これから世界はどんどん変わってく。今の常識も変わってく。知らない未来は子どもたちの考えでがいいように作ってくでしょう。我々はそれを認める以外にやることないよね。

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花が咲いてキレイだ。

 

オレも気づけば色々変わったなー

良い意味での変化に感じているよ。

これからも勝手に変わっていくだろーし

 

流れていこう。

 

 

お母さんは過保護と言われてました。 お母さんは運動ができたらしい。でも私は全然できなくて、どんくさくて、周りをイライラさせたりしてきました。お母さんもそんな私が心配みたいで「直子はどんくさいから」と愛しそうに言ってました。 結婚して夫と暮らすようになって、少し戸惑いました。夫はお母さんみたいに私を心配しないから。 お母さんは私に車の運転をさせなかったのに、夫は私に運転を教えました。 お母さんは私が少し遠くに行くことを好きじゃなかったけど、夫は私が新しい場所に出かけることを喜びました。 私はなんとなく心配されることは愛されてることのように思ってたから、最初なんだか夫を冷たく感じて寂しかった。 でも運転してどこどこに行って楽しかったと夫に言うと夫は嬉しそうな顔をしたりした。 夫が稼いだお金を使っておでかけしたらいいと言ったりもした。 だんだん夫は心配してくれないけど、私が楽しいと嬉しいんだとわかるようになってきて愛されてるような気がしてきました。 今赤ちゃんを産んで、私はお母さんの気持ちが少しわかるような気がします。 娘が歩くようになって、外に出ていくようになって、自転車を乗るようになって、電車で遠くに行くようになって、そんな日々を想像して怖くなるんです。 何も怖いことが起こらないように、ずっと手元に置いておきたい気持ち。 失ってしまうかもしれないのが怖い気持ち。 外で傷つくことがこの子に起こったら、私はなんて悲しいだろう。 そばでずっと笑っていてほしい。 私の心配は、娘への心配というより自分への心配です。 よく母になると強くなると言うけど私は全然です。こんな小さい子にもう依存しています。

 

 

 

 

子供のこと心配って言ってる親って、あたかも子供のこと考えてます、愛してます、愛情ある親ですっていうふうに聞こえるもんね。 裏を返せば、子供のこと信用してなくて、子供のことナメていて、あなたはそのままではだめだよと伝えてるようなものかなと思った。 そりゃ、子供だめになるよね(笑) 長野のライブ&トークで考え方がひっくり返った。 これで小学校一年生になる子供の登下校が心配で、事故や怪我が心配で不安だったけど、信じることに決めれた。 失敗したってこの子なら大丈夫。転んだって大丈夫。つまずいたって大丈夫。私は一緒にいたいし、成長を見てくのが楽しいから、子供を心配するより信じてくことに決めました。うちの子達、私が思うほどヤワじゃない。 長い人生、何度も何度も立ち上がれる力を持ってる。そう信じることに決めました。

 

 


それに、転ぶとも限らない。階段登るかもしれないし、山道登るかもしれないし、草原をのんびり歩くかもしれないし。乗り物見つけるかもしれないし、羽が生えるかもしれないし、タケコブター発明するかもしれない。 私の経験を投影して心配してもしゃーないわ。 これから世界はどんどん変わってく。今の常識も変わってく。知らない未来は子どもたちの考えでがいいように作ってくでしょう。我々はそれを認める以外にやることないよね。

 

 

 

 


身体を壊し、10年以上仕事が出来ないでいた彼が社会復帰のスタートを切ることになりました。 私はそんな彼を心配し過ぎてしまいました。 来てもいない悪い未来を妄想し、それを彼に向けて言ってしまったのです。 結果、彼から『俺の足を引っ張ってる』と激怒され、現在音信不通に。 次に連絡が来る時は、別れを告げられる時だと思います。 心配じゃなく信頼をしなければいけなかった。 ずっとずっと16年もの間応援してきたのに、私の応援は独りよがりの心配ばかりだった。それが愛だと思っていました。ただの偽善ですね。 自分が不安だから、一番身近にいる人に対して過剰な心配をし、自分の存在意義を感じていたのです。 妄想暴走特急を走らせて大切な人を傷つけてしまいました。本当にごめんなさい。

 

 

 

今18歳でこの前高校卒業したのですが これまで子供として生きてきて 本当にそう思います。 心配されるとこっちもなんか心苦しくて 申し訳なさを感じたり 不安になるんですが 幸い私の親は 私のことをすごく信頼してくれていて それは、何かができるからとか、 何か結果を残したからではなく どんな私でも絶対大丈夫と 信頼してもらえてる感じがします。 そして、必要な時は助けてもらったり話したりもしながら 結局は自分で決めて 自分で選んで道を歩んでる気がします。 「あなたが選ぶ道を応援するよ」 と言ってくれる両親。 これがもし1人なら怖くて できなかっただろうし 私は親の存在があって今、 学校に行かないという選択ができています。 なので親から信頼してもらえることほど 子供が嬉しい事は無いと思います。

 

 

 

 

転ばぬ先の杖。
三男の部屋は 散らかり放題 埃まみれ ゴミがあふれていた けど もう 知らない!と 放っておくにチャレンジしてみようと 掃除をしない!と決めた。 暫くやってみたら やっぱり 私は 三男の部屋を見放すことができないことに 気がついた。 布団にタバコの焦げがいくつもあって 「あんたが自分の不始末で死ぬのは構わないけど おかんが 知らぬうちに死のは嫌だ!」 と怒鳴った。 それから私は 掃除をするのも  ゴミをまとめるのも 加湿器に水を入れるのも みんな 私がやりたいからやっている と思うようになったら 三男が とっちらかしていようが ビックリするようなものが出てきても 何にも気にならなくなった。 そして 私が好きな掃除や片付けをさせてくれてるんだとまで思えるようになった。 これは 私の感覚では初めて感じる感覚だった。 あんたのために…ってこと いっぱい言ってきたけど それは 私が ちゃんとしてない親になりたくなくて 頑張っていた…私のためだったのかもしれない。 今 三男には 旅館の女将と呼んで~!と言っている。

 

 

 


ほんとほんと
現在、断絶中の母はよく「あたしは子ども四人とも、心配してる!いつもすごく心配してるの!」と言っていて、 すっごく気持ち悪いな~と思ってました。 少なくとも、母の言う「心配」って「あたしの不安を~現実にしないでね~お願いよ~」っていう、ある種の呪いだったので。 で、その呪いはよく効いて、きょうだいたちは借金だのすぐ仕事辞めるだの一時的に失踪するだの(戻ってきた)、風俗で働くだの離婚だの、 母の不安をせっせと現実にしてあげて、母に嘆きのエサを与えております。 母は、不幸で、苦しそうで、そして楽しそうです。

 

 

 

 


今日からまたいつもと変わらない毎日が始まります。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。 また逢いに行きます(^^)!また遊びに来てください。

 

 

 

 

何かを提供しようとか
 
成果とか考えずに
 
まずは自分の好きなことに飽きないように
 
自分の好奇心をどんどん大きくさせるのが
 
大事なのです。
 
 
自分の芸に飽きない
 
これが商売のコツなのです。