「何のための所有なのか」という問いで
本来は幸せになりたくて何かを手に入れたり何かを求めたりするはずなのに
やがて「手に入れた、そのものによって、逆に自身の自由が制約されてしまう」ことは
往々にしてあるということ。
報われない努力なんてない。考えが甘い。
努力に対するリターンをでかく見積もりすぎているから
泣き言を言うはめになる。
劇的な成長じゃなくても他人の目には分からない程度の変化でもいい。
その小さな成長を自分で見逃さず
喜びを噛み締める努力を継続し、習慣と呼べるまでにした時に
初めてデカいリターンがある。
罪悪感を感じずに怠け続けることが出来るか?最低な自分を愛おしく思えるか?これができるようになるころには自己否定は消え去っているでしょう。
自分にお金をかけるということは
自分にありがとうっていうことなんですね!
わたしよ、生きててくれてありがとう
いままで生き延びてきてくれてありがとう
なんでも欲しいものは買ってあげたくなりました
自分を生きたい。
そして、そんな人が多い世の中になってほしい。
そうでない事が、あまりにも辛かったから、あり得ない事だったから、こうして願うようになった。
それに希望を感じて、その方向を目指すようになった。
忘れてた。
あの絶望チックな感情に比べたら、
消えてなくなる以外に方法は無いように感じてたあの頃に比べたら、
何てこと無くはないけど、
のびしろしか無い。(灯台は見えてる!)
行きたいやりたい、を全部、行動に移しきれなくて、焦ったりもするけど、方向性さえズレてなきゃ「続ける」ことが大事なんだろうな。
目的地には三歩では着かないだろうから。
自分を生きたい。 そして、そんな人が多い世の中になってほしい。 そうでない事が、あまりにも辛かったから、あり得ない事だったから、こうして願うようになった。 それに希望を感じて、その方向を目指すようになった。 忘れてた。 あの絶望チックな感情に比べたら、 消えてなくなる以外に方法は無いように感じてたあの頃に比べたら、 何てこと無くはないけど、 のびしろしか無い。(灯台は見えてる!) 行きたいやりたい、を全部、行動に移しきれなくて、焦ったりもするけど、方向性さえズレてなきゃ「続ける」ことが大事なんだろうな。 目的地には三歩では着かないだろうから。
今の生活のノルマ(ルーチン)が自分の
体力(回復力)の限界を超えると鬱になりやすいよ。経験上。
やめられることはどんどんやめるか減らした方がいい。
ただ、仕事だけは、やめて次が見つからないと悪化する場合もあるから難しい。
仕事以外で、負担になってることをガスガス減らして
体力的に無理のない生活をするのが大事だよ。
あと、「未来への不安」「対人関係の不満」は体力をガンガン削る。
チャンスは自分に与えるもの…ものすごく響きました。
いつもいつも、何か気になってもやらない、気になってはいるんだけど〇〇で…とできないもっともらしい言い訳探しして、諦めるクセがガッチリついていました。
最近、幼稚園に通う息子は口を開けば
「あれしたい、これしたい、あれ欲しい、これ食べたい、あそこ行きたい、…」の連続で、それを聞くたびにイライラして、頭の中では、まぁ好奇心の塊だしなーと思いながらも、なんでこんなに感情掻き回されるんだ‼︎ やっぱりイライラする‼︎ と思ってましたが。
私がそういう気持ちを片っ端から抑え込んで、無かったことにして、ずーっと我慢して来た(現在進行形)んだー。羨ましかったんだー。本当は私もこうやって、思いつくまま気持ちを言っても、気になったことを叶えても良かったんだー。と
生まれ持った自分の資質を崩して、誰かみたいになってはいけない
鍛えない勇気
学ばない勇気
頑張らない勇気
期待に応えない勇気
自然と「何も残す必要ない」と思えてきて
今が大事
目の前の人 家族 もちろん自分がいちばん
日々風のように♪
で、
これでいいのだ~~(*^^*)
結果を求めてないので
さてどうなるか楽しみです←求めてる?!(笑)
遅刻、ダラダラする、ニート、離婚等、全て完全なる悪だと思ってました。 悪いもの。 悪としかないと。ダメなものだと。 しかしこれらは私が勝手に悪だと決めつけていただけで、どれも全然悪なんかじゃないww 何勝手に悪にしてたんだ、自分!って目から鱗。 これらのことで例え周りから何を言われようと、批判されようと、そんなもの知らんww あなたはそうなんですね、ふむふむ。 私は悪いと思わないんだわ~で、良いのですよね! 今朝パッカーンがいきなりきて、本当に感動とビックリ! なんか私の中から悪がなくなった感じがするんです! これから生きやすくなるといいなぁ!
ここにあるお金を使って豊かさを楽しめました。
そして、ふと思うことがあったんです。
「お金ていうのは、自分というホースを通る水みたいなものなのかな」と。
私は、お金というものを、箱に溜めた水のようなものだと考えてました。必死に溜めて、必要な分だけ取って、何もしなければ蒸発して減って、足りなくなったら困るからまた溜めて……。頑張って溜めないと大変だ、という具合に。
でも、ホースを通る水は、どこからか来ては、どこかへ去っていきます。
お金は自分を通り抜けて、様々な体験を見せてくれて、いずれはどこかへ移ってゆき、また自分のもとへ戻ってくる。
お金の流れというものは、もしかたらそういう安心できる循環そのものなのではないか、と感じたのです。
お金に対する向き合い方が、また変わっていきそうな予感がします。今後の人生が、楽しみです。
では、失礼しました。