私はまず、ダメって責めてしまう自分を認めたよ。
ダメでも良い。責めても良い。

そんな中で、今やから出来ること、楽しいことしよ!!
て方向転換して、好きな事だけ、やるようにしたよ。

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私も「資格持ってなきゃ、出来る事はなるべく多い方がいい」と思って必死に真面目ぶってやってきたけど限界が来て、辞めようとした時に引き止めてもらった事があります。理由は「私が会社にいるだけで会社側にはメリットがある」から。そこで「なんだ、いるだけでいいのか」と気づいたので、今では自分のキャパを超えるような仕事の仕方はしないし、よくサボるし、会社に対して結構わがままも言うようになりました。給料は少し下がったけど、気分的には以前より大幅に清々しいです。

 

 

 

この方の気持ちよく分かります(*_*) ニート、存在価値、どんどん下がっていく感じ。 ジンさんの言うことも分かるけど、その状態でなかなかそう思えないのもめっちゃ分かる。

私はまず、ダメって責めてしまう自分を認めたよ。 ダメでも良い。責めても良い。 そんな中で、今やから出来ること、楽しいことしよ!! て方向転換して、好きな事だけ、やるようにしたよ。

好きな事やって、嫌な事やめて、満足して、 それで前向きに「働きたい!!」て思えるようになったら、その楽しいオーラで就職活動できたら、 本当に働きたい所で良い条件のとこに、急に決まったよ。タイミングがあるんやなと思ったよ。 それも全部じんさん、ともこさんのおかげですヾ(。・v・。) たくさん悩んで、相談したよ。 質問者さんも、未来は明るいと信じて頑張ってね!! ダメやと思う気持ちも〇にしてあげてね⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*

 

 

 

人生諦めるのはいい事だと思う。
良い意味でくだらないプライドや他人の目を気にする無駄な時間、諦めって必要だなって最近感じてる。
嫌われても良い、見下されても良いって。
そうすると全てのものに感謝出来るようになったし、以前より人からの信用も得られるようになったよ。
ただ騙されたり理不尽な事にはきちんと対処出来るような精神は持っておくべき

 

 

 


諦めるって楽でいいよ〜
幸い趣味だけは楽しいからそこに重きを置いて生きてる

 

 

 

世の中の言う通り結婚して子供産むか、正社員になってバリバリ働くかしかないなんておかしいよ?
世の中の義務に合わせようとすればするほど苦しくなって死にたくなるでしょ。私は生きる意味とか、神とか宇宙について調べたけど、人間はいきてるだけで完璧なんだってば!私なんて普通の家庭すら分からんから絶対子供無理だし、家族持てるかもわからんけど、それでも今まで助けてくれた人を今度は自分が助けたいから、それをモチベーションに生きてる。今の隠ぺいばっかの社会に沈み込んだ方が負けです!みんな社会の奴隷になって自分が小さい存在だと思い込まされてます。本当は人間って勝とうが負けようが、何もしてなくても十分すごい存在なんだって!常識なんてくそくらえで、社会の言う通りにしても幸せになれませんから。政府も嘘ばっかりだよー。私は厳しい人間になるより、本当は優しく生きた方が気持ちいいって気づいたよ。

 

 

 


人生辛いときあるけど、そういう時は脳内に全肯定してくれるオカマを呼びだしてる
「なぁ~に暗い顔してんのヨっ!アンタはいつも頑張ってる!今日頑張れなかった?なら明日から頑張れば良いの!今日も明日も明後日もアンタは百点満点中百二十点よォ~!!!!!」みたいな
意外と乗りきれる

 

 

 


認めているなら図太くなろうよ〜私の人生虚しいけど何か?ぐらいで。虚しくなっているってことは自分に対しての期待とかもあるわけで、まあこんなもんよって横になってブッてオナラでもしようよ。

 

 

 

私たちが生きてゆかなければならないのは、青春のその後である。教室の中での評価は、永遠ではない。もちろん、思い出に救われることはあるけれど。社会は長い防衛戦だ。あらゆる角度から私たちは心と身体を削られる。そうしたときに、うまく切り抜けたり、別のことで気分転換をしたり、ちゃんと自分自身をフォローしたり、ときには誰かに助けを求めたり、暗い気持ちをしっかり対処して、いつも通りの明日を獲得しなければならないのだ。防衛に失敗するたび、すり減ってゆく。心が、身体が、魂が。世間は悪党よりも非情で、「ここらへんでやめとくか」なんて思ってくれやしない。自分で自分を守れなければ、すり減って、すり減って、なくなってしまうだけだ。

 

 

 

失敗を楽しむ
意図的な失敗のメリットは、責任を自分のものにできること。
人のせいにすることなく、自分で責任を背負うことができるのです。失敗という経験は、いろいろなものを見せてくれます。
 能力の限界、周囲の視線、変化の契機、・・・どれもソツなく生きているだけでは手に入らないものばかり。それらをゲットできれば、古い思考を脱ぎ捨てられる可能性が生まれます。
 
ですから、どんどん挑戦して、どんどん失敗しましょう。ミスした数だけ今の自分から変われるのだと思えば、失敗も楽しくなります。

 

 

 

 

いばや通信より、、、

私は「音楽とユーモア」に救われたと思っている。地元新潟で暗黒時代を過ごしていた時期、自宅に引きこもりお笑い番組を見るか音楽を聞くかしていた。これがなかったらとっくの昔に自殺をしていたと思う。音楽。ユーモア。これらに共通するものは『許し』だと思う。自分が好きだと思う音楽は、大袈裟だが、私に「生きててもいいよ」と言ってくれている気がした。その言葉は温かく、どうしようもなく嬉しいものだった。ユーモアも似ている。それは、どうしようもない自分に「ダメでもいいよ」と言ってくれている気がした。ダメでもいい。ダメならダメなほどいい。そういう世界があるのだということを、教えてくれた。生きててもいいよ。ダメでもいいよ。だから、胸を張るんだ。自分が生きていることを、卑屈に思うんじゃなくて、ダメならダメなまま、胸を張って生きるんだ。そういうことを、言ってもらえているような気がした。「嘘でも構わない」と思った。死ぬまで騙されていたい嘘を、死ぬまで騙されたいたい光を、私は、あの瞬間に見ていたのだと思う。