「社会から利益をもらうこと」と「幸せかどうか」はイコールではありません。社会からの利益とは「森の中にある果樹の1つ」でしかなく、他の木にも美味しい果実は実っています。それら果実を美味しいねと食べている時間が「幸せ」だと思うのです。

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 なんとなく楽しそう!! なんとなくすごそう!! これだけで人は集まってきます。逆に言えば、なんとなくつまんなさそう!! なんとなくダメそう!! それだけで人はその店を舐めて、離れていくのです。

 


世間は自分のことをさほど気にしていないのに、自分は世間体を気にして生活するのは意味がないのでは?

 

 

 

夢をみるためにお金を使うのではなく「いまあるお金ですぐに実現できるやりたいことは何か」を考えたほうが幸福度は高くなったのではないか、

 


楽しく生きる」という目的を達成するために、学歴が必要でなければ、わざわざ使わなくてもいいと思うのです。有名大学を卒業してニートをしていても、幸福であれば恥じる必要はありません。

 

 

 

楽しく生きていくには「何かに大きく依存している状態」は危険である

 

 

 

 真の幸福の数=増やした幸福の数+減らした不幸の数

 


獲得できた幸福の数と不幸の数が同じであれば、幸福度はプラスマイナスゼロですし、不幸の数が多くなってしまえば、むしろ不幸になってしまいます。  逆に言えば、プラスの要素を増やさなくても、いま感じている不幸の数を減らすだけでも、いまより幸福感を得られます。

 

 

 

周りから価値があると認められているものを身につける能力よりも、誰も見向きもしていなかったものを価値のあるものとして見出し、プロデュースできる能力

 


「嫌なこと好きなことがハッキリしている」  「好きなことのためだけに動く」

 

 

 

「自分で世界を捉え直す」  もしくは  「自分で世界の定義や役割を決める」

 

 

 

自己解釈を持って、自分だけのフィールドを見つけルールを作り、生活環境や人間関係、仕事を自分なりにカスタマイズする。

 

 

 

「資産を増やしてお金の力で幸せになる」といったゴールを掲げる資本主義社会でいくら上手くいっても、自分の「幸せを感じるポイント」がズレていると幸福度は頭打ちになります。

 

 

 

あなたの得意な場所であなたの好きな頑張り方で「一番幸せだと感じる居場所」を探していく。

 

 

 

「自分だけの解釈」を見つけて、  あなたの世界に新しく「ルール付け」をしていきます。

 

 

 

「世間体の安定」よりも「衣食住の安定」を取ることで、気ままに路上や山小屋、居候として暮らしている人たちがいたり、  「お金の安定」よりも「時間の安定」を取ることで、贅沢はできないけれどたまに嫌ではない程度の仕事をして、好きに昼間からお酒を飲んでいる人たち、  「将来の安定」よりも「今このとき」に目を向けることで、刹那的でもやりたいことに飛び込み、今の自分や心の安定を大切にする人たちがいたり。

 

 

 

自己解釈が極まると面白い変化が起こります。  解釈によって確立した価値観が外の世界まで影響し、生活や生き方がカスタマイズされていくのです。  僕はそんなカスタマイズされた生き方や自分だけの空間を『領域』と呼んでいます。

 

 

 

「社会から利益をもらうこと」と「幸せかどうか」はイコールではありません。社会からの利益とは「森の中にある果樹の1つ」でしかなく、他の木にも美味しい果実は実っています。それら果実を美味しいねと食べている時間が「幸せ」だと思うのです。