いきラク

生きるのを楽に

自分の成長を判別するのは自分の「内的な評価」であって、外的な評価に依存しないことを知っている。

 

だから、外野からいかに批判されようと、基本的な対応は決まっている。

 

言葉は悪いけど

 

「知るか、バカ」

ということだ。

 

勝ちだけを意識した取り組みでは強くなれない。成長しながら力をつけることで自分が楽しいし、いい結果が生まれやすい。

 

最終的に自分の身を守ることになるのではないかと思う。
行動力がない人には共通点がある。
リスクと捉えるものが多すぎること。

 

読みや直感は、行動に移さないと鈍る。動くことで自分の能力がフルに発揮されることを強いプレイヤーは知っている。

小さな気づきを見逃さず意識できるようにする。

 

成長できたとしてもむやみにハードルを上げない。

目的は成長のループを安定して継続することにある。

刺激に対する敏感さを持つことは成長の大きな助けになる。


成長するためには、持っているものを一度全部捨て去る必要がある。将来勝つために敢えて敗北を受け入れる必要があり、これを『負の投資』と呼んでいる。

 

 

心と時間は並行して走る二つの直線として想定している。

集中している時は2本は併走しているが、心が動揺すると過去に囚われ、時間の流れに遅れてしまう。

そんなときは意識を呼吸に静かに乗せて、心を今という瞬間においておかなければならない。これができたなら、敗戦からも貴重な教訓を引き出すことができる。

 


勝負強い人間は勝負の時、“今”に意識があって、未来と過去に意識が向いていない。


失敗をしたらおしまいだよと言い続けると失敗を恐れ評価を気にするようになり縮こまる。

恐れは心を縛り、動きも縛る。

そもそも、その恐れが何処から来ているのかをよく知っているかが、結果につながる。

結果を出すためには結果にこだわらないで楽しむ。

価値づけるための行為を夢を追う行為だと思っていると、やってもやっても満たされないことに気づく。夢中は価値云々を捨てたところにある。

 

学ばなきゃいけないものはやってみないと見えてこない。学んでから体験しようなんて順序が違う。

アスリートも、楽しいからやっていたスポーツが続けていくうちに気がつくと真面目化して義務化する。義務化したスポーツは創造性を失い、のびのびとプレーできなくなり実力が落ちてしまうというジレンマに陥る。期待されノルマを与えられながら、その中でどう遊び性を保つか。


新しい発想や着眼、クリエイティブなものは、どうしても、いろんな視点に身を置いたり、
普段の発想から外してみたりと遊びの要素が必要になる。

遊び的なものは、いつも非科学的で、非強制的だから、あの選手は真面目すぎて伸び悩んでいるというような表現もぼくらの世界ではしばしある。


真面目さを助長するのは期待。だから遊びを保つには社会からの期待をある程度裏切らないといけなくて、でもその時に自分を縛るのは、
「“期待に応えなくてもなお自分は必要とされるのか”という恐れ」
自分が自分のままでいる事への抵抗感をなくすことと遊びは関係がある。

 

ムラ社会は、一度ムラ社会を外から眺めるまでは、自分がムラ社会にいるとは気づかない。
空気は想像以上に人を押さえ込む。大事なのは外に出ること。ムラがある事に気づくだけでもだいぶ違う。