「小さな好き」こそ大事なんだ!!!!
ビギナーにとっては!!!

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昔頑張り方を間違えてたなー
今考えると、独り善がりで頑張る方向が違ったことがわかる!会社の中でも、トラブル起こす人は、その人なりに頑張ってるんだけど、頑張る方向が違うんだよなぁ。
他人の意見を素直に聞けないということなのかな。実際やっぱり頑張る方向が間違ってると本人は真面目に頑張ってるだけあり疲れる。。周りと歩調を合わせつつ、他の人の頑張り方を見てると、自分が方向違いだったことがわかった。
今は頑張りつつ、抜くところは抜きつつ、仕事もプライベートも充実しています!

 

 

 

今が、まさに
全くやる気にならない状態です。
お金必要だけど
働く気にならない

パート採用もらったけど
なんか違和感

でも今更断る?
お金ほしい
仕事やろうと思えばできるでしょ
雇用契約しちゃったし。

でもすぐやめるなら、断るの早い方がいい?

と、迷いにまよってます。

自分の気持ちに正直になれば
やめたい
てゆーか寝てたい
動きたくない
テレビでアレコレ言ってるし
実際うちお金ないしな
毎月赤字でやばいよ
こどもいるのに
家のローンあるのに

でも、自分の選択がそれでいいかわからない

自分の気持ちはやく気づいてたら
契約なんかしなかったのに
なんで契約しちゃったのかなー
自分がいやだ

自分で自分の行動が
理解できないときがあります

怒られるのかなー
どっちにしても怒られるなら
もうやめよう

あー迷う

 

 

 


小さいことですら「好き」を選べないなら、
好きな仕事なんてできるわけないですよね!



いや、できる人もいるかもだけど!



「小さな好き」こそ大事なんだ!!!!
ビギナーにとっては!!!


それが積み重なった集大成?が
好きなことで仕事できるとか
好きなことに囲まれた人生とか
そういうことなんだ!!!

小さいことやらずに大きいことはできない!!
だって、小さいことのチリが大きい好きになってくんだから!

うおーーーーーー
小さい好き、大事にする!!!
大きな好きと同じように!!!!

 

 

 


よく、周りの人に変わってるって言われるんです!
って言うのあるけど。


あれ、ノリで言ってるだけで、
テキトーだよ。笑。

 

 


だから、
堂々と「私は普通(・Д・)」って
ドヤ顔してほしいわ。笑。

 

 

 

「そっか、こんな自分もいるんだなー。それも自分なんだなー。なるほど。」

 

 

 

私も最近考えてました。何故自殺はタブーなのか?死ぬことが何故駄目なのか。学校行きたくなければ、行かなければいい。仕事辛ければ辞めればいい。人生生きられなくなれば死ねば良い。逃げ場を残すこと。どうしようもなくなれば逃げられるって思えばこそ、頑張れると思う。どうしようもないのに、逃げ場がないから1歩も動き出せなくなるんだと思う。全部が駄目でも死ぬ事が出来ると思うから、生きることも選択できるんだと思う。何故死んじゃ駄目なの?いつかは皆死ぬのに………。私は「どうしようもなければ、死んでも良いじゃん」って自分に言い聞かせて生きてる。死ぬのが辛いのは、本人なのか周りなのか………。人生どうしようもないと思った事だって振り返ればただの過去。人生において大したことなんて何一つない。それを一つ一つ大事の様に見るから動けなくなる。薬物依存?笑い飛ばせば過去のこと。いつまでも続くと思うから終わらない。

 

 

 

死なないで、とか命を大切にとか、知り合いが言うレベルのセリフだよ。子供は、親には、家族には、家族にしか言えないセリフを求めるよ。親なのに、知り合いレベルのことしか言えないとか、子供のこと、そのレベルにしか考えてないってことじゃん。と、子供は思う笑

例えばさ、薬物依存?別にいーじゃん、私の子供には変わらないし!あんたが薬物依存でも自殺志願者でも犯罪者でも人殺しでも永久に私の子供だし!私が子供愛してるの当たり前だし!それに比べればあんた成績も学歴も就職先も病気もクソほどどうでもいいわー!それよりミスド食べない?家族とドーナツ食べるのめっちゃ幸せじゃん?あんたのすきなハニーチュロ10個買っといた!

 

 

 

大事な事は、命のリセットではなく
物理的なリセット。


環境、対人、コミュニティ、社会、
などの関わりを、一旦ゼロになるまで
リセットさせて、本来の自分の望である、
正当な自分自身に帰してあげる事と思います。


生き死には、あくまでも極度の結論です。
できれば、少しでも選択肢を増やしてあげる事、
それが第一だと私は思います。

 

 

 

夫婦仲の悪い家庭環境の悪さから私は小学生の頃から自殺願望があり高校生の頃に母親に死にたいと言った時、「死ねば」と面倒くさそうに言われ、その数年後に父親にも「勝手に死ね」と言われたこともあり、その後何年も生きてる価値なし存在価値なしの自己否定感が強いまま、誰かに存在価値見出して欲しくて愛されたくて、男や薬(精神薬や睡眠薬)に依存して生きている期間が長くありました。若かった私は親に「死なないで」って言って欲しかったです。《死ぬことも生きることも自分で決められる》と言われていたらもっと早く目が覚めていたんでしょうが、そういう、自分でどう生きるか決められることに段々と気付いていって20代後半からは、実家に住んでいても一切親にお金は渡さず働いて稼いだお金は全て貯金し、生きてるうちに体験したいことや、その時楽しいと思えることを専門的になる程とことんやったりなど、本当に好き勝手にやりたい事やって親が心配しようが止めようが何言われても関係なく楽しんで生きてきました。自分で決めたら、その通りに生きることが出来ました。

 

 

 


我が家は
我が家の娘は、平成の最後に自分の死ぬ権利を行使しちゃいました。

2ヶ月前に、死のうと思う宣言があって、
正義感が強すぎて引っ込みつかなくなっちゃったのか、

それとも死ぬことを経験したくて生まれてきたのかわからない。

だけど、多様性を受け入れられる私だから選ばれたのかな?って、自分を納得させるために思ってます。

当たり前は当たり前じゃない、
毎日が神さまからの贈り物。

皆さま、大切な人を大切にね。

 

 

 

 

世間体とか、
他人の目とか、
普通とか、
常識とか、
他の子とか、
将来困るからとか、
お金が
とか、

そーゆークソなもんばっかに大切にして。

 

 

 

 

不安から逃げて、

世間体とか、
他人の目とか、
普通とか、
常識とか、
他の子とか、
将来困るからとか、
お金が、
とか、

そういうことを恐れて
選択すると。

 

 


必ず後悔する。

 

 

 

必ずすると思う。
選択ってのは何もしないことも含まれるよ。

我慢して仕事するとかね(不安だから我慢という選択)

 

 

 

 

怖いけどやってみる。


しかない。その積み重ねしかない。

 

 

 

そして、本当に働きたいと思える会社の条件は、「家族みんなで揃って晩ごはんを食べられること」。
それが、わたしたちにとって大切なことだったのです。」