自分の命を全うするまでの生きている時間を、より快適に心地よく過ごす工夫や知恵を働かすってことが、自分を愛する(大切にする)ってことかなぁ、なーんて思っている今です

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なんかようやくやっと
私も分かりかけてきたかもっ…! 幸せって、思い描いていたものとちょっと違うけど、「ある」を数えていったら感謝することばかりだったわ(*^^*) 現実は変わってないのに、捉え方が変わるだけで心穏やかになる不思議。 もうあれもこれもって求めなくていい。ってことの楽さ。笑 いまを楽しむ。 いまに寛ぐ。 いまに在る。 いまが幸せ。

 

 


親がいて、猫とうさぎがいて、遊んでくれる友達がいて、働く場所があって、風邪気味でもそこそこ健康で、怒ったり泣いたり笑ったりするのが幸せだなぁと、最近シミジミ思います。ないものを数えるとキリがないけど、あるというか最初からある事に気が付くだけなんですよね。ないと思い込んでいるだけ。みてないだけ、ですねー。ほんと。

 

 

 


理解もせず納得もせず飲み込みもせず

ただ純粋に素直に

自分は素晴らしいんだと思うこと。

それだけでいいんだなって。

 

 

自分は素晴らしいんだと

「お~も~え!」

オッケー!!お~も~う!!

 

 

 

 


製粉所のベッドで目覚めた。
時間は朝の7時30分。
まだ眠い目を擦り、鍋の中のシチューを食べる。
衣服を身に付け、軽い鎧を装着する。
ドアを開けるとまだちょっと薄暗い。でも今日もいい天気になりそうだ。

馬で町の東の森にやってきた。薬草を集めるためだ。集めた薬草は売る事も出来るし、薬を作る材料にもなる。
兎を見つけたが、弓は苦手だ。ぜんぜん当たる気がしない。どうして弓を構えると・が消えるんだ?

薬草を集めた帰り道、2人組の怪しい男に呼び止められた。全力で逃げた。だってまだセーブしてないんだ。死んだら薬草集めが無駄になる。

町で衛兵に風呂に入ってるのか、と言われた。失礼な。さっき桶の水で体を洗ったばかりだぞ?

午後3時。
錬金を開始しよう。
まず鍋に水を入れて、ケシの花を入れて沸騰させる。火を消して、マリーゴールドの花を入れる。それを薬瓶に詰めて…回復薬の完成だ。
錬金術は時間がかかるなぁ。

余った薬草を薬屋に売り、錬金術の本を買った。
夕方過ぎに製粉所に戻ると、同居人の女友達が庭の椅子に座って編み物をしていた。
可愛い彼女と何とか仲良くなりたい。明日デートに誘ってみようかな? いや、まずは指輪でもプレゼントして、好感度を上げようか…。

シチューを食べて、鎧を脱ぐ。鎧を着たまま寝るのは快適じゃない。
ベッドに座って3時間、錬金術の本を読む。ベッドで読むとスキルの上がりがいい気がする。

今日は22時から朝の7時まで寝よう。
こまめなセーブは大切だ。

 

 

 

 


そういえば
学生時代に学習教材の校正の バイトを通いでやってて、体調悪くて持ち帰った分の締め切りをすっっっかり忘れたことがあったなぁ。
持ち帰ってたからどうしようもなくて、他の人が代わりにやってくれたんだっけ?(もう忘れた)

バイトという気楽さもあったかもしれないけど、フツーに謝って、その後も担当の人ともその上の人ともいつも通りの関係だった。
辞める時も、ちょっとしんどくなったから、今のうちにやりたいことがあるんですとかなんとか、テキトーに理由をつけて辞めちゃった。

学生という身分に胡座をかいてたところは大いにあったけど、あの頃は、いちいちそんなに深く考えることなく過ごしてた。
かといって、ふぞけてたつもりはなかったし、適当な時にテキトーに生きてた。
就職活動やら何やらで、こんなんじゃいかんと思ってしまったのが、私の躓きというか、「躓いてしまったと思い込んだ」人生の始まりだったけど、あの頃みたいに適当にテキトーに生きてていいんじゃないかなぁと、今日のこの記事を読んで思った次第です。

 

 

 

 

自分はもう1回人生終わった。今は死後の世界をさまよってるだけと思ったらいろいろどうでもよくなったよ

 

 

 

「ウジウジって大事だよ
大事な感情だしその時期は大切にしたほうがいい。」

「ウジウジにあきたら飛び立つ日が自然とやってくるから。」

 

 

 

私も昔はやりたい事すらわからなかったなぁ…。
親のために自分の感情を押し殺してきたから…。

色んな事を経て、やっと覚醒して、自分の本当に食べたい物を食べる事から始めました。

安いからとか、お得だから食べたい気持ちになるはず!とかいうのではなくて、本当に食べてみたいと感じる物に感情を研ぎ澄ますようにしていったら、やっと自分の気持ちが見えてきた。

だから今は、仕方なく家族に作らされている料理ではなくて「自分の食べたい物を自分に作ってあげる尊い行為」に感じて苦痛でなくなってきた。
「自分が食べたい物を作って余ったから家族におすそ分けしてあげる」という感覚だからさせられてる感が全くない。

掃除も自分の環境を整えたいという気持ちからやっていると、ただただ終わったら気持ちが良いだけ。

自分の気持ちの発露がどうであるかでこんなにも変われるなんて自分でもビックリしている。

 

 

 


長いこと、自分を愛するってさっぱり分からない感覚でした。
意識したことがなかったというか…


どうしても「誰からも愛されてない」という他者の視点を意識してしまう方がウェートが大きくて(全てだった)、「そんな私愛せるはずないやん!」となっていました。

それから、なんと言いますか…「愛する」というのが大袈裟な感じがして、要は使い慣れない言葉だったんです。


だけど、自分が無くなっていくようなヒビは辛いなって感じてから、いろんなことを試しました。

しばらくして、自分の時間や空間、場を愛しく感じるようになりました。

楽しかったナー
居心地良かったなー

そんな感覚を重ねてるうちに、そんな時間や空間を生きてる自分を愛しく、大切にしようという意識が生まれました。




今は自分(の中の自分、魂?インナーチャイルド、)が、かわいくてたまりません。



イメージに過ぎませんが、自分の命を全うするまでの生きている時間を、より快適に心地よく過ごす工夫や知恵を働かすってことが、自分を愛する(大切にする)ってことかなぁ、なーんて思っている今です