脚を鍛えると体を軽く扱えるようになります。そして多少の事では疲れなくなります。その体力が人生にとってどのくらい有利な事か・・・

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無事是名馬(ぶじこれめいば) 
 
「能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬は名馬である」とする考え方 
 
弱冠60歳の親が言うてました…。

 


動物園の猿山見てると興味深いよ
優しさや共感こそ大切だと思って生きてきたけど、しぶとく生き残るためには不要なものだと教えてくれる

 

 

 

私も本気で死のうと思ったことあるよ
でも、止めたんだ。
何故ならお腹が空いたから(笑)
シンプルだけどさ、部屋の掃除をして、好きなもの食べて、ゆっくりお風呂につかって、寝たいだけ寝てみて。
なぜか生きたくなってくるよ。
私は今それで元気になりました。
もう自殺なんてしないよ!生きるよ!
これから美味しいものいっぱい食べるんだから

 

 


ある日「いままでの惨めな毎日は全て私の責任。てめえの人生はてめえで責任を取る!」と未来は考えずにとにかく今日一日を情熱的に生きる

 

 

でも不思議だよね。
あんなに辛くて自殺考えて引きこもったのに三年後にはなんかその辛い事もクソどうでもよくなって
代わりにフツフツと欲望が目を覚ましてくる。
初めはとても小さな欲望、、ただゲームが欲しいとか靴が欲しいとかね。
でも金がない。
仕方ない我慢と繰り返すが、やがて我慢出来なくなる。
アレ?あんなにどうでもいい人生で全て放棄してたはずなのに
我慢出来なくなる、、
欲しい欲しい欲しい飢えて飢えて飢えてくる
その時にふと思った。
どうせクソどうでもいい人生なんだからひと暴れしてやろうと、、
で僕は外の世界に出る。
昔の僕なら絶対にやらないであろう行動が平気で出来る自分がいる。
奥手だった自分なのに奥手ではなくなってる。
開き直りだ、、
いつ死んでもいいとマジで思ってるからこそかわからないけど
なんか何も怖いと思わなくなる。
手始めにバイトから始まる。
徐々にバイトが軌道に乗り気づけば社員になり、、
家に帰ってもする事もないし欲しい欲棒で飢えてるから金がとにかく欲しい
働きまくったね。
今でも同じいつ死んでもいいって気持ちのまま
自殺したいって思えるって事はまだ熱があるって事だよ。
まだ思考してる証拠

 

 

流れに流されながら、廻りの景色を眺めながら 生きていこう。

 

 

 

社会が無敵の人を作りだすのはわかるが、自殺したい、誰かを殺したいと感じたら生活を変えるべきサインなのだと思う。「学歴、年収、友人の数、恋愛、性体験」等の社会的評価で自分を惨めに感じ鬱屈し続ける生活はやめるサイン。ひきこもり、ニート生活はもう毒にしかならない時期にきたというサイン。
 
 
 
人生は「学歴、年収、友人の数、恋愛、性体験」等の社会的評価を競い合うことではない。でもそうだと固く信じている人達がいて不幸にもその中にどっぷり浸かり自分は惨めで”失うものはない”という評価を受け入れ”無敵の人”という記号になってしまう。辞めるべきですね。自分は自分だと、離れるべきです

 

 

 

将来を考えたときに、個人として出来ることって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないのでは?きちんと生きていくというのは、なるべく機嫌良くして、美味しい水を飲んで、出来るだけ体に良いものを食べて、疲れたらしっかり寝て、損得勘定やおかしいと思うことに流されてしまうのではなく、いつも自分でいることとか。もうダメだーって思ったら、もうダメなんでちょい休みます。と周りに宣言するとか、そんなこと。地味で目立たなくて、誰にも褒められない、ごく普通のことを淡々とこなしていくこと。

 


まずは100円でもいいから、給与以外に稼いでいくのが大事やねん。


実力をつけて、自分をちゃんと評価してくれる船(会社)を乗り継ぎながら、自分なりの目的地を目指す。そんな時代やな。


労働力はヒトが持っている1番大事な商品。安易に安売りしたらあかんで。自分を高く買ってくれるところで成果出す方が気持ちええと思うな。、

 

 

稼ぐ力は幸福の源泉の1つやからな。自分の力を社会に還元できる人は、社会とのつながりを失われずにいられるんや。稼ぐことそのものも、楽しいしな。

自分の知識欲、好奇心を満たしながら、仕事を通じて社会に価値を提供していく。

ここに楽しみを感じられる人は、本をたくさん読んだり、セミナーに通ったり、大学に通い直したりすると言うのは、最高のお金の使い方になるやろな。

経済的自由を達成しているからこそお金にならない仕事で社会に価値を提供することを言うこともできる。

 

とにもかくにも、お金はツール!上手に使ってなんぼ!

 

 


スクワットをする。
適当にアドバイスしているわけではありません。
ウォーキングとかジョギングも良いかも知れないけれど、やっぱりスクワット。
なぜか人生が少しずつ好転して楽しくなる

 


脚を鍛えると体を軽く扱えるようになります。そして多少の事では疲れなくなります。その体力が人生にとってどのくらい有利な事か・・・

 

 

20代後半の方、焦りや不安があると思います。私もそうでした。
でも30を過ぎると考え方も変わっていい感じに力が抜けてきます。
今は楽しいし、昔より痩せて肌もきれいになったし、年を重ねることは怖いことではないって思えるようになりました。
人って生きてる限り成長し続けるものなんですねー。

 

 


漫画もっと描きたいし、見てもらいたいけど、恥ずかしいし、責められたら嫌だし、知り合いに知られたら嫌だし、その他にももろもろ困った困ったしとります。 本当は、ただ、 漫画集中して描きたくて、見てほしいだけ。 それをなんやかんやこう、普段の社会的生活を行なう偽者っぽい私がケチをつけて、ちゃんと社会的に真っ当に生きないといかんと思うの、かしら?

 

 

 

腹を括って、幸せに生きるんだと決めて、周りは気にせず(攻撃や犯罪はしない)、自分を親友のように労りながら徹底的に自分の世界を生きること。 

 

 


「恥ずかしい」を乗り越えて動いたときに、その人のエネルギーは飛躍的に大きくなる。この世の恥はかき捨てだ。じゃんじゃん動いて自分の生をまっとうしてしまえ。

 

 


他人は案外「いい人」を求めていないということも分かります。
そうすると、「あれ、じゃあ今まで好かれるためにいい人でいようとした私の苦労ってなんだったの?」
って拍子抜けして、フワーって楽になります。
すごく悔しいのですが、今までの時間は無駄な努力だった、と割り切って過去は捨てた方がこの先が楽です

 

 


自分の為に生きる
周りから避難されてもやりたくないことはやらない
大人になったらこっちの物
わたしの主導権はもう誰にも渡さない
そうする事で物事がスムーズに進むようになったよ

 

 

 

離婚した時に、
独身で誰にも否定されない事が
どれだけマシかと思った。
水を得た魚のように生活したわ笑

 

 


世界は良い意味で、他人に興味がないのだ。
 

 
これすごく面白くてさ。
 
 
 
 
人って、
 
他人の卑屈にマジで興味ないのね。笑
 
 
 
卑屈無駄、、笑。