春風の剣 電光石火の剣

超絶怒涛の疾風迅雷

カスだからこそ

またボロボロになりながら這い上がっていこうじゃないか。
それでもしぶとく今日を生きる。
意味はないようであったのさ。
歩いた道こそ武勇伝。

誰だって生きる意味なんかなくて
もっと適当に生きてりゃいい。
それこそ「くたばら喜びとっておけ」くらいの気持ちで。
人はそんなに大きな存在ではないのだから、肩の力を抜けよってことを言ってくれているんじゃないか。


まず自分が自分の最大の味方になるしかないんじゃないか。
まずは自分の気持ちを聞く。
聞いて理解する。そして受け入れる。
基本はこれです。


カスこそ最高じゃないか。カスだからこそ、できることがあるっていうか
カスにしかできないことは多いです。


私も20代はそう考えていた。30過ぎたら終わりだって。
これ大失敗。そんな考えだから30代を無駄にしたような気がする。

 

絶望するような経験や希望あふれるような経験もキャリアです。
孤独を感じたり、人の温かさを感じた経験もキャリアなのです。
今まで様々に感じてきたことが貴重な宝となってこれからの生き方に活かされてくることでしょう。


今の雇用環境で未来を見つめることを失いつつある人たちが、これからの生きていく道を
あきらめてしまうことが一番怖いことです。

人生なんて転んでもまた起き上がれば、何度でもやり直せるから決して諦めないでください。
遊びが分かってないね。まずは一生懸命に暮らすこと。


要は、「気楽に行こうぜ」ってことです。
才能って、結局欲求なんだよ。
それが向き不向きってことだよ。

向いていないことはやらない方がいい。
向いていないことをやらずに生きていくための「努力」
何も覚悟をしない覚悟。
何事も背負わないという覚悟。

みんな明日のことなんて考えず、気楽に生きようぜ。
多分、それが一番実用的だぜ。


極論、他人を説得することにエネルギーを注ぐよりも、自分がやりたいことに全力投下して
自分が自分の選んだ道で楽しそうに生きている姿を見せることが、最大の説得力を持つのではないだろうか。

人を動かすのは「正しさ」よりも「楽しさ」であり、
自分がそれでいいと思ったら、どんどんやってしまうのが良いだろう。


人生動いたもん勝ち。
何かに誘われたり、何かに参加する機会があれば、とりあえず行っとけ。
意味があるかないかは、一回行ってから考えればいい。


脱力すること。
落ち着いて自然体で振る舞うのが一番。
緊張すると脳の血流が悪くなって良くない。
心にも身体にも悪く、病気や不幸の元。
他人や不安や怒りを与えやすくなる。
武道の達人もリラックスするっていうよね。
リラックスした状態なら脳も身体もスムーズに対応できる。
緊張するとミスりやすい。

 

つまり、なんつうか、生きる意味とかじゃなくて、
目の前の楽しいことの積み重ね的な?

人なんて自分の知っていることでしか判断できないのだから
勉強するとか、新しいことに挑戦しないで見つかるはずないよ。

どうせ死ぬまでの暇つぶしだと開き直れば、楽ちんで自由。

この世ならびに自分を実験場と実験素材と考えていろいろ試してみるといい。


命を捨てるんなら、自分のやりたい事にかけて無茶するほうが楽しい。

一度もレールの上から落ちずに生きようが、
失敗に失敗を重ね底辺を這いずり生きようが、結局最後はどんな人間も
死によって全てを失う。
どうせ最後は無になる人生なんだから、
やりたいことは全部やって死のうじゃないか。

面白い人生がベストだ。
おもしろきことなき世をおもしろく。

 

鯉のぼり

調子どうですか?

うまく立ち振る舞えてますか?

渡る世間はなんとやら。


岸に立つ
仏に遇うのは此の岸で
私が途方にくれるとき


 途方にくれるたとえに「日暮れて道遠し」がある。


 歩いている道が遠いのではない。道がみつからない遠さである。歩いてきたつもりの道は四苦八苦の渦の中、足あとも残らぬ流転の姿だ。
 気がついたときには日暮れに近い。いい知れぬ孤独に落ち込む。

 しかし、まだ間に合う。迷うてきた人生はなんであったのか。この問いかけだけがあなたの道をひらくにちがいない。

 教えを求めよ。師に出逢え。生死の迷いを超える道こそ彼岸からの大道。身を託する道ではないのか。

 ごまかして通れぬ後生の一大事だ。

__昭和五十九年九月


おばさんが言っていた「この先の未来はないね」
生きることの不安との付き合いについて考えても答えはでない。
どうにもできない現実をただ生きる。それしかできない。それならできる。いま、ここだ。気づいて、捨てろ。そして照らされ摂取不捨。


孤独と、それゆえの贅沢。没頭と三昧。


間違ってもいい。損をしてもいい。おはよう。

 

 風にさそわれて窓を開けると、大空に鯉のぼりが泳いでいる。
 江戸時代、男子の立身出世を願い、五月節句の幟の模様に鯉の滝のぼりを描くようになったのが、それの始まりである。

 その後、幟のまねきに紙製の鯉をつけるようになり、さらに吹き流しにヒントを得て今日の鯉のぼりができあがったという。

 経済事情や住宅事情によって揚がる鯉のぼりも様々であり、生活改善で鯉のぼりを自粛する地区もあるが、大きな口を開け青空を風の吹かれるままに泳ぐ鯉の姿はなんと爽快なことか。

 空に魚を泳がせた先人の知恵は、実に素晴らしい。そこには物事を決めつけない、実に柔軟な思想が働いている。

 決めつければ、自らの住める世界が狭くなる。環境の変化になじめず、五月病に悩む現代人がいかに多いことか。

 鯉のぼりの口のごとく、心の窓を大きく開き、世界虚空を自在に泳いでみようではないか。

___平成五年五月


この世界を自由に泳ぎ回ろう。鯉のぼりのように。

 

役割はすでに

 残暑が続く中にも、日ごとに空は澄み渡り、涼風混じる。
 夕闇せまれば、草むらから聞こえてくる虫の声。そぞろ物思いにふける秋への移行。お盆に続く秋の彼岸も間近か。
 人生の一番大事なことを先送りにしてきたせいか、ひたすら時の早さだけを感じ、つかみどころなく空しい。

 行く先の不透明さから、心の底にただよう不安。思えば、人生の充実を求めているSOSだ。

 それを受信され、南無阿弥陀仏として発信されたのが、仏からの救済であった。

 ただし、娑婆を厭うて彼岸に連れ去る救いではない。

 この岸で、つまずき、踏み外し、落ち込むことの多い現実をたくましく生き抜く力が与えられる事である。

 彼岸から与えられる力は南無阿弥陀仏として現してある。

 落ち込む中身は生老病死、自力であがくまえに、まず聞くことが先決ではあるまいか。

__平成三年九月

 


まぁ、周りを見て、自分と比べても無駄に落ち込むだけだからやめよう。意味はないし、むだ。そんなことしなくていい。どーせもうダメなんだから、お先ないんだから気楽に行こうぜ。

 

 

梅雨明けのギラギラする太陽の下、沖合いには白波を立てて疾走するモーターボートにサーフィン、白帆のヨット。波打ち際では真っ黒に日焼けした若者や子供の歓声。夏の海は若さでムンムンとしている。この若さをいつまでもと願う。

 しかし、盛者必衰を免れることはできない。
 
 だが、道を求める者に老いはない。ひたすらに真実を求める心は、いつも隠されたものに眼を向け、人のことばに耳を傾ける。新たなる感動がつねに心を潤す。

 たとえ歳は若くても、他人の涙が見えず、歓喜の声が聞こえないならば、心の乾いた人間、つまり精神的老人といえよう。

 かたくなな心を潤し、柔和な心を与えるのは仏の光明。触光柔軟の徳を賜る聞法者は永遠の青年である。

___昭和六十一年七月


損か得か
良いか悪いか
私の思いですべてを決めた

ただ一つ
これで「よし」と
私自身が
決まらない


目の前の現実に意味はない。
好きなことを想像するようにしなさい。
嫌いなことを想像する時間を減らしてな。

「ない」ではなく「ある」を探す。身の回りの充足を探せ。
金持ちになりたいじゃなくて、金持ちであると勘違いして

そう、どの道、すべては勘違いなんじゃよ。

幸せであると感じるのも
不幸であると感じるのも

その本人のただの勘違いなんじゃよ。

不足を見れば、永遠に「なりたい」を夢にしてしまう。


金持ちさえも経由せずに「いま、幸せである」
とその場で勘違いすればいい。感じればいいだけ。

いまにくつろげば、もう幸せ。

いつかの幻想を捨てて、今を楽しんでみよう。
いまには、全てのいつかが含まれています。

いーんだよ、それで。

これでいいのだ。


その場で今すぐくつろぎなさい。

くつろげば、お前が望んでいる役割は全て「ここ」にやってくる。

君はもう、君なんだから
君には君の「役割」がある。

そのままでかけがえのない「あなた」なんだから。

六月二五日

自殺したある小学生の遺書のなかに

「本当に心の底から語り合える友が欲しかった、欲しかった」

と五、六回も繰り返し書かれてあった。

 これは、現在の子供たちがその内心に抱いている孤独を端的に表現した叫びであり、一人一人が私の問題として聞き取ってゆかなければならない言葉である。

 現代はどこまでも熾烈な競争社会であり、能力主義の社会である。そのなかで一人ひとりの魂は傷つき、孤立化している。これが「自殺」「いじめ」といった痛ましい事実となってあらわれてくるのではなかろうか。


 今日こそいのちといのちの出逢いが求められ、今ここに生きる意味を語り合い、うなずき合える師、友が求められている。

  __昭和六十一年五月

 

小林麻央さんが亡くなった。なんか切ない。

人はいつか死ぬ。
ガンは辛かっただろうな。

 

生きているうちにオレは何をするのか?
別に目的はないよね。うん。
ただ生きてやる。

 


でもゴミを捨てまくりたい。私は捨てたい病にかかっている。


捨てたいのは日々の生活が固定化されてくるからなのかもしれない。

固定化されてくると心も病んできやすくなるかも。
心に新鮮な風を送り込む必要があると思う。

飽きないようにする。


そういえば充実している時はいつも変化の中にあったように思う。

飽きないようにすること。生活を固定化しないこと。流動的でいること。
旅に出ること。


そっちの方が逆にお寺を守っていけると思う。お寺だけでなく自分自身も。


まあいいか。
これでもいっか。


自らの積極性が面白さに繋がっているのだと思う。
チャレンジ&挑戦。
積極的にやってみよう。失敗してもよし。疾風迅雷で進め。


人間、プログラミング通りに動いているな。


ヒカルさんの馬券の買い方が凄すぎて言葉を失う。
本日結果が出るらしいので楽しみです。

 

 

 

弥陀にまかせよ

あなたにとって幸せとはなんでしょう?

日々、どうありたいと願って過ごしていますか。

たとえば、経済的に豊かになることも、人生の大きな目的のひとつと言っていいかもしれません。仕事で成功し、高い収入を得ることは、成功した人生、という方程式に結びついているように見えます。


しかし、私たちが毎日お会いするご門徒のみなさんの話を聞いていると、お金持ちが幸せ、という単純なくくりはまったく間違っていることに気づかされます。


仮に、100歩譲って財産を持っていることが人生の成功とくくるところまで認めたとしても、そのことと幸福とは必ずしも結びついていないことを、日々思い知らされます。


大きな家に住んで、人から見ればなにもかも手に入れているように見えるのに、いつも足りない、足りないと不満を持つ人もいます。


一方で、小さなアパートに住みながら、自分が持っているものに不満が少なく、心豊かに過ごす人もいます。


結局、持っているものの量や内容で、幸福感は語れないのです。それは、ものばかりではありません。


良い大学を出て、いいところに就職した人が、その後の人生で幸福になるかどうかわからないことなど、今ではだれでも知っています。

病気にいたってもそうです。もちろん、自分が病気になることを望む人はいないでしょうが、病気になったことによってあらためて人生を考えたり、新たな出逢いによって自らの歩むべき道が定まり、幸福を感じる方もおられます。


たしかに、野心や希望、目的を持って生きることは大切なことです。良い大学に入ってやがてお医者さんになろうとか、素敵な人に出会って結婚しようとか、そんな目的をもって頑張ることは生きる張り合いともいえます。

しかし、万一それが叶わなかったときでも、そこにはあなたなりの新しい居場所や幸せがあるはずです。


目的をもって、幸せを願うことはいいことです。ですが、もしもそれが果たせなかったとしても、どうか絶望しないでください。

 

 

私たちの人生は、楽しいことばかりではありません。上手くいかないこともたくさんあるし、大切な人を失うことだってあります。まさかの境遇に身をおかれたとき、わたしたちはうろたえてしまうのです。


そんな苦悩の中にある人々のために、お念仏があります。「弥陀にまかせよ」という呼び声が、お念仏となって私たちのところに届くのです。弥陀とは、阿弥陀様のことで、私たちのいのちが輝くように、いつも支え願ってくださる仏様です。その願いが私に届いたとき、閉ざされた闇の中から、私の命の進むべき方向が明らかになるのです。


大切な人を亡くせば、その事実はもう動かず、亡くなった人が生き返るわけではありません。ですが、仏様の教えを聞き続けることで、仏様の願いが私たちに届くとともに、正しいとばかり思っていたものの見方が、実は間違いだらけだったと気づかさせていただけるのです。


そして、悲しい事実だけでなく、悲しみの中にも私を育むはたらきを感じることができたとき、一歩前に踏み出すことのできる世界が開かれてくるのです。


あなたはどうやって生まれてきたのでしょうか?

10代さかのぼると、1214人のご先祖様がかかわっています。誰一人欠けても生まれてこなかった私のいのち。相田みつをさんは『自分の番 いのちのバトン』という詩の中で、こう書きました。

「いま ここ に 自分の番を生きている」

あなたの多くはバトンを受け取って、懸命に走っている最中。多くの人に救われて生きてきました。決して、一人ぼっちではありません。

私たちは、縁と縁とが相互に結びつく、「縁起の法則」の中で生かされています。あなたが生まれたから縁ができたのではなく、あなたが生まれる前から父と母の縁があり、あなたが生まれてくるのです。10代さかのぼれば1024人のご先祖様、みんなが“いまを生きるあなた”にエールを送っています。

どうか、あなたはあなたの幸福な人生を送ってください。

オレと家


ブックオフにて
確かにオレは条件付けられている存在のようだ。
オレそのものは空なのか?

ウクレレは二千円で売れた。

 

この家どーしても好きに鳴りれない。それは何故か?
ゴミが大量に詰まっているからなんだ。

じゃあ、オレ好みにしてみるか?ゴミを大量に捨ててさ。やってみようかな。
ほぼいらないモノだからな。


母が怒る。おまえは何もしない。と。

確かにそうなんだよな。
でもまるでやる気にならない。あの竹達前にすると無力感に襲われ力が抜けていく。

これ、意味あんの?って。

虚無感。

これでも一度はやってみようと思った訳ですよ。

でも行く道の途中ですでに草木が生い茂り、廊下には意味不なモノ&モノ。

もうやんなるよね。

もうそろそろ限界。無許可で捨てまくりたい。
よかろう、まずは戦争だ。
そのための力を蓄えよう。

 

 

今日は全体的にマジメになり過ぎた。反省したい。
オレはそんなマジメは合わないよ。
オレの本心はマジメだとしても、ルックスがマジメじゃないからなw気張っても間抜けに映る。

オレは絵的に締まってないからマジメにやるとダメだよ笑

と今日本酒飲みつつ思う。
菊水の辛口。
新潟清酒の定番とも言える淡麗辛口酒。清流のようなキレの良い味わい。

冷やで頂いている。旨し。

マジメはダメよダメダメ。
リラックス、リラックス。

気合いなんて入れても何も変わらんから笑

簡単かつ楽しいがイイね

自身の枠組みにはめ込もうとしている。
別にはめ込んでもいいけど
簡単かつ楽しくないとね。
難しいと受けれにくい。

簡単で楽しくしなくちゃね。
難しい言葉ばかりじゃ魂も枯れちゃうわ

 

「忙しい忙しい」って言うと
「私は人生で何が大事かわかっていません」と言っているみたいな気になるから言いたくない。


その人の固有の考え方や寄って立つところの信念のようなものが、キレイに浮かび上がってくる。直感的な言語化が求められる。このため発信者の深層の意図や感覚がよりスマートに表現される。

何が新しいことをやるときって
「お金がかかるかどうか」より
「時間をどれくらい必要とするか」のほうが大きな制約条件になる。欲しいもので、そんな高いものはないけど、やりたいことで膨大な時間がかかることはたくさんある。

こびないこと。
憧れないこと。
うらやましがらないこと。
「すごい」と言われたら「やばい」と思うこと
誇りを持つこと。
小さな池で満足しないこと。
楽観的に考えること。

もっているのにチャレンジし続けるのは早め早めに「捨てる」経験をしておくことが必要。自分が今持っている最大の強みを捨てる。という経験を20代からしておこう。

あたしが心配なのは、お金がない人生じゃなくて、やりたいことがない人生だよ。

人生に大事なのは、希望とコミュニケーションのふたつ。この二つを失うと厳しい。

愛する人が存在していると、生きる意味とか問う必要がないので楽。

大事なことは、自分で自分の足に、足枷をはめないこと。足枷が付けられている人の半分は、それを自分で付けている。

自分の判断で生き始めると「クビになる」とか全然怖くなくなる。誰かの基準ではダメらしいけど、私の判断基準ではサイコーなのでOKと思えるから。

大半の宗教は「死後の世界」を強調するけど、あれは「死後の世界があるんだから、現世はいくら搾取されても我慢しなさいね」という為政者側の理論を支援しているだけだよ。

人の世話に関していえば、育児だろうと介護だろうともっとも必要なのはお金ではなく「誰かの時間」です。

みんなだいたい60才くらいから本気出せばいいと思う。(やけくそ)

世の中には「難しいことには価値がある」と思い込んでいる人がいますが、違うでしょ。簡単で楽しいことが一番いいに決まっているじゃん。

自分が楽しく生きたい!を貫ければいい。そしたら世の中よくなるって。


人生、やったもん勝ち。言ったもん勝ち。
ってのは結構あると思う。実力がなくても自信がある人の方が評価されやすい。
勘違いくらいのポジティブの方が成功することが多いよ。
そういうのを見て、勘違い人間、ハズカシーって後ろ指されても
自分の人生の主人公は自分だからさ、そんな脇役の言うことなんか気にしない!

人生いつ終わるか分からないから、楽しく生きようぜ。