二三日ぶりに書ける。久しぶりに書ける。日記を。いままでは風邪引いていたのか、頭痛がきつかった。今も少しだるい。だるいのはいつもか・・・・・・

ここ最近で自分が変わったような感じがある。諦め感というか、もうダメだ感を抱いきながら生活しているせいか、目の中の光が薄まったように思う。自分の目なんて見えないから分からないと思われるが、自分の感覚だが分かる。なにかが変わった。人生に期待しなくなった。

空しさを抱きながら生きている。誰かに言って欲しいな
「お前はすでにしんでいる」と。

俺はもう死んでいる。でも肉体的には生きている。だから今日も生きてしまっている。でももうどうでもいいやって感じ。
 
しかし生きてしまっているのだがら、何かやろうとして今日も書いているのです。ます。

なんやかんやと溢れてるけど、ここにないもの、ここにあるものそれで全てです。ます。

 

生きててもしょうがないなぁって思いつつ。この先になにかあるかもと思って生きている。しかしどーせ何もないだろうと思っていて、それが辛い。自分でなにかをしようという気持ちにも今はならなくて、昔ほど。じゃあもう生きていても意味なくね?なんて聞こえてくる。

だから生きていても意味はあるよって自分に言い聞かせる。

まぁ意味があるっていうか、無くても生きてしまっている現実がある。でもまだ二十代だし健康なんだからここで諦めるのは早いとも思う。でもなにすればいいのかもよくわからないしで、まぁのんびりとでもいいから生きるかぁってのが最近。

でものんびりとしているのも暇なので、日記を書いている。今日は暑い。五月ってこんな暑いっけ?異常じゃないか?この暑さ。さっきの人は福岡では35度とか言っていた。いやいや暑すぎでしょ。こりゃ夏はどうなるのかね?


俺のイエはもう上手くいかないだろうなぁ。で上手くいってほしかったけど、家族みんなもれなくダメになるな。これは。「まぁ仕方ないか」そういって諦めよう。どのみち受け入れるしかないんだから。現実は大変だ。

 

ヤミ金ウシジマ君の最新刊読んで相変わらず怖いなぁと思った。ファミマで飲むヨーグルトを買った。

もう初夏なのか、めちゃくちゃ暑い午後である。セミはまだ姿を見せないが・・・
あじさいの葉っぱは強い緑色になってきている。六月はどうなるのだろう。


もう俺的には概念の最高到達地点にたどり着いた。これからは下るだけだ。これより下山することになるだろう。山の頂上には何もなかった。この旅路には意味はなかった。しかしそんなもんだ。意味はあまりなかったけれど、無駄ではなかったのではないか。現に俺はこうして生きて生活している。意味なんてどうせもとより無いのだし。これからは下り道になる。それは知識をため込むのではなく、知識なんて捨てていく道になるだろう。下山するのだから。降りるぞ。このルートで。今は山頂。


わかりにくい文章ですまんな。でもこれがおれだ。書いていけば分かり易くなるだろうか。そんなことを気にせず書きまくる。気にしないよ。どうせ誰も見てないし、期待してないんだから。気張るなよ。肩の力を抜けよ。


楽しい人生がよかった。そんな幻想を今は思っている。パラダイスはどこにある?また進むしかない。それでも生きるぞ。

 

人生の大半を占める「どうしようもないこと」「なるようにしか、ならないこと」を少しずつ、すこしずつ、上手にあきらめながら、心の一番深いところだけはしっかり満たされた生き方を心がける。さまざまな困難に直面しながら、なんとか幸福な人生を手に入れている人の多くは、いろいろなことをじょうずに「諦めたり」「手放したり」しながら、人生に大切なこと、たましいのいちばん深いところだけは、しっかりと満たし続ける。そんな知恵と工夫を身につけているものです。