人生の大半は単に運に流されているだけだと思った方が良いらしい。ならば「結果の受け取り方」を工夫する方が建設的

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軽薄でありたい。行くかどうか迷ってる場所は行ってから考えるとか、買うかどうか迷ってるものは買ってから考えるとか、誘っても断られそうな人については断られてから考えるとか、死んでも生きても今のところ大した意味はないからとりあえずは生きとくかとか
 

 

 

 

けもの道人生をひた走ってきた身からすると、人生がうまくいったと思うかどうかは「ただの結果論」「当人の受け取り方次第」でしかない。前にEテレ「オイコノミア」でも言っていたが、人生の大半は単に運に流されているだけだと思った方が良いらしい。ならば「結果の受け取り方」を工夫する方が建設的

 

 

 


〇〇という人生「だけ」を目指してきた人が〇〇がついに叶わなければ、その人は「自分の人生は願いも叶わず不幸なだけだった」と思うのは無理からぬ話。だが〇〇を目指す過程で△△や□□を手に入れてそのおかげで人生が豊かになったならば「自分の人生は思いもよらず面白かった」と思えるかもしれない

 

 

 

みんなまじめすぎ。
服買う気なくても、「試着」していいからな。
就職するきなくても、「就活」で人に会いまくっていいし
結婚する気なくても、「婚活」の場所にいっていいし
永住する気なくても、そこに住んでいいから

 

 

 

 

誰か「試着したら汚れるだろ買えよ」
誰か「就活で都合のいいこと書いたくせに就職しないのかよ舐めんな」
誰か「中途半端に結婚相手探すなよ、皆必死なんだお前も必死で探せや」
誰か「人生でほいほい住む場所変える奴はなんでも中途半端。どこでも永住覚悟で住め」
親「あんたが幸せならいいよ」

 

 

 


「迷った時は成長できる方を選べ」とか「困難な方を選べ」とか言われると「えぇ…(やだ…」ってなるんだけど、私が昔言われてそれなら取り入れられると思ったのが
 
「迷った時は物語が転がる方を選べ」
 
でしたね。自分の人生、物語が転がって展開する方がおもしろいし。

 

 

 

 


知り合いに高学歴で大手入った人いるんだけど「期待されるまま、死ぬ思いして受験合格して就活戦争も勝ち抜いたけど、
こんな定年までただ働くためにこれまでを費やしてきたのかと不意に思えてきて、人生を深く考えるのが怖い」とか話してて悲痛

 

 

 

 


職場で非オタの子が「趣味にばかり人生を費やしてる独り身の人って、寂しい人だよねw」って高らかに笑ってたら、
隣にいたジャニオタの子が「自分にとって都合の良い男を”彼氏”っていう名称でとっかえひっかえして、一人じゃ何にも出来ない奴に言われたくない」って返してて、最高にロックだった。

 

 

 


何かを表現する時に、「きっとこンな反発が来るンだろうな」と想定して、それに対応した言い訳を表現に折り込んだ時点で、それは己の表現ではない。表現者として一番恐ろしいのは、自分の表現を好きでいてくれる人の事よりも、自分の事が嫌いな人間の存在を、始終考えてしまう癖が付く事である。

 

 

 

受けとってくれる人のところに
人は集まる。
 
 
人は愛を出したいんだもん。
 
 
「どうしたら好かれるか」
なんていらない。
 
「好かれてるんだ」
以上終わり。

 

 

 

どうでもよくても
そこにいていいんだよ
 
 
あなたはあなたのまま
そこにいていいんだよ
 
 
私はいつからか
「好かれる覚悟」をしたんだと思う。
 
 
そしたら
やっぱり
それ以前よりも
好かれるようになってた。
当たり前なんですよね。

 

 


大好きーーーー!!と思っているなら、大好きーーーー!!!という。

会いたいーーーー!!と思っているなら、会いたいーーーー!!!という。

好きなのだから、相手を見てニコニコして、今日もかっこいいね♪って言っちゃう。

こんなところが素敵だね、嬉しいなって言っちゃう。

ずっと一緒にいたいーーー!!っていうのを、いろんな言動で表す。

 

 

 

この先にパートナーとして出会いたい
理想のタイプは…
 

一番に思いついたことは
 
 

 
ポンコツの私を面白がってくれる人

 

 


素直であること。

本当にすごいと思ったものを

「すごいーーー!!!†('ー'*)β」

と言い

自分のところにきた嬉しいと思える

承認・称賛・応援は

「ありがとーーーー!!!†('ー'*)β」

と思いっきり受け取る。

そしてまた、自分が突き進みたいように

「うおーーー!!!p(´∇`)q 」と進む。

 

 

 


わたしはずっと「秘するが花」が女としてあるべき姿だと思ってきましたが、秘すれば秘す流程、我慢することが増え、それを乗り越えることが当たり前だったのが、

負けるが花と言う言葉を知って、負けず嫌いなわたしが本当に負けられるのだろうか?と思ってましたが、考えていた「負ける」ではなく、そっと気持ちを差し出す それが「負ける」ということを体験できて目の前の夫との関係が少しずつ変わっていくのが実感できました。

子供にも親にもこれからもそっと差し出す「負ける」をできるわたしになっていきます。

 

 

 

やって欲しいことを言う、自分がやりたいことを言う、嫌だったことを言う

 

 

 


嫉妬やら

もっと会いたいやら

もっと私だけみて、やら

ぐちゃぐちゃドロドロが吹き荒れると思うよ。

最初に言っときます(^_^;)


甘えるのって楽しい

スキンシップ楽しい

甘えられて幸せ

こんな気持ちと隣り合わせに

ぐちゃぐちゃドロドロもやってくる。

 

それが自分。

自分の表も裏も、受け入れてあげられるチャンスがやっときた。


ひとりでいるのが好き?
何言ってるんだ( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

自分の素直な気持ちを認めて
どうにもならないものに自ら「負ける」というのと
同じような気がする。

 

 

 


オリジナルな豊かさの循環


もっと受け取って

もっと与えよう。