「だからなんでやねーーん!」

仁さん、やっと分かった笑 罪悪感もつな、一人コントや、ドMか、あなたはすでに幸せ、大丈夫、、、全部、やーーっと分かった!!

「○○できなかった」

「だから?」

「反対されるんです!」

「だから?」

「辞めたいんです」

「だから?」

「言ってみたけど反対された。やっぱり愛されてない」

「なんでやねん!」

「勇気出して言ってみたけど暴言返ってきた。やっぱり私には価値がない」

「なんでやねん!」

「結婚できない、子どもができない、友達できない、いじめられる、仕事ができない、私なんて生きてる価値ない」

「だからなんでやねーーん!」

 

 

 

やっとわかるようになった!笑 だから、仁さんがみなさんの悩みばっさばっさ切ってるの、爆笑でしかない。だってそれ悩みとはちゃうやん!みんな(過去の私含め)、自分で自分縛って一人SMして、「つらい!」って悩んで怒って困ってる!爆笑 ほんとに最近これらが腑に落ちて、めちゃくちゃ楽になった!怒られても嫌われても反対されてもうまくできなくても、問題じゃないから笑  なんで今まで、人の言うことでいちいち自分を反省してたんやろ?謎すぎる!今は、なに言われても、思われても、ふーん。逆になんでそう思えんかったんか謎! 仁さん、ずーーっと同じこと言ってくれてありがとう!笑 やっと、自分の人生生きれます!嬉涙 あー仁さんとトークしたいー。 まだまだ、ブログは見ますけどね!よろしくです

 

 

 


私も乳がんを宣告されて5年経ち、手術を受けていないので、がんとともに5年暮らしています。その間、身体や心のことで興味を持った本を読み漁ったり、セミナーに通ったりしていました。最初は治す目的でしていたのですが、最近は身体や心の変化自体を楽しんでいる自分に気づきました。 今回の記事は最初の記事も嬉しかったし、次の記事もこういう風に思う人はいるだろうなあと予測していましたが、ただそれだけでした。 それなのに、この記事の「がんはなるよりならない方がいいよね」という一文になぜかガーンとなった自分がいました。なんかがんになるとがんになってない人と違う世界に行ってしまうんだよと言われたような。 昔、がんになってから妹に「あなたがもしがんになったらー」みたいな発言した時に「縁起でもないこと言わないで」と怒られて、ものすごいショックだったことを覚えています。まさに私はがんなんだけど、縁起でもない存在なの?と思ってしまいました。自分では前と何も変わっていないと感じてるのに、別世界の人間なの?と思ってしまいます。 実際病院での治療をしたことがないので、生活上の辛い思いはなく、身体全体を良くする民間治療を受けていたので、逆に宣告前より元気になっています。がん自体は小さくなったり、なくなったりしてはいませんが、悪さはしていません。 私は逆にがん患者なんだから気を使わなきゃと言われるとかえって悲しくなります。何も変わらないんだけどなー。それどころかがんがなければできなかったことたくさんできた。 仕事をやめる、高いセミナー(ぢんさん以外でごめんなさい)に行く、旅行行きまくるなどなど。がんなしでは勇気出せなかったです。母に口答えしたのもがんになってから。今書いてて、ホントにがんに頼りまくっていることに気づいた。だからがんなくならないんだなぁ。がんがなくても本当の自分でいられるようになりたいな。

 

 


実は私の大親友が心屋カウンセラーの"よよこ"さんなのです。 間接的に心屋的な考えに触れる事があります。 私の次女は26歳の時にスキルス胃がん、腹膜播種転移有り.ステージⅣ、手術不可と診断されました。 その2年半後の去年12月に他界しました。 次女が告知を受けた事を親友に話した時、驚く言葉が返ってきました。 「次女は命張ってでも、構ってもらいたいんやね」こんなニュアンスだったと思います。 その時は、何ちゅう事言ってくれんねん! って、思いました。 いつも大分違和感のある事を言ってくる奴です。 だけどその言葉を跳ね返す事無く、違和感持ちながらも心の奥底にいつも居ました。 じわじわと感じてくるのです。 そうか。なら、私も命をかけて次女と向き合おうと決心したのです。 お陰様で私はそこから一度も次女を可哀想だと思った事も、私自身も不幸だと感じた事もありません。 2年半の間、人に恵まれ、普通では受けられない支援が回ってきました。 側から見れば次女は可哀想な子に見えたかもしれませんが、本人は亡くなる3ヶ月前「今が一番良い」とも言ってくれましたし、亡くなる2週間前には「私は幸せもんやな~」って言ってくれました。 28歳と充分な大人の次女が、最期の3ヶ月間は可愛くて愛おしい程の女の子でした。 もうすぐ1年が経ちますが、我が子を亡くした事は、哀しくて寂しくて辛いです。 時折物凄い勢いで喪失感が襲ってきたりもします。 だけど後悔したり、自分を責める事はありません。 私も命張って向き合いましたから。 こんな風に気付かせてくれた親友には感謝しています。

 

 


小さい腫瘍と疑われる像が MRIで見つかったとき あら、ガンだったらガーンですね❗ って、言ったら 青筋立てて先生に怒られました。 それより、難病で 死ぬまで寛解しないと言われた方が凹みました かなりの期間、 治らない治らない治らない の世界に住んでました。

治らないなら 治らない中で楽しいこと探せや❗ と、自分にキレてからは 緊急入院しないで済んでいます。 どんな自分でもいつか死ぬから それまでは 頑張ってもいいし へこたれてもいいし 楽しんでもいいし 泣いてもいい って、思って生きてます。

 

 


でも病気で絶望していた時に、 仁さんだけが、病気だからかわいそうっていうスタンスとは違う、 病気だけど自分らしく生きていいんじゃよっていう メッセージに途中から見えるようになって・・・。 そこから病気の捉え方が変わった。 病気だから何もできない、 ではなくて、 病気だけど、病気のまま自分のやりたいことをしていく、 自分らしく生きていく、 って捉えられるようになった。 何度も絶望したけど、 それでも病気になった自分を責めていても 何にも良くならないって痛感したし、 どんな時でも、 病気になった自分を責めないでいようと思った。 病気はサインで、 無理しすぎだよ、 自分を大事にしなよ、 もう生きたいように生きていいよ、 そんなメッセージをくれているって思った。 僕の場合は治らないし、 ケースも少なすぎて治療ができない難病。。。 それでも難病のまま、 自分らしく楽しく生きよう、 そのスタンスになってから、 調子が良くなって行ったので♪ 一見キツイように見えるけど、 すごく実はあったかい気持ちが込められてると僕は思ってる^^

 

 

おばあさんが亡くなるシーンがあって、ふと思いました。 人は死んだら、日本では火葬されて骨になる。お墓に入って家には写真が飾られる。 肉体はもうそこにはないから、筋肉も眼球も耳も声帯も脳も心臓も内臓もなくなる。 だから、お話出来ないし手を繋ぐこともできない。 でも、さっきまでいた人はあの人はどこに行ったのだろうと。 魂はあって。また神様のところに戻って。今度はどこのママにしようかなって神様と相談してるのかもしれない。 人は生まれるし、人は死ぬ。 肉体が居なくなってとってもとっても寂しいけれど。今まで生きてきた人生を振り返ると、生まれてきてよかったと思えるんじゃないかなと。この人と出会えてよかったと思えると。 そう思える人生に、するのかしないのかは自分次第なんじゃないかなと思いました。 私も!!!ウジウジしてないで、めちゃくちゃ人生を楽しまなくちゃ!と思います。

思いますって、思ってるだけで、なーんにも出来てないのですよ... くそー!悔しい!ウジウジするのもったいない! やれ。ですね はい。