今振り返ると、「死にたい」は「変わりたい」と言うもう一人の自分からのメッセージでした

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死にたいときはバンジー跳ぶとき
私も死にたい人でした。

20年前、河合隼雄さんの本に「人は成長するために、心理的に死んで生まれ変わることをしないといけない」というようなことが書かれていて、死にたいと思う時は、「ほんとは死にたいのじゃない、私は変わりたいと思ってるんだな」と考えることで、死にたい気持ちをやり過ごして来ました。

じんさんに出会ってバンジー飛んだり痰壺飲んだりしてるうちに、「心理的に死ぬってこういうことかー」と分かりました。

薬を飲んでも変われませんでしたが、2、3年前に痰壺飲んで、今、楽しく生きてます。

今振り返ると、「死にたい」は「変わりたい」と言うもう一人の自分からのメッセージでした

 

 

 

 
「それでもいい」と言ってくれる人がいれば
その人たちとやればいいし 
 
「それでもいい」と言ってくれる人がいないのなら
ひとりでやってればいいわけで。
 
 

 
もっといえば

「じぶんがそれをしたい」だけで
それをする理由は十分なのに。

 

 

 


結婚はもちろん、もうすぐ30だってのに恋愛経験のひとつも無いから。それはバカにされること、人として欠落していると思ってたから。

昨日、通っている心療内科でカウンセリングをしていた最中に来たんです、パッカーンが。
「結婚って自然にするものと思ってたのに、だけど、どうやらそれには努力が必要らしいと聞いて、絶望したんですよね。」
と、カウンセラーさんに無意識に言っていたんです。声に出す力の偉大さを感じました。そうだった、私は子どもの頃からそう信じていたんです。

「結婚って自然にするもの」

だから「努力が必要」と聞いたときは絶望と共に本音が叫び声を上げた記憶が蘇りました
「ヤダ!やりたくねぇぇぇぇ!」と。
でも、そのホンネに蓋をしたんです、そんなこと言ったらバカにされる甘くないと言われるって。

そして、努力出来ない私は自己嫌悪に陥りました。
周りの人が立派に見えた、出来ない私は問題があると。

その通り、問題は私にありました。
でも、そもそも問題視する部分が違っていました。
ホンネを隠してしまったということです。

昨日になって、そのホンネに気が付いたら、何だか納得をしました。根底にあるものは覆っていなかった。
「結婚は自然にするもの」
いいじゃないか、私が信じてきたものを堂々と信じていこうと決めました。
『思考が先で現実が後』という、ぢんさんの最強の言葉もあります。景色が変わるかもしれない。
その時はいつ来るか分からない、一生来ないかもしれない、それもまた人生だなと。

「頑張らない」ってこういうことなのかな?と何となく分かってきたような…?気がします。

論点からズレているとは思いますが、一連の記事のおかげでホンネが分かりました、感謝です。

 

 


私もつい最近気付きました。

本当は若い時に母になりたかったと。

20代後半で結婚したのに、手に職とか、専門的な仕事を見つけたくて子作り避けてたら、レスになり、挙句手に職どころか、したいことも見つからなくてウツになり、パート5回くらい変えて、気づいたら40代…。
30代の記憶があまり無い…。家庭内別居中で、離婚の話も出てる。

にこさんのいう、普通の一般的なオンナに成り下がりたくなかったんだなー。
普通に結婚して2、3年したら妊娠して、4人家族とかになって、なんだかんだで子育て卒業して~~~みたいな昭和のみんながしてきたような生き方?
ドラマとかでみるような、子育てして、不満ばかりのキラキラしてないオバサンも嫌だった。

私は何にも分かってなかったし、見下してたし、表面的なことしか見えてなかった。

なんで若い時にそう思えなかったんだろうと、後悔してもしきれない。結婚したら子供って、自然に思えなかった。生き方がバカすぎる。

少しずつ、やりたいこと、行きたいとこ、行動に移してきたけど、肝心の真ん中に穴あいてるから、不安や焦燥感、虚しさがつきまとう。
親子連れ見ると苦しいけど、それ以上にこんな人生にしてきた自分が憎たらしい。

寝る前とか、一人になると、私は本当に子供がいない人生なんだな、じゃあ死ぬ時や葬式は、家族に囲まれていないんだなとか、思って怖くなったり。

そんな人生なんだな。今生はもうキッパリ諦めてつきすすむだけかな。離婚したらもう消えてもいいなと思う。本当に気づくの遅すぎた!!

 

 

 



やっぱり歳を重ねて来ると絶望的になってくるし。

でも私は病弱だしパニ持ちで、自分に自信が持てないしで諦めてる感じです。
だから、ぢんさんがよく「来世にかけよう♪」と仰るのが笑けて、そうしよう!もう来世にかけよう!って楽しくなるくらい(笑)。
結局覚悟もなく恐れもあるようで、今もしもすごく素敵な人が現れて求愛されたとしても、飛び込む勇気がない気がする…。


ただ結婚って、よく婚活とかお見合いするとかお洒落にするとか自分でも努力しないとダメだと責める人もいるけど、勿論そういう事をするのもいいけど、実はそんなん関係ないんだなと思い始めてます。

だってあらゆる努力をしても出来ない人もたくさんいるし、身なりを構わないような方でも結婚されて幸せに暮らしてはるし、結婚出来る出来ないはやはり縁とか運命とかそういうモノかなと…。
だったらもう、仕方ないしなぁ。
神様私の事忘れてる(笑)?
しない人リストに入れちゃってる?


けどもしその一番欲しいモノを手に入れられたとして…結婚出来て素敵なパートナーが見つかったとしても、結局はナイように見える今に楽しさを見い出せてない限り、今度はお金とかまた別のナイナイを言い出してしまう気がするなぁ。
ぢんさんもよく仰っているように。

私は来世にかける、でもいいか…と思ってはいるものの、まだ今世はありそうだし今は父に頼りきって生きているためこのまま行くと確実に路頭に迷うので、その事が一番怖いです…。
なんとかなるものなのかなぁ。

とりあえずあまり考えずに、今は自分の気持ちを大事にしてしたい事など自分を満たしているところです。
好きな曲聴いたり洋画や海外ドラマやスポーツ見たり、かわいい小物ゲット出来たり美味しい物食べれたりするだけですぐ、幸せ~♪って感じられる方ではあるので。
こないだの記事の心の中の王子さまお姫さまのように、パートナーいない代わりに自分が自分に求める事をしてあげる、を実践中です。

 

 

 


私は…
心屋さんを知るかなり前に彼氏ができました。
当時、食事ができなくて急激に痩せるほどの失恋をしたり。
彼氏がほしいって思ったり、彼氏がいる人を羨ましいなって思ったり、紹介大嫌いなのに頑張って紹介してほしいって行動したり、その他モロモロいろんな行動したり、しなかったりしつつ、とても悲しくて苦しくてむなしい時がとてもたくさんありました。

今お付き合いしている人とは、紹介とかそんなことでも一切なく。
彼氏ほしいなーとかの気持ちも無くなり、やりたかったことをし続けてたら、本当たまたま出会って、たまたま連絡とらなきゃいけなくなって、たまたま家が近くて、たまたまちょいちょい会うことにならざるをえなくなって。
で、結果お付き合いになりました。
しかも家族以上に自分を生きてるだせる、素でいれる人でした。


どうせ異性に見られない
可愛くないもん
とか、とにかくこんな感じで、しかも男友達すらいません(笑)
でも、やりたかったことやりはじめて(出会いとか考えず単純に)
なんかしらんけど、付き合った
なんかしらんけど、めっちゃ合う

何かに固執してしまったり、意識をやたら向けすぎたときは、一度そーゆーのん無視して、単純にやりたいことしてみたらいいのかなと思いました。
やりたいことがわからないこともほぼ毎日ですが(笑)
なんとなく、でふわっと動くのも、アリなんじゃないでしょうか(^^)

これも受け入れなさい
あれも受け入れなさい
そればっかりじゃいけないんだ
どれもいいんだ

とかとか、あれこれ考えたり、押さえ込んだり、当てはめようと頑張ったりしなくても
心屋さんの言われる今までと違うことに飛び込む?のもいいし
なんも考えず、なんとなくで動いてもいいのかなって。
上手くいえませんが。

なんじゃ!結婚しとーやん!なんやねん!
って、こっそり私も人様のコメントとかで思ってたので(笑)
あと、男友達もいないくらい男っ気もなく、でも家族には愛されてて。ただ会社じゃいじめされてますが(笑)
なんか、気持ちわかるなぁって思ったので、なんとなく、コメントしてしまいました(^^;

 

 

 

 

なんでそんなに結婚したいのかなぁ。
そして、なんでそんなに求められたいのかしら?

ごめんなさい、嫌味で言うのではありません。
ただ、自分にはない感情なのでよくわからなくて。

私はバツイチで結婚生活が長続きしませんでしたが、
一人になって「ハァ~、ヤレヤレ」とホッとしました。

結婚はしましたが、お互い当時の自分が置かれた環境から
逃げ出したくて一緒になった、という感じだったので、
相手に求められたわけでもありません。

でも、別に求められなくてもなんともないです。
人といる窮屈さ、不自由さ、煩わしさよりは、
一人の気楽さや自由さのほうが、自分にとっては
ずっと値打ちがあります。

何かをしたりどこかに出掛けたり、自分が行動する時に、
夫に「行ってもいい?」なんて許可を得てからとか、
耐えられない。
「行ってくるわ!」それで終わり!
って、ちょっと話がそれましたが。

それより、世の中の恋人や夫婦のどれだけが
本当に心が通い合っているのでしょう?
相手に本音を言えずにうわべを繕っているカップルも
結構いるんじゃないでしょうか?

独りは寂しいからとか、人から惨めに思われるとか、
そんな理由で誰かと一緒にいたくて相手を求めてる人たちも
いくらかはいるだろうし。

そんな嘘くさいカップルを見ると「うへぇ~!」となります。
でも、いい感じのカップルを見かけた時には、微笑ましくて
なんだかお祖母さんが孫を見るような幸せな気分になるのですが。

…なんの話だったか…
だいぶテーマからそれました。すいません(ノ≧ڡ≦)

 

 

 


現在55歳、結婚歴なしの独身女子です。


この方と同じように、つい昨年までパートナーのいない自分の人生を呪っていました。
私を必要としてくれる人がこの世にはいない。私なんていなくってもいいんだ、と。

結婚して、子供ができないと悩む同僚には、なんて贅沢な悩み。
私は結婚もできないのに。


そして、昨年の夏、心屋を知って以来、考え方が大転換。

パートナーがいなくても愛されて、認められているし、大丈夫。


今、ひとりもわるくないと、心底思ってます。
なぜなら、今がパーフェクトだから。
独身なのは、特に原因があるわけではなくて、「たまたま」、ただの流れ。


なぜ、結婚しなかったのかなと、振り返ってみると理由は2つ。
結婚したいと思える人に出会わなかった。
結婚によって、自由が制限されるのがいやだったからです。


独身には独身の良さがあります。
お金はぜ~んぶ自分のために使える。
時間もぜ~んぶ自分のために使える。


仕事が不安定だったときは、結婚していれば経済的に安定できるのに、と思うこともありました。
でも、結婚は決して経済的安定にはつながらないんですよね。


わたしには姪や甥がたくさんいるのですが、彼ら、彼女たちを愛する気持ちは、男女間の愛とそう変わらないなと感じています。
彼ら、彼女らは成長するにつれて、私を慕ってくれる。
これが、たまらなくうれしい。

愛はそこここにある。

今は、自分を大切に、ひたすら寄り添う日々。
自分を輝かせて、命を楽しみたい。
それが生まれてきた意味。

以前は絶対に言えなかった言葉、「独りで生きて一人で死ぬ」をさらっと言えるようになれました。
それも悪くないなって。


この先、「宝くじに当たる」ような出会いがあれば、その時考えます。
1人で生きるか、二人になるか。

2年位同棲していた時期があったのですが、愛する人と同じ屋根の下に居るのに心が通じない寂しさっていうのもわかってるから。

まっ、とにかく今はとっても幸せなのです。
ぢんさん、ありがとう!