自分で幸せをかぎとって、
進んでいく力がみんなある。



そうやってぞんざいに自分を扱うのがいやなんだろなぁ

よくがんばったね。よく我慢したね。

いつもすごかったね、かっこよかったよ。

 

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あぁ変わるときなんだと。

動けなかったのではなく動かなかったのだと。

いままでの自分を卒業して、新しく自分が望む世界にいくのだと。

 

 

 

 

最近思うのですが、お金を使うことって自己表現のひとつの手段じゃないのかなと。
わたしはこれが好きです。
わたしはこういうひとです。
みたいなことの主張みたいだなと。
わたしは最近ほんとうに映画を観ることに夢中です。
そのために新幹線にのったり特急電車にのったりしてます。
無駄な体力を使いたくないので座れるためならグリーン券だろうと惜しみません。
移動時間を短縮したいから特急にのれるだけのります。
とにかく早く楽に移動することにお金を惜しみなく使ってます。
するとすごく自分が喜ぶんです。
移動ばかりで疲れてるはずなのに、寝る前とかすごく満たされた気持ちでからだもつらくなくてしあわせです。
それでああわたしは移動が嫌いなんじゃなくて、混んでるのと無駄に体力使うことが嫌だったんだなとわかりました。
自由席でも座れるかもしれないし、時間がかかっても間に合うように行動すればいいし、いくらでもお金を節約する方法はあります。でもわたしはそこにお金をかけたい。これは好みだなと。わたしはこういう人間なんだと自己表現してるんだなと思いました。
映画自体も何度も繰り返しみてて。常識ではありえないことだと思うけど、わたしはこういうひとなんだな、と思うと、自然にお金は払えますし、変に自己嫌悪したりはしなくなりました。

 

 

 

私が子供をきちんと育てなきゃって、

子供にしたら、大きなお世話。
重荷でしかないわ。


小学生のころは、
マショマロみたいにふわふわで、
あどけなくて、
かわいかった娘も、

高学年になると、
ふわふわな中にも
ハッキリと芯ができてて、

で、中学生の今、
何でこんなにも気難しいの?
って思います。

でも、
これも成長だわね。

子供を舐めちゃいかんね。
自分で幸せをかぎとって、
進んでいく力がみんなある。

だから、
私は
私で
わがままに、
好きなことして
ちゃらけるんだ!!!
楽しいことばかりして、
好きに生きる!!!

 

 

 

人の心配をするって、している渦中からだと気がつけないけど、苦しみながらやってると相手に対して失礼なんだなー、と思いました。

私の母も、全く楽しそうではなかった。心配ばかりして、いつも困っていた。

だから私はあんな風になりたくないなぁ…と、家庭を持たない生活を選んできた。

母はよく「結婚して子供を二人くらいもたないと一人前と見られない」と言っていました。
子供の頃それを聞いて、「あんたの見栄のために作られたのか私は…」と、やるせなくなりました。
ちっとも楽しそうではない。幸せそうではない母の姿。バカみたい。
劣等感を晴らすために利用されてるのかな私は。「母の道具」のようにも思え、大人になってから離れました。飲み込まれる、捕らえられてしまうこの人に…。


で、私も人を利用しているなって気がついた。
困ったとき、寂しいときだけ人といたくなる。
大丈夫なときはひとりで気ままがいい。
「うわ、超勝手だ!母と同じ?女王様気質かも。」と悶絶。
もしかしたら父はそんな女王気質の母に振り回されるのが心地いいのかも知れないし(可愛いなあと思って面倒を見ている風)、私は母のようになるまいと思っていたけど、女王気質同士だからぶつかっただけで、否定することはないのかな…なんて思ったら楽になりました。
諦めってやつですね。

あぁ、これまで孤高に突っ走ってきてしまったわ。
「家庭を持つ=(母のように)苦労する」の勘違いを軌道修正しよう。
女王様のまま、わがままな私を甘えさせてくれる世界があるんだろう。
そんな風に気がついたら、楽しくなってきました。
なんの心配もいらないね。