「足りていた」のに「足りない」気がしていただけだと気づけきました。

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もう気楽に生きることに決めた。
向上心とか努力とか必死に頑張ってた時もあったけど、全部報われ無さすぎてすり減ってしまった。
もう頑張りたくない。疲れた。
仕事もテキトーにやって、食べて寝て、ガルちゃんやって何となく生きていく。そのうち死ぬんだからさ、もう良いじゃない。何も考えたくない。

 

 

 

消化試合なんだし、法を犯さない程度に今まで経験した逆を経験してみては?60代になったらまた考えましょう。

 

 

 

自分の存在価値が無くなるのが怖くて、周りから評価されない自分になるのがたまらなく嫌で
必死に頑張って自分の価値を作り出そうとしてたことを思い出します。
わたしはありのままで十分に価値がある、この世にたったひとりの存在というだけで、誰とも比べられない価値があるって気づいてからは、頑張ることに執着しなくなりました。
だってそれってただの自己満足だもん

 

 

 

人生はほどほどに頑張って、手を抜けるとこは抜いて、余計な人間関係は切り捨てられるものは捨てて、のんびり生きて行くのがいいよ。
うちは親が早くに亡くなったし、友人も病気したり、いろいろあったから本当にそう思う。
心も体も健やかでいるのが一番。

 

 

 

もう来た道より行く道の方が短いんだなぁと気づいてから、好きなことだけして生きていきたいと思った。無理して今の仕事続ける意味ないし、子供といる時間削ってお金稼いでも仕方ないって思ってて、収入減っても、もっと楽な仕事に変えて子供といる時間を増やしたい。

 

 

 

人生楽しんだ者勝ちですよ
人はいつかは死ぬ、その先はみーんな同じなんだから、こういう言葉がある
「幕が降りると王も道化師も同じおもちゃ箱に入る」

 

 

 

閾値が下がってくれば感覚は敏感になるので 、小さなことの変化にも気づけるようになります 。やり慣れた作業や何気ない生活の中に面白味が見つかるのです 。あなたの脳の閾値を下げてみましょう 。何か発見があるはずです

 

 

 

 


私も10年、無活動でしたよ。40になって一念発起して、親交のある人といると自分の境遇を比べてしまう器の小さい私は、周りの人間とは縁を切って再出発しています。この世界でやって行けるかわからしまへんけど、30代の時がウソのように活動しまくりです。ここまできたら捨てるものはありません、失敗したとしても後悔はしない人生にしたい、とだけ思ってます。 

ふつうの人生とは違う時間の使い方をしてしまったのだから、ふつうの人達と比べてもしょうがないですよね。島倉千代子の♪人生色々♪ですよ。色々な人がいて、この世の中は多彩になっていて、ふつうでない強烈な色を発している人達なんじゃないですか?私達って。

 

 

 

死ねない理由
・死ぬよりは今(ニート)のほうが楽
・生きていたら何かいいことありそう

この二つだけが今の俺を支えているw

 

 

 

会話で違和感を多々感じたり、相手の言葉や態度で「なんか関わると疲れるな~」とか価値観や常識が合わない上にそれが「そういう考えもあるのか!」と視野が広がる感覚では無く「はあ?」と思うようなストレスになる人とは距離を置く。
合わせようとも合わせて貰おうとも思わない!

 

 

 

身軽で気軽が1番。

 

 

 

RPGにもさ、人によって攻略の仕方、進め方はいろいろあるわけじゃん?ひたすらレベル上げする人、レベル上げはそこそこでとにかく話進めてく人、ミニゲームしたり寄り道多い人。

好きなようにしたらいいんだよ。ミッションはクリアできるかできないか、だけでなく、ミッションに挑むかどうかも自分で決めていいんだよ。完全クリアなんか目指さなくていい。自分なりのエンディングを目指そう

 

 

 

「足りていた」のに「足りない」気がしていただけだと気づけきました。

 

 

 

遺書も遺言書も書いたのであるならば、もう支度はできたし、捨てるものはないわけですから、あとはひたすら、自分の足の赴くままにさまさまなことをしたらいいんじゃないですか? どーせクズなんですから笑
人生、開き直りって必要ですよ。早く開き直って、他人の目を気にして生きるのではなくて、自分のために生きる、力を注げるようになるといいですね。

 

 

 

死ぬ時にもっと長い時間会社にいればよかったと思う人はいない(統計的事実)
さっさと帰って有意義に過ごしましょう。40歳