「自分をあきらめる」と「本来の自分に戻る」

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 自分の価値を低く見積もり過ぎているだけ。
 自分には「ない」と勘違いしているだけ。
 何かしないといけない
 役に立たないといけない
 魅力や能力を上げないといけない。
 そうやって、もがけばもがくほど
 蟻地獄のように沈んで行く。

 

 

 

自分には「ある」と仮定してみよう。
自分には、魅力も、能力も、お金も、時間も、強さも、優しさも、厳しさも、愛情も ある。
それが「ある」としたら
今のあなたのように、もがくだろうか。
きっと、悠々と、笑顔で楽しんでいる。
 そして、そんな風にふるまってみる。
 恐怖から動き出すのではなく
 楽しみながら動きだそう。

 

 

 


「自分をあきらめる」と「本来の自分に戻る」

そこから、自分の本当の人生が始まるんですよね。
 

 

 

 

本当の勝負所は20〜30%くらいしかなく、実際はそれ以外の時間帯が圧倒的に長く続きます。
この圧倒的に長く続く時間をどう凌ぐかのか。上手く小休止をしながら、頑張らないときを作る必要があります。

 

 

 

 

 

子供の頃から金銭的に恵まれた家庭で育ってきました。
現在も特に仕事をしていなくてもお金に不自由することなく暮らせる環境にいます。
何も不自由なく絵に描いたような幸せな状況にいるのは自分でもわかっているのですが。

モヤモヤします。
仕事をしていない罪悪感なのか?
苦労知らずの人間はダメ‼︎という価値観が私の中にあるのを感じて、自分で自分にダメ出ししている。
世の中に必要にない人間みたいな気がして。

毎日遊んで暮らしても、苦労知らずの人間でも、いいのかな。
幸せでいいんだよね。

 

 

 

私は、最近、努力してます。
やりたいことをやってます。
以前は、やりたいことを勉強したり、疲れてても頑張ってやったりしてると、もしその努力が報われなかったら、惨めだし、楽して優秀な人いたら、損した気分になるから、沢山努力するのが恐怖でした。
だけど、好きなことに思い切り夢中になりたいという欲が出てきて、今、なるべく時間かけてやってます。
こんな私でいいのか?好きなこと時間かけてやって、疲れすぎて今の仕事に支障出たりしたら?逆に損じゃないかという思いがたまに出るんですが、もう、損してもいいやと覚悟して、やってみたいと思います。
私のやりたいことは、手間がかかることが多いけど、少しずつやっていく過程を見ていくのが、楽しいです。
やりたいことやらずに、すねてるより、ましだな、と。

 

 

 


「見せびらかさない、謙虚でいなさい、実るほど頭を垂れるっていうでしょう、そして周囲に感謝を忘れないこと」と、私の知る範囲では祖父の代から、ずーっと言い伝えられていました。

で、私は、今、42歳にもなり、「自分を正直に表現する」ことに四苦八苦しています。拗ねて隠れてる正にそんな状態です。
親からの教えを私は「自分を抑えて感謝だけはすること」 と捉えてしまったようです。これって、自然の摂理に反してますよね。

本来は、
正直に自分を表現する
⇨受け止めてくれる人がいる
⇨感謝があふれ、自己肯定感も生まれる。
の順番ですよね。
なんかやっぱり最後の感謝とか自己肯定感とかだけを求めても無理だよね、と思いました。

 

 

 

私が ゲスくなれなかったのは

いつからか母に罪悪感をいだいてしまったから
そして 母のように苦労して頑張ることもできない私ですと卑下して
母のいうことは 間違ってませんと 媚び
母の顔色を見ながら 堂々と生きられなかったからです。

それを 根っこに大事に大事に 当たり前のように
思っていたから 苦しくなり 辛くなり

人を変え 物を変え 場所を変えても
私の感じかたは いつも同じ 繰り返しでした。

ここから抜けるには
ゲスくなるしかないと知りました。

だから ゲスくなる と決めました。

そうしたら
母も 母の母に同じことを思っていたのではないか

私の子供達も私に同じことを思っていたのではないか

と思うようになりました。

代々 繰り返してきたことを
決して当たり前と
済ませたくないと思いました。

ゲスくなりたいと思ったのは私です。

だから 私がゲスくなります。

 

 

 


幸せの方向は、周りに甘やかされて、派手な服着て派手な髪して
堂々と芸術方面に向かう そっちだわ。うーん…
そっちかな?(笑)

 

 


私も自分の感性や世界観を貫きたいと思います。
足並みをそろえないからと言って、意地悪してくる人は
大嫌いです!
でも考えてみればそういう人ばかりじゃなく、
むしろ個性を受け入れてくれる人の方が多いのに、
少数の意地悪な人の目を恐れて縮こまってしまうのは
ただ自分が怖がりであるからだと思います。
怖いままでもこのまま進みます。
お互いに勇気出していきましょう!

 

 

 

「自分らしく生きたい」とか言いながら、
他の人になろうとしてんじゃねーよって話だよね。
 
 
わたしという人は、
唯一無二の、
ユニークな存在。
 
 
他の人になる必要はないし、
そもそも、
他の人になんてなれるはずもない。

 

 


今の自分以外の人になりたいかといったらそうではないなぁと、
やっと思えるようになってきた。
 
 
これからも、
いろんな自分を知って、
いろんな自分に気づいてあげて、
いろんな自分を見てあげて、
 
この私とやっていくしかないもんな、と思う。
 

 

 

先日の、死んでもいいよ。のテーマ。 ちょっと自分にそれ言ってみました。 ずっと怖かったものなので、あえて。 親より先に死んでいいよ。 子供より先に死んでいいよ。 いつでも死んでいいよ。 いつでもいいよ。
そしたら、じゃあ、何しよっかな。って思って 不思議と明るい気持ちになり、あぁ。
私今ある幸せ堪能したかったんだなぁわたし。今ある私の得意なもの活かしたりしてこんなことやろっかなぁ。
今ある元気な体に感謝して、たくさん動こうかなぁ。
誰とでも、どこへでも、自由なんだ。
何かにチャレンジもしてみたい。 逆に感謝や希望に満たされてくような感覚すらあります。
心が軽くなって、いつもだったらしんどい小児科も全然平気だった。 疲れを知ってる体に、喜び感じるし。
死というのに許可を出したらこんなに生き生きできる方向を向けるのねと思いました。
許可を出したら、死ぬほど恐ろしかった 死や病気が、そんなに重いものにならなくなりました。 そりゃ、嫌だし怖いもんは怖いし、不安や心配はゼロではないけど、でも遥かに前より楽しい方を向けている気がします。