あー、私はダラダラすることを許したかったんだな

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式典続々と中止\(^^)/  長ったらしい話聞くの本当に退屈で。コロナ後もどんどん省いちゃって欲しい!なくても大丈夫だったじゃん。 子どもとそれぞれ好きなことしながら、のんびり過ごす毎日、最高! 面倒って思いながらやっていた料理は楽しくなるし。 楽しい!って作った料理はやっぱり美味しいってみんなで笑顔で食べるから、幸せ。

 

 


来賓の挨拶がないこと。無意味にながい式典がないこと。学校がないこと。授業参観がなくなったこと。無意味な学校行事や地域の行事がなくなったこと。小さい地域の無意味なお祭りが縮小されたこと。 学校から理不尽な教育をうけなくていいこと。(学校から、一方的な考え方を押し付けられるのがいや)

 

 


●百貨店で働いていたことがあります。 元日を除いて年中無休でした。 商材は季節先取りで並び、お節の予約が9月に始まったりクリスマスケーキの予約も10月からと、気が休まりませんでした。正月商材の次はバレンタイン。バレンの次は雛祭り。次はホワイトデー。お彼岸。・・・息つく暇がないほどにめまぐるしく展開されるので、携わる私たちは季節を肌で感じるゆとりもありません。 百貨店にも休みが必要だと、感じていました。 ●お菓子工場でも働いていました。お客さまの喜びが理念なのに、ただ数を達成することにおもきがおかれていました。機械も人も空間も疲弊していました。 とにかく、ここにも休みが必要だと感じていました。 今、百貨店も工場も休めています。コロナのおかげ。 電車も満員じゃない。 観 光地やアミューズメント施設もショッピングモールも静か。 何か行き過ぎた密度でヒートアップし過ぎていたエネルギーがほどよく分散して、本来の姿を取り戻している感じがしています。 休みたい、ゆっくりしたい、リセットしたい、本来の姿に帰りたい・・。多くの人の中にあった願いが形になったのだと思います。 外出しなくなったおかげで、外へむかっていた意識が内へ向き、掃除や断捨離ができました。 また、しばらく連絡してなかった友人からのあたたかいメールもありました。 (↑ 生存確認(笑) ) コロナのおかげで、経済のこと、医療のこと、諸外国のこと、食のこと、メディアのこと、ネットのこと、政治のことなどいろんなことに少しだけ(笑)視野がひろがりました。 不安や恐怖や心配を感じて、一体化したり俯瞰したりもしました。 この感情はコロナのせいじゃなかった。そういうプレイを楽しむ私だったのが見えたこともよかったです。 不要不急・3密。このキーワードも納得です。必要以上なことをやってきたし、生き急いできたような気がします。 また、自分と仲良くせず、外に意識を合わせていたんだなぁとも思います。 自分で自分を密閉空間に閉じ込めていたのかもしれません。 コロナに意識があるとすれば、なんで皆こんなに騒いでいるんだろう?と思うのでしょうね。僕はただ僕でいるだけなのに。。 突き詰めれば、私もコロナも粒々です。 そこに意味をくっつけて、物語にしているのですよね。 集団プレイです。多分。

 

 


自分に過度な頑張りや我慢や無理をさせていたことに気付きました。 あー、私はダラダラすることを許したかったんだな、ってコロナのおかげで許せました。 ここだけの話、来週から娘達のオンライン授業が始まるのが苦痛なほど今のダラダラ生活がありがたく感じていました。

 

 

 

買い物の回数が減って家で布団に包まる生活もいいなと思えた