさらわれるピーチ姫なんて、言ってしまえばどうでもいい。


もちろんなんの生産性もない。


それでも助けるために冒険するという、その「過程」にこそ「価値」があり、
そのゲームを遊ぶ、「意味」がある。


人間の最大の幸福感、「充実している」「生きている」とは、

自分の能力が最大限発揮されているその「瞬間」のことである。


人生本当に楽しいのは、「試合が終了した時の結果」が一番ではないんですよ。
プレイ中に相手の動きを読みきった時や、自分がこれまで以上のプレイに達したとき

それを仕込んでいる最中に想像している「結果が出る前のわくわく感」が一番たのしい。


ピーチ姫を助けたいという「結果」は確かに嬉しいのかもしれませんが、
ギリギリの攻めをかわしている「プレイ中に生きている瞬間」に比べると、
その結果が、クリボーなのか、火の海に落ちたかは
結局二の次、三の次なんですよ。


自分でできることを、頭脳でも体力でも最大限に駆使して伸ばしている瞬間が最高に充実した「今を生きている」ということ。


つまり
「結果」を一切考えず、「過程」に100%集中して今を感じとる。という状態が、

Don't think feel!

結果というのは、成功だけじゃなく、失敗も含みますが、

失敗したらどうしよう。

こんなことをしても、もしかして無駄なんじゃないか

なんて一切考えないで目の前の集中している人のほうがピーチ姫にたどりつけるだけのこと。


本当の「生きている」充実感は、、自分が今どこのステージなのか、借金しているとか、
人間関係のストレスとかは関係なく、いかにそれをクリアするか、または弱みを強みに変えるか、
そのステージに「本気で集中する」だけのことなので、自分が人生というゲームのどこのステージにいたとしても、

今しかない人生を本気で生きているだけで、どんな目の前の今も一番充実するんだから
もう「丸儲け」

この丸儲けには「パンツ一枚の結果」もなく、
「過程」そのものを指しているのが、本当の意味ではないかと思うのです。

 

二三日ぶりに書ける。久しぶりに書ける。日記を。いままでは風邪引いていたのか、頭痛がきつかった。今も少しだるい。だるいのはいつもか・・・・・・

ここ最近で自分が変わったような感じがある。諦め感というか、もうダメだ感を抱いきながら生活しているせいか、目の中の光が薄まったように思う。自分の目なんて見えないから分からないと思われるが、自分の感覚だが分かる。なにかが変わった。人生に期待しなくなった。

空しさを抱きながら生きている。誰かに言って欲しいな
「お前はすでにしんでいる」と。

俺はもう死んでいる。でも肉体的には生きている。だから今日も生きてしまっている。でももうどうでもいいやって感じ。
 
しかし生きてしまっているのだがら、何かやろうとして今日も書いているのです。ます。

なんやかんやと溢れてるけど、ここにないもの、ここにあるものそれで全てです。ます。

 

生きててもしょうがないなぁって思いつつ。この先になにかあるかもと思って生きている。しかしどーせ何もないだろうと思っていて、それが辛い。自分でなにかをしようという気持ちにも今はならなくて、昔ほど。じゃあもう生きていても意味なくね?なんて聞こえてくる。

だから生きていても意味はあるよって自分に言い聞かせる。

まぁ意味があるっていうか、無くても生きてしまっている現実がある。でもまだ二十代だし健康なんだからここで諦めるのは早いとも思う。でもなにすればいいのかもよくわからないしで、まぁのんびりとでもいいから生きるかぁってのが最近。

でものんびりとしているのも暇なので、日記を書いている。今日は暑い。五月ってこんな暑いっけ?異常じゃないか?この暑さ。さっきの人は福岡では35度とか言っていた。いやいや暑すぎでしょ。こりゃ夏はどうなるのかね?


俺のイエはもう上手くいかないだろうなぁ。で上手くいってほしかったけど、家族みんなもれなくダメになるな。これは。「まぁ仕方ないか」そういって諦めよう。どのみち受け入れるしかないんだから。現実は大変だ。

 

ヤミ金ウシジマ君の最新刊読んで相変わらず怖いなぁと思った。ファミマで飲むヨーグルトを買った。

もう初夏なのか、めちゃくちゃ暑い午後である。セミはまだ姿を見せないが・・・
あじさいの葉っぱは強い緑色になってきている。六月はどうなるのだろう。


もう俺的には概念の最高到達地点にたどり着いた。これからは下るだけだ。これより下山することになるだろう。山の頂上には何もなかった。この旅路には意味はなかった。しかしそんなもんだ。意味はあまりなかったけれど、無駄ではなかったのではないか。現に俺はこうして生きて生活している。意味なんてどうせもとより無いのだし。これからは下り道になる。それは知識をため込むのではなく、知識なんて捨てていく道になるだろう。下山するのだから。降りるぞ。このルートで。今は山頂。


わかりにくい文章ですまんな。でもこれがおれだ。書いていけば分かり易くなるだろうか。そんなことを気にせず書きまくる。気にしないよ。どうせ誰も見てないし、期待してないんだから。気張るなよ。肩の力を抜けよ。


楽しい人生がよかった。そんな幻想を今は思っている。パラダイスはどこにある?また進むしかない。それでも生きるぞ。

 

人生の大半を占める「どうしようもないこと」「なるようにしか、ならないこと」を少しずつ、すこしずつ、上手にあきらめながら、心の一番深いところだけはしっかり満たされた生き方を心がける。さまざまな困難に直面しながら、なんとか幸福な人生を手に入れている人の多くは、いろいろなことをじょうずに「諦めたり」「手放したり」しながら、人生に大切なこと、たましいのいちばん深いところだけは、しっかりと満たし続ける。そんな知恵と工夫を身につけているものです。


タイミングとスピードでチャンスをつかめるようなものには
そのような性質は有利だけど、世界のすべてがタイミングとスピードで成立しているわけではない。


1歩のステップをさらに細分化することに尽きる。

自分に足りないものを列挙していったら膨大な数になるかもしれません。
しかし列挙した自分に足りないものをよく見てみると練習すれば十分に達成可能なものはありませんか?


もっともっと細かく現状を分析し課題を上げていくべき。


それをひとつひとつ達成していくことで、着実に成長することができるんですよね。
一つの課題をクリアすれば、必ず一つの課題をクリアした自分になれるのです。

 

できないことができるようになった喜びや
ほんの少しでも成長した喜びを大切にしていけば、
すごい人を見ても
へこたれないどころか、むしろ自分の力にしていけるメンタリティが身につくのではないでしょうか?


裏をかえせば、スピードの違いはあれど、歩ききることができれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。


自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことに繋がる。

 

最終目的地と次の1歩。自分より少しだけ上手い人を探して、真似をする。というのも
良い手法だ。

何をどう上達すれば、できるか分からないよとなってしまったときには
足場が遠すぎる可能性が高い。


もっと1歩を小さくしたり、より基礎的な部分に戻ればいい。

逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったなと思ったら、ほんの少しレベルを上げる。常に次の1歩は毎回丁寧に確かめる必要がある。


次の1歩で動いた時に評価するのだ。
1歩がうまくいったときは、全力で褒めていい。そして、そのままいけばいい。

 

むりぽと思ったときは、
1歩をもっと小さめに設定するのがコツだったね。
できない、もう無理、やっぱ才能ないわって思った時ほど設定を見直せ。

 


楽しい人は知的好奇心が旺盛です。気になることがあれば、近づいてみます。
分からないことがあれば、すぐに調べます。
いろいろ経験してみたいという気持ちでいっぱいです。

極端に大げさな表現をすることで、面白い雰囲気に包まれます。
やはりネタを準備した話の方が面白く展開できます。

テレビや舞台で活躍する芸人や司会者も、楽しく話ができるのは話術が優れているだけではありません。
普段からたくさんの持ちネタを準備しているから、次々に楽しい話をしています。
また普段から楽しいネタ探しを習得していくことも大切です。

 

 

何か面白いことはないだろうか。
と考えながらすごせば見つめやすくなります。
旅行の話。
流行の話。
おいしい料理の話。
なにかを経験することは、話のネタを作るのと同じです。


話のネタを準備する気持ちがあれば、新しい挑戦も勇気が出やすくなります。
楽しい出来事に遭遇したら

「よいネタを見つけた。今度はこれをネタにしよう」

と考えましょう。


新しいネタができると、うずうずして誰かに話たくなるので、人に接しやすくなります。

 

普段から新聞、雑誌、テレビなどを通して、情報を収集しておくことが大事です。

世間を賑わしているニュースがネタになります。
世の中の情報に詳しいほうが、話の受け皿が大きくなって、楽しい話がしやすくなります。

 

楽しいネタは自然と浮かぶものではなく、準備しておくもの。面倒と思わず、宝探しをするかのような気持ちになれば、楽しみながらネタを探していけます。

 

ネタを見つけに出かけようッ!!