だって、こうなんだもん。 そう、受け容れたとき、何かが変わります。

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両方してみると
お金節約してきたり 散財してみたりして あー お金って お金だなーって いまは思います お金があると 物とか サービスとか 交換できる それだけのことなんだなあと あるからって いらない物と交換しても いらない物が増えるだけで 邪魔だし!!! はい。わざといらない物を買ってみたりしたのですね~ いらない物を買うと邪魔になるから、いらないものは買わないほうがいいのか!と腑に落ちました

 

 


立ち上がれなくてもいい。
時には死んでもいい。
このまま一生を終えてもいい。
だって、こうなんだもん。

そう、受け容れたとき、何かが変わります。

ぜひ、絶望してみてください。
ぜひ、底まで、底の底まで落ちてみてください

 

 

 


パッカンしたかも。
私、子育てし始めてから、あまりにも自分の時間や、睡眠や予定が奪われてくのが辛くて。自分が置き去りになりがちな子育て、疲れ切って逃げたくて、逃げたくていました。とにかくずっと。子供は可愛いけど、イライラして、疲れてました。いつになったらゆっくりご飯食べれるのだろう、いつになったら自分らしく過ごせるのだろう。子供は可愛いのにいつも心から笑えなくて。どうやったら笑えるのだろう。って。
こないだ旦那に子供預けて自由気ままに思いつきのまま、銭湯に行き、本屋に行き、ドライブしてきました。すごーく幸せで素敵な時間だった。
さっきそのことを思い出していて、ふと思いました。
その私が素敵だと、幸せだと感じた時間は、子供生む前、
当たり前のようにたくさんあったんだなぁ。
こんな幸せな時間、私たくさん持ってたんだ。 なのにあのときその時間を味あわずに、会社のうまく行かないことに悩んでた。こんな素敵なものを目の前にありながら。。。
と思ったら、 あぁ、今、逃げることばかり考えている、一人になる時間を持てば。とか、育児は向いてないのかなとか、うまくいかない子育て。逃げようとしてたけど、逆だなぁ。素晴らしい子どもたちが目の前に、居てくれてるんだ。あぁ、これ、私の大切な時間なんだな。宝物なんだな。夜泣きも、子供に合わせる時間も、ゆっくり食べられないご飯も。子供の笑顔も泣き顔も。苦手な鳴き声も。
今私が味わう人生の「ある」なんだ。 子供との時間を今味わえるんだ。今目の前の逃げたかったことこそが幸せなんだ。 そう思いました。 流れにのるってそいことだぅたんですね。 あるに囲まれてるってそういうこと。 私は幸せ。 そういうことだったんだ。 自分の人生を、今を生きるって、そういうことだったんだ。 簡単だけど難しかったよー(笑)なーんだ。そのままを受け入れればよかったんだね。 子育てでまたイライラはするだろうけど、でもそれも含めて、幸せな私だってことですね。子どもたちに感謝。やっぱ宝もんだわこの子達。 ぢんさん、私最初から幸せでした。

 

 

 

「車」に目が向いている人ほど、全然「ドライブ」や「観光」を楽しめていない。車ばかりに気を取られていると、旅行が終わり、あの世に帰ってから、
「おいおい、俺は何のために旅行に行っていたんだよ!?」ってことになっちゃうからさ。

 

 

 

大切なのは、「足りないモノ」を追い求めることより、「いらないモノ」を捨てること。
ずっと握りしめていた「いらないモノ」を手放すことで、初めて両手が自由になるんだ。
そこで初めて新たなモノをつかめる。
手に入れることが先じゃない。
すべて手放すことから始まるんだ。

 

 

 

ホンモノほど何か足りない。
ニセモノほど何か多すぎる

 

 


なぜ自分を変えようと思ったのか?

そっちと向き合ってみてください…

こんな自分を変えないと…

何がまずいんですか?

恥ずかしい…
このままじゃヤバいことになる…
生きていけない…
迷惑かける…

 

 


望んだ結果を手に入れる事は…

別にどっちでも良いのです!

それが手に入れられた事が
素晴らしいんじゃなくて…

そんなもの…
無くても大丈夫だったんだ!!

 

 

 

自分を見つめて…
抱えている不安や恐れ…

そっちを捨てていく
段階に来た!!
そう思って
取り組みを一旦ストップして
向き合ってみてください

 

 

 

「やべぇ、楽しい〜♫」

を自分の人生で
優先することを決めたから。

 

 

 

ダメなひと、っていうのは
 
「ああ、あれでいいんだ」
 
 
を、教えてくれる。

 

 

「禁止」と「命令」を「許可」してくれる。
 
 
 
あれで、いいんだ
これで、いいんだ
あれも、ありなんだ
このままで、いいんだ

 

 

 

とある事から真実はどれなのかと探しまくる日々が始まりました。
1年程右往左往してやっとこれかなと
一番しっくりくる答えに出会えたのですが、それは
真実は無い、でした。
真実なんて自分で作て良いんだって、自分がそれと思ったものが自分だけの真実になるんだって。
そうなるとあらゆる外部へのジャッジが必要無くなって、あの人の真実はあれなのねと、尊重出来るようになり、肩のチカラが抜けました。
仁さんの事も少し離れた時期もあったりしたけど、私にとっての真実と仁さんにとっての真実は違う事もある。
合う部分を美味しく味わわせて貰えば良いだけの話し。
真実はいつも一つ!てコナン君も世の中も言うけれど、それはその人にとってはという事で、本当は人の数だけあるのよね。
非常に心理学的には基本的な事なんでしょうけれど、ジャッジする事を手放すと新しい情報がどんどこ入って来るものですね。
今でもたぶんこれからも変わらないのは、どこの場面に行っても仁さんの考え方は最強だって事です。

 

 


思い詰めて、できない!できない!てやるより、テキトーに動いてテキトーにやめたりしてる方が体が覚えてくれることがわかりました。

 

 

次からは、少しでもおかしいと思ったら、やーめよ!

おかしいと思うセンサー磨こう!!

って思えることで、、人生が必ず広がっていくよ!必ず!