欲を抑圧をすると
ドコにも出て行かないから
欲の塊になっていく。
さらに抑えこむことに
ものすごいチカラが必要で
他のことができなくなっていく。
ウソにまみれていく。
カンケーなく、たのしめー(*^_^*)
なんかしらんけどって
自分の意としてないときに起こる(・∀・)
だから、
「なんかしらんけど」
なんだろう(笑)
٩( 'ω' )وトゥス
母「かあちゃんはどんなに頑張っても、子どもはなるようにしかならんのじゃな?」
子「そうじゃ。じゃけぇ、かあちゃんは必死に頑張らんでもええ」
「損して嫌われても笑われても馬鹿にされても、私は愛じゃ!愛があるんじゃ!!愛だから愛なんだ」
ただそこに在るだけ…
夏が1番好きで太陽が好きな人もいれば、あの夏の太陽のやたら主張が強い感じが苦手で、しとしと雨の音と静けさがある雨の日が好きで、月と星のが好きで、センチメンタルな秋冬が好きな、私みたいな人もいて(*´∇`*)
でも季節はただ巡るだけ、太陽も月もただ在るだけ、青空も曇りも雨もただ起きるだけ…感謝されたり文句言われたり好かれたり嫌われたり、勝手にされるけど。
夏が冬に憧れても困るし、秋の桜はコスモスで良いし、月が太陽みたいにギラギラし続けてたら夜は来ないかも、皆眠れない…笑(๑´∀`๑)
それぞれがそれぞれらしく在るだけ、良くも悪くも魅力全開の自然体…だから、めいっぱい愛されて、めいっぱい嫌われて。その大きさに触れて勝手に悩みが溶かされたり、包み込まれた気がしたり。時々、恐ろしくて無力感で立ちすくんだり、何もかも奪われた気がした後に自分たちに眠る強さや優しさに気が付いたり。
うん…そういう事なのか。自分にコレを当てはめるの、まだまだ容易くないけど、仁さんの素敵な例えに触れられて、何か気付きを得られた気がします!
自然体ってまさに、自然の在り方なんだなぁ…良いも悪いもただ「自分」であれ。
自分が、楽しむためにお金使った(๑>◡<๑)
洋服、
お茶、
靴、
デザート、
嬉しい気持ち(๑>◡<๑)
変わりたくて評価されたくて褒められたくて自分じゃない誰かになろうとしてました。 好きなことですらこれで稼がなきゃと思って、気づいたら楽しめなくなってて。 だけど、その時その時、自分がしたいことして、否定しないようにしてたら、少しづつだけど気持ちが落ち着いてきました。 子供がいる、いない、人生楽しむのに条件必要ないよね、お金稼がなくても、好きなもの作って自分楽しませても良いよね、と思いました。 どっちでも良いな、どっちもアリだと思ったらそうしたい時にそうすれば良い、こうでなきゃ!なんてないのかも? 欲望みたいなのがなくなって、のほほんとしているのが少し怖くもありますが、ゆる~く穏やかに生きる事に罪悪感もたずに生きていきたいです。
楽しんだ その結果が うまくいっても いかなくても やらかしちゃっても 怒られても ぜんぶオツリなんだ おまけなんだ 釣りはいらないよ って運転手さんにあげちゃってもいいし レジ横の募金箱に入れるもよし オツリやおまけをじーっと見て 考えたり反省したりしなくていいんですね~
誰かのために頑張ってきました。
誰かが喜んでくれるのが嬉しいから。誰かを助けられたらめちゃ嬉しいから。
誰かがいないと仕事は成り立たないって思ってました。歌手さんだって歌うことが好きでも、お客さんのために歌うだろうし。やっぱり誰かのためじゃん!と。
だからこの話題、ずっとモヤモヤしていました。
でもパッカーンしました。
誰かのために「何を」するのが嬉しいのか。
その「何を」を楽しめばいいだけなんですね。
お医者さんなら治療や研究、教師なら教えること、営業なら売ること、主婦なら家事。
そして、誰かのためにやっちゃいけないとも言ってない。なんとなく、お客様や誰かのためにやっちゃいけないと言われてる気がしたけど、自分が楽しんで楽しんで、それが誰かのためになることを考えればいいんだ。
書いてると当たり前ですがすごくすっきりしました。
楽しむ=結果ではない
腑に落ちました。
結果がどうであれ、楽しんだ事実は変わらないですね。
結果ありきで見てると不自由になりますものね。
怖がらずに楽しもう!
因果応報って自分で勝手に作ってるのかなー? アレやったからコレになったんだって。。 ややこしくしちゃったのか。ʅ(◞‿◟)ʃ