人間は死にたいと思うようにできていないのです。毎日、「今日」を乗り越えていけば、それはいずれ去ります。そして「あのときはなんであんなに死にたいと思ったんだろう」と思います。

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大事なことはさ、生きていて、思うようにいかない毎日の生活の中で自然と生まれてくるネガティブな感情を、お互いに聞き合って、頷きあうことかなって。
「まぁ、いいか」
「仕方ないよ」
「もう、だめだわ」
「だめならダメでいっか」
「あきらめるしかないわ」
「人生詰んだわ」
そんな言葉を言うことを自分に許して、仲間や友達とも言い合って傷の舐め合いしてさ
成長なんて目指さずに。

そんなことをしていれば少し安心感が出てくると思うんだよね。そうすればまた一歩を進めるんだ。

ディオブランドーさんも言ってたじゃん?「人間に必要なのは安心感」だって。
 

なんとか生きしのいでいくために、これからの厳しい時代、ますます多くの人が夢や希望を諦めて、孤独や寂しさと生きていかざるを得ないこともあると思います。
 

その苦しみや寂しさを抱えながら、「なんとか死ぬことなく、生きていくための方法」そして「生き方」を求めていく所存であります。

 

 


人生一回きりです 限られた時間の中であなただけのストーリーを創り出しください
死ぬ間際になって あっぱれと言えるような

 

 



昨日 来客との会話の中で
当たり障りなくしていると
どこかで本心をさらけ出している
と 
そうなんだ…

人間関係は 難しい ややこしい
深く考えるほど 難しくなる

と 言ってらした。

私は 当たり障りなく人間関係が
できたらいいなぁと
それが大人だと
思って頑張っていたけど 
苦しかった。

だから 出来ない!と諦めた。

人間関係を難しくしているのは
自分 わたしだった。

もっと わたしの想うこと 感じることに素直になればいい
と ただそんなシンプルなことが
わかるまで 時間はかかったけど
自分で感じきるまで
わからなかった。

今のわたしがダメだから
考え方をかえよう
ではなく
今のわたしでもいいんだ
という考え方で行くんだ
と。

複雑は 疲れる。

 

 

 


幸せホルモンのセロトニンって脳で作られるイメージだけど、腸で95%作られるらしいよ
私はすごく落ち込みやすいんだけど、3日前の夜に野菜たっぷりの鍋食べたら、お通じが良くなって、2日前の夜は蒸し野菜食べて30分くらいしたら、お腹がポカポカして、何年かぶりくらいの調子の良さでびっくりしたよ。
ドーンと心に石が乗ったみたいな気持ちで過ごしてたんだけど、ここ数年、気力が無くて、ずっとコンビニ弁当とジャンクフードだったから、落ち込みやすかったのかもしれないなーって思う

 

 

 


強い人になりたかった
本当にこの通りだと思います。

打たれ強くなればなるほど、
打たれることは多くなり、
もっと強くならなきゃ、もっともっと、
って打たれに行くというコント。

そこには成長したらさらに成長が求められるという、成長地獄の底なし沼がありました。

うつになったとき、
わたしは強い人なのになんで!?
と思ったけど、それが元凶だった。

今は、その頃できなかったこと、
甘える、あきらめる、逃げるをやってみています。

そしたらみんな優しかった!
自分が自分に優しければそれでよかったんだ。

もう強い人は目指しません。
弱々しく図太く生きます!

 

 

 


立ち止まってバラの香りを嗅ごう。(あくせくせずに身近なものの良さを味わおうという成句)というのはあまりにありきたりに思えるかもしれませんが、こうした嬉しい瞬間は、あなたの中の幸福の口座に貯まっていけば、あとで引き出すこともできるのです。
生産性の持続を阻む敵は、ストレスではなく、周期的な休息と回復の欠如である。

 


彼女とのことをいじられ
とても恥ずかしくなる。
そして気づいた

世間に遠慮してたんだなぁ

再起を誓う

 

 

 

怒りの感情は、何かを壊すことも多い一方で、建設的なパワーにもなります。不満、劣等感、怒りなどの負の感情であっても、それらをエネルギーに転換して上手に活用できたならば、自分の未来や人生を大きく変えることにもつながることを示してくれた大偉業と言えましょう。

 

 


「いつ、どうやって、どの程度」怒るのかを自分の責任で決めることです。これらを決められないと、「怒りたいのに怒れず」に後悔をする

 

 

 

「怒り」の感情が湧いてきているときは、大概「おもいどおりにならなくて困っているとき」だ。
怒りはそういうサインの感情。

ただ「おもいどおり」でなくなった今の状況で、実際どれくらいの損害があるかを落ち着いて見つめ直すと、意外と大したことないことも多い

 

 

 

 

怒らない人がすきなんだけど、それは怒りの感情がない人のことじゃなくて、感情をそのまま外へ出さずに、周りの人に配慮する思いやりと、自分をコントロールする冷静さと、自分への損得勘定ができる頭のよさを持ち合わせた人のことです。そういう人が肝心なときにちゃんと怒るのもすきです。

 

 

 


怒りの感情をそのまま出さずに、抑えてなかったことにもせず、エネルギーの出口の方向を自分の行動に落とし込んで、淡々と楽しそうに行動する人に知性を感じる。つまりすき。

 

 


あなたが怒っているときに、その怒りはあなたの周囲のあなたより弱い立場のひとにどんどん流れ込んでいっているんだけど、そのひとはあなたよりも弱いから「やめてよ」って言えないのね

 

 


「怒り」っていうのは「痛覚」と同じで、それを感じたら、「そこに対処しなければいけない "何か" が確実にあるよ」というサインなんだ。

 

 

 

私は人間だから寝なければ疲れるし頭や体を使えば疲れることを思い出す。確かに人間として疲れるんだけど、その疲れることに日々日々向き合えるのは、結局大切にしたいことや大切にしたい生き方が私にはあるから。疲れても長い年月続けられるのは「持続可能」なことだったから、ということでホッとする

 

 

 


仕事でゴミ屋敷の住人と関わるようになって3年以上かかってゴミを捨てない理由をやっと聞き出せた。正しい分別がわからなくて、ゴミ置き場に捨てた時に近所の人に何度も怒鳴られて、怖くて外に出せなくなったって。ゴミの山の隙間でポツリポツリと話すのを聞いてから、正しさについてずっと考えてる。

 

 


まただよ。政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される。これもう冗談じゃなく、次期逮捕予定者リストがあって、誰かがゴーサイン出してるでしょ。

 

 

 

死にたいと強く具体的に思うときは、それが「異常」なことだと認識してください。人間は死にたいと思うようにできていないのです。毎日、「今日」を乗り越えていけば、それはいずれ去ります。そして「あのときはなんであんなに死にたいと思ったんだろう」と思います。もちろん治療が必要です。

 

 


辛いときには、これから先の人生のことではなく、「今日を無事に過ごす」ことだけを考えたい。それも無理なら「今日の午前中を無事に過ごす」ことだけでよい。

 

 

 

どんな1日を過ごし、今どんなお気持ちでいらっしゃるでしょうか。うまくいかない事があったかもしれません。自分の不完全さに愕然となさったかもしれません。人の言葉に傷つき、同時に自分を責めたかもしれません。でも私達は今日の最善を生きましたね。どうか1日の終わりに穏やかさがありますように。

 

 


私は、自由の侵害は、自分の心の中の「べき」から始まると思っている。自分にも他人にも「べき」を向けないようにする勇気が、本当の自由につながる。「べき」ではなく「したい」で生きられることが自由だと信じている。

 

 

 

自分を大切にできない患者さんに今日も話した。「今やっていることは外国に引っ越すようなものなんですよ。新しい言語や文化になじむのはそれなりに努力が必要で、古いところに戻りたくなる。でも、自分を大切にできるようにするには、苦労しても新しい文化に慣れなければいけないんですよ」頑張ろう!

 

 

 


落ち込んだりショックなとき
水島先生(@MizushimaHiroko )の著書に何度も出てくる「悲しみのプロセス」をいつも思い出します。

人は衝撃を受けたとき
「もうおしまいだ」
「なんて自分はダメなんだ」
とネガティブな気持ちになってから、次第に現実を受け入れていきます。

ネガティブは成長中の証

 


しかし、いろいろな種類の取材を受けるけれども、「私はポジティブ思考は嫌いです」というと皆さんホッとされて、「今日それが聞けただけでよかったです」とよくおっしゃる。それほど「ポジティブ思考」の呪縛にとらわれているのですね。

 

 

いくら身体を整えても、生きる気力がなければ意味がない。だから私の仕事にも意味があるのだ、と思うようにしています。

 

 

 


「成果より
自分の心の姿勢を大事にする」
って書いてあった。

いつのまにか、成果ばかりに
気をとられちゃうんだよなぁ

もう十分頑張ってるのにね

 

 

 

先日の取材で「女だから求められること」について話しましたが、結構それって自分が作っている「べき」なのかも。昔、化粧をしないことについて批判されて口論になったことがありますが、「女=化粧するべき」が相手にあったのだと思います。化粧していない私は、年齢よりも若く見えるとよく言われます

 

 

 

私のオランダの知り合いは、「子どもを産めば産むほど得する仕組みになっている。産まないのは損した感じ」と言っています。

 

 

 

自信はつけるものではなく、感じるもの。

水島広子さん(
@MizushimaHiroko
)の
『「他人の目」が気になる人へ』の中で
紹介されていたステキな言葉


ありのままの自分をどう感じるか
結局は、感じる自分の心の持ち方次第。

 

 

 

「やればできる」って言われ続けると、できない自分はダメだって自己肯定感が劣化する。「できる」じゃなくて「ありたい自分である」を喜びたい。水島先生はそれを「DOの自信ではなくBEの自信を持つ」と説明されてたけど、これって昭和にはあんまない考え方だから、世代間の軋轢は仕方ないんだろうな。

 

 

 


人間の心は機械ではありません。機械的に治ったと思っても(いわゆる、「ポジティブ思考」人間になった、というやつですね)いずれよくない結果が待っています。もっと自分を大切にして、と思います。

 

 

ポジティブ思考のどこが悪いのか。それは、現状否定にあります。「あなた、今はよくないからこうなりなさいよ」と。自覚はなくても精一杯生きている人は傷つくのです。また、現状は今までの積み重ねの結果。そこだけをつまんで「こうなりなさいよ」はないですよね。

 

 


何度も繰り返しますが、受診する前よりも受診した後の方が自己肯定感が下がる、つまり「自分はダメだ」という感覚が強まる人のところには二度といかないでください。それではハードルが高すぎるようなら、「先日こちらに来てから、自分がダメだという気持ちが強まっている」と伝えて反応をみてください

 

 

 

私はずっと、自分のことを「何考えてるかわからない変なヤツ」と思われるのが怖くて黙っていたけど、今は「何考えてるかわからない変なヤツ」と思われてもいいやって思えてきた。

もう、それでいい。と言うか、その方が楽。