がんばらないで 悠々と暮らす勇気 悠々と働く勇気

 
「自分は、素晴らしい人間なのだ、と思ってみる」
から始めるしかないのです。
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だって
それが「事実」なのですから。

 

 

 

 
焦らずに
必死にならずに
がまんしないで
がんばらずに
結果を受け入れていれば
 
 
自信がつく、
ということなのです。
 

 


がんばらないで
悠々と暮らす勇気
悠々と働く勇気

 

 

 

人に与える前に
自分に与えてあげてね。
 
中身スカスカになるよ。
 
 
素晴らしいあなたなのなら、
 
もっと自分勝手に
自分の欲望優先でね。
 
 
ひとに変わってもらうことを
期待するんじゃなく。
 

 

 


手放すってのは、なんでもかんでも捨てるって意味じゃないと思う。 今持っているものや、やってることで、自分の魂が喜んでないなら、その執着を手放せってことじゃないかな。 きっとそれは、自分の本心でなく、不安や他人の価値観に起因してるものだから。 今が、本当に魂が喜んで楽しい状態なら、捨てるはずないよね。それこそ、幸せを受け取り拒否してる状態。

 

 

 

 

私も昔は世間的評価がないと「成功者」と言ってはいけないって思っていたけど、ぢんさんが成功してなくても成功者だと言ってもいいってブログに書いてくれたから私もそうすることにして生きてみました。 そしたら、世間から見たらどん底でも 私はうまくいっていることにしたら現実がそうなってきました。 とにかく人生、実験ですよね。 私はお金のどん底でどうしていいかわからなかった時宇宙から 「お金は世界中にある。なのに何か問題はあるのか?」って言われました。 そのとき、、、、ですよね。。。。問題は、、、ないですよね。。。って思いました(笑) だからそれってどういうことなんだろうっていう答えを探す実験をしました。そしたら、本当に何も問題はないことがわかりました( ◠‿◠ ) 自分のやり方を手放して、お金の入り口を限定することをやめたら問題はなくなりました。 今は一日中ブログ書いているか神社巡りして、ご機嫌でいるだけで何不自由ない生活を送っています。 もし、今あるものが全てなくなっても私はもううまくいく方法を知っているから、何も問題はないと思っています。

 

 

 


まだ成功者じゃないから、頑張る。 まだまだ… まだまだ! よりも 今から成功者♪ 楽しく生きよ♪ 今はお金ないけど笑 い、ま、は!!!笑 ⬆︎ こっちの方が、どう考えても楽しい笑

 

 

 

自分、このままの自分で生きます! って当たり前の事を自分で自分に宣言できたら成功者なんじゃないかなと思います。 一般的な成功者って言葉のイメージはあるけれど、その「一般的」が生きづらいのだから、その成功者の定義、自分には当てはまらないものって思ったほうがスッキリします。 結果、なんでもいいし、どうでもいい(笑)

 

 

 

 

今でも、海外旅行に行き、美味しいものを食べ、いつも仲間に囲まれている、人たちを見ると、ざわざわするし、拗ねるけど。 私は、かつかつどころか借金まであって、体力なくて、疲れやすくて、稼限定なくて、もう何万光年も旅行にらすら行ってない。 って、持っている人たちを妬ましく悲しく思うけどもあるけど、そんな私でもいいの。いいの。 空を見上げて、なんて美しいんだろう。空はアートだと、感動できるシアワセやら、お風呂に浸かって、全身が、暖かくゆるゆると緩んでいく感じとか、草花をみてきゅんとしてしまう感じとか、阿波踊ってワクワクが止まらなくなる感じとか、その他、数えきれない感性を私は持っていて、それがシアワセと思えるから。

 

 


 もっと、がんばんなきゃーーーって、思って、身体が悲鳴あげてんのに、あれもこれもやらなきゃーーーって、頑張ろうとしちゃう。。  でー、違うだろーーーって、気づけるようになった。  この私で大丈夫ーーー。ダメダメで大丈夫ーーー。  嫌われても大丈夫ーー。一人でも大丈夫----。  私は、私を大事に思って生きていくのーーー。って、思えるようになってきたんだ。。

 

 

 

こんな自分はだめなんだ、 もっともっともっとって、 知識という武器を持とうとして、 敵だらけ、剣を構えてる状態に してしまう。 敵はいないのに 無敵なのに。

 

 

 


「わたし、ダメでバカで出来なくて冷たくて
 面白くないやつなんです、わははは」と笑い
 
 
「わたし、素晴らしくて魅力的なんです、わははは」と笑う。
 
 
それずっとやってたらいい。

 

 

 

 

坂爪さんのいばや通信より、

人間はなにででてきているか。私は『人間は、自分の好きなものでできてる』と言いたい。なにかを好きになるということ。好きなひとに好きだと伝えること。これ以上に尊いことなんてこの世の中にあるだろうか。間違っても、自分が嫌いだと思うものに自分の人生を奪われてしまってはいけない。嫌いなもののために死ぬ(生きる)なんてクソだ。それでは体は冷えたままだ。生きているということは、熱があるということだ。熱があるということは、その熱を誰かに伝えることができるということだ。なにかを好きになるということが、世界を動かす力になる。なにかを好きになるということが、世界の体温をあげるのだ。嫌いなものにとらわれて、自分の好きを見失ってはいけない。いま、生きているということは、自分の『好き』があったからだ。それがなければ、いまのいままで生きることなんてできなかったはずだ。だからこそ、自分の好きを取り戻そう。嫌いなもののために生きるのではなく、好きなもののために生きていこう。自分の好きを貫く物語が、また、別の誰かの『好き』を貫く物語を生み出していく。今こそ、好きに殉死をする時である。

 

 

 

いい文章〜やなー